"Comply or Explain"を受け容れる日本の企業文化を考える
本日、永く中東諸国で仕事をされていた大手商社の元役員の方からお聴きした話ですが、中東諸国の方々はルール違反にも「まぁ、それくらいなら・・・」といった気風が強く、これが日本から来た現場責任者にも受け入れられていたそうです。ところが英国から来ている責任者はほんの些細なルール違反にも厳しく指摘をして、さらに人格的な批判も加えることから、どうも中東の現場社員には評判が芳しくなかったとのこと。「なぁなぁを許す文化」と「許さない文化」の対比が極めて印象的だったとのお話でした。
そういえばコーポレートガバナンス・コードの規範となる「Comply or Explain」は英国が発祥の地ということだそうですが、このような話をお聴きしますと、この「コンプライ」と「エクスプレイン」はどうも並列的に考えることは間違いかもしれませんね。「なぁなぁ」を許す文化からすれば「従わなければ説明すればいいじゃん!」といった感覚でとらえがちですが、「なぁなぁ」を許さない文化からすれば「従う(Comply)」ことが当然であり、従わないというのはそもそもルール違反であり、企業倫理にも反するものである、といった感覚から出発しなければならないと思われます。2年半ほど前に、 「日本に"Comply or Explain"の規範は根付くのだろうか」といったエントリーを書きましたが、そこで考えていたこととも整合性があるように思います。
つまり、そこでは倫理意識を持っている企業であればコードには当然に従うべきものであり、これを従わないということは、コードの目的を達成できる代替手段があることと、この代替手段をとることが高い企業倫理をもって実行されることの二つの理由開示が求められるのではないでしょうか。ガバナンス・コードが先にできて後からスチュワードシップ・コードが作られた英国と、その逆で作られた日本とを一概に同列で判断することはできないかもしれませんが、この「コンプライ」と「エクスプレイン」を同等に扱うことができるかどうかは、規範意識の違いや規範違反に関する倫理観の違いなどを十分に比較しておく必要があるように思います。
ガバナンス・コードを適用するにあたり、そのあたりはすでに議論されているのでしょうか。とりわけ東証1部、2部に上場している企業としては、日本の機関投資家が対話の相手であればまだしも、海外の機関投資家との対話において、この認識のズレが誤解を生むことにならないかどうか、検討しておきたいところですね(もし、このあたりの問題意識をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです)。
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コメント
浅学菲才で恐縮ですが、以下コメントいたします。(コメント作成していたら長くなったので稚拙ですが自分のブログに書きました。コメントは端的に致します。)
私も、ComplyとExplainはコーポレートガバナンスコードでは価値としては同等とするのは難しそうだな、という印象で、投資家への説明も難しいのではないか、という感想です。
Explainの部分をコーポレートガバナンス報告書でComplyと同等レベルに記載するのは相当困難なので、Explainの役割としては、投資家との対話のきっかけづくりである、という見方もできるのではないでしょうか。Explainを検討する場合は、投資家が興味を持つような内容にすべきこと、投資家側から対話を求めてくることがあることを鑑みて、その内容を精査する必要があると思います。対話の準備も必要だと思います。
一方で法務的な観点から、対話をする必要のない悪質な投資家や反社会的勢力に対話を強制されないように、またリスクポイントがある、と思われないようにする必要もあり、そう考えるとExplainは非常に難しいなぁ、と感じたりしています。
また、Complyする場合でも「コーポレートガバナンス報告書での『開示』を求める諸原則」もあるわけで、このComply AND ExplainにおけるExplainも、いい加減なものだと、そのコード原則のみならず他の原則のComplyの価値や印象も引き下げる可能性があり、これもまた難しそうだなぁ、という印象がございます。
文化の違いで投資家の反応が違うかもしれませんし、アクティブ運用をしている機関投資家とパッシブ運用をしている機関投資家とでも、反応が違う可能性もあるかもしれません。なかなか悩ましいです。
投稿: Ceongsu | 2015年3月20日 (金) 12時35分
ComplyとExplainが同じレベルの価値であるべき、という点には賛同します。
Complyが原則であって、どうしてもComplyすることができない条件がある場合には納得できるようにExplainせよ、というのも理解できます。
しかし、最近のこの言葉の使われ方は、法的に義務化とした場合に予想される反発を煙に巻くための方便に過ぎないような印象を拭えません。
また、Explainという代替