お天道様と最高裁はみている-ある最高裁判決への雑感
本日(2月19日)、会社法に関連する重要な最高裁判決が二つ出ました。どちらもたいへん興味があるもので、また追っていろいろと検討したいと思うのですが、株主代表訴訟のほうについて本日はざっと判決文を読んだだけでして、雑駁な印象だけ述べておきたいと思います(最高裁のHPでいずれの判決も閲覧できます)。
日本システム技術損害賠償事件の最高裁判決(逆転で会社経営者側が勝訴した判決)でも感じましたが、お天道様と最高裁はよく見ているなぁと。行政、民事、刑事事件と異なり、商事事件というのは(最高裁裁判官にとって)あまり記憶に残らない分野の事件だと思うのですが(あくまでも私見です)、かなり丁寧に事案をみておられる印象です。
平成17年改正会社法が施行され、会社法関連の裁判当事者として大規模な企業が登場するようになりました。大規模な企業が訴訟で最後まで争うとなりますと、判決や決定の社会的影響を無視することはできなくなり、裁判所も判決の影響力に(これまで以上に)配慮しなければなりません。
そうなると、考えられることは、事例の特殊性を前面に出して「こういった事情があるから今回はこっちを勝たせた」といえるようにすること(一般的な法理のようなものは使わない)。そしてもうひとつは下級審で認定された事実を再検証したうえで「まじめに商売をしている人」が泣かない裁判を出すこと(企業法務で著名な法律事務所が登場したり、著名な弁護士が出てきて黒を白に変えてくれる、ということがあってはならない)ということです。
本件についていえば、たしかに論点は「非公開会社株式の割当価格が有利発行にあたるかどうか」ということですが、有利発行に該当する資料に何を使ったか、どのような計算方法を用いたか、平均の時価評価はどの程度であったか、ということよりも、時系列に沿って事実を再検証したうえで、会社が苦しくて、明日はどうなるかわからない状況でも、メインバンクに頭を下げて、従業員になんとか給与を払って、なんとか会社を支えていこうと努力している人たちには、その努力に報いるべく、その努力の経過を評価しようというのが最高裁の姿勢ではないかと。
何か紛争が勃発して、その後、優秀な弁護士が登場してビジネスの経過を無視して証拠をそろえてみても無駄、ということであり、ひごろからコンプライアンス経営を積み重ね、企業の持続的な成長のために経済的合理性のある行動を重ねている企業が勝てる司法制度であってほしいと思います。「予測可能性」という言葉が判決に登場しますが、結果の重大性から過失を認定したり、後日、会社が成功したから非公開株式の評価額を算定する、というのは後出しジャンケンの発想かもしれません(自戒をこめて)。
日本システム技術事件の最高裁逆転判決のときも、内部統制システム構築義務に関心を抱き、地裁や高裁判断を支持していた私にとっては、その結末に頭を殴られるほどの衝撃を受けました。上場会社の社長さんが「財務報告の内部統制」にどれほどの関心を持ち、その時代に上場会社の社長さんがリスク管理として自ら対策をとれる範囲は「この程度」と丁寧な事実認定のうえで社長さんの言い分を通した最高裁判決に、丁寧な事実認定と「日頃の行い」の大切さを再認識しました。もちろんビジネスの世界のことですから、リスクを背負うべき人はリスクを背負わなければならないので、一方がまじめでもう一方がふまじめといった割り切りではなく、あくまでも冷徹なバランス評価の問題です(そういった意味で、福岡魚市場株主代表訴訟の最高裁判決も、私はどっちに転んでもおかしくなかったのでは、と思っています)。
拙著「ビジネス法務の部屋からみた会社法のグレーゾーン」の第一章でも書きましたが、企業が会社法を活用することによって紛争を回避できるためには(つまり事業コストを下げるためには)、まじめな企業が行動予測が立てられる法律でなければならないわけで、会社法の行為規範、開示規範を誠実に守り、説明義務をきちんと尽くしている企業(もしくは関係者)が勝てることを、司法の側面から支援できるものでなければならないと思います。ステークホルダーに対して「公正で透明性ある経営を続けている」と胸を張れる企業に対して「お天道様はみている」といえる司法制度が求められているのではないでしょうか。
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コメント
非公開会社なら、フリーハンドで好きな価格で増資できるようになっただけのように見えますが?
こういう事件は一般的に会社側の主張が丸呑みされ、地裁・高裁レベルで差し止め請求が棄却されるものですが、それが差止められたという事は不公正発行を疑うに足る相応の事情があったように見えます。
しかし、最高裁判決に従えば、情報の非対称性から極めて不利な立場におかれている株主側が立証活動の限りを尽くしても、テキトーな理由を会社がでっち上げてしまえば差し止めが不可能になり、差し止め請求は意味無いよと言ってしまったのと同義に見えます。
差し止めが認められても、再び新規に増資すれば、再度差し止め請求が必要になり、もともと制度的に無意味なんですけどね。
投稿: 匿名 | 2015年2月20日 (金) 16時28分
差し止めではなく、代表訴訟での損害賠償請求でした。ちょっと勘違いしていました。代表訴訟なら一応は意味はありますね。
増資関係は、少し狡賢ければ簡単に既存株主に損害を与えたり特定の集団に利益供与することができます。上場会社はソフトローで規制できるのかもしれませんが、今の取引所はやる気なしですから、上場会社でもやりたい放題かな?
裁判所が合理的な裁量によって公正価格を決めた上で、その価格との比較で有利発行とするかどうかを判断するならまだ救いがありますが、最高裁判例を見ると、一応合理的な理由が付いていれば良いと言う無茶苦茶さ。
増資や転社発行を株主総会の決議事項にしておくぐらいしか、効果的に不公正発行を防ぐ手は無さそうです。
もともと価格というのは、確立された評価法が無いのですから、立証に馴染まない問題です。それをあえて立証させようとすれば、立証責任のあるほう(株主側)が間違いなく負けます。
投稿: 匿名 | 2015年2月21日 (土) 19時19分
匿名さん、コメントありがとうございます。いま、原審と一審(金融・商事判例1414号)、原審に対する著名な学者さんのコメント(同1418号)などを読み比べていますが、この最高裁判断とのギャップがとてもおもしろいですね。おっしゃるとおりいろいろと問題点はありそうですが、やはり最高裁の判断過程についてはこれから話題になると思います。今回はぼやかして書きましたが、もう少し検討のうえ、さらにブログで持論を展開したいと思います。
投稿: toshi | 2015年2月21日 (土) 21時47分
株価が安く評価されることは役員にとっては好都合ですから、評価方法として配当還元法を採用したように見えます。配当還元法は相続税の規定で、政策的に株式の評価が低くなるようなフォーミュラーですから、同社のようにIPOを計画している会社の株式の評価方法としては合理的ではないでしょう。
直近で無配ですが150円の配当を前提とした評価が行われていることは、将来業績が改善して復配するとの予想をしていることですから、収益還元法を採用することも可能だったはずで、必ずしも配当還元法が採用可能な唯一の方法ではありません。また150円の配当は、平成10年度から12年度の実際の配当ですから、原審で述べられているようにこの配当額及び業績を前提とした平成12年5月時点の評価額1万円が、150円配当を前提とする評価では相当です。役員はこの評価額を認識しているはずですから、裁判所が事後的に評価を行ったとしても、同じ150円配当を前提とする限り「予測可能性」を害することにはならないでしょう。
IPOを計画している会社の株式の評価は、マーケットの指標と整合的であることが望ましいと思われます。配当額(150円)とマーケット指標がら同社の株価を算出してみました。
①株価=配当額÷配当性向×PER
②株価=配当額÷配当利回り
配当性向30%、PER15倍、配当利回り1.5%とすると、①7500円②10,000円となり、DCFの結果とも整合的です。この株価は上場企業の株価評価ですから、非上場会社の株価の場合には流動性ディスカウントを加味する必要がありますから、IPO直前の会社では通常30%程度ですが、同社はそれ以前の段階ですから50%と仮定すれば、株価のレンジは3750円~5000円ととなり、実際の評価額1500円は有利発行と言えるレベルであるように思われます。
投稿: 迷える会計士 | 2015年2月22日 (日) 12時41分
今回の最高裁の判決で一番良くわからないのは、破棄された理由が、法令解釈上の問題に全く見えないことです。実質的に事実認定の問題であり、下級審の判断に著しく不合理な部分があるという感じもしません。
一応合理的な算定を会社が行なった形跡があれば、実質的に見て価格が不公正であっても、特に有利な価格であると認定してならないとかいう趣旨の法令解釈を判例として残したかったのでしょうか?
最近の最高裁は、やたら軽量化したというか、判例として残すと後々禍根を残しそうな判断を頻繁に出すようになった気がします。昔は、覆すべきものまで門前払いして、慎重に判例形成してきたと思うんだけど。
投稿: 匿名 | 2015年2月23日 (月) 22時24分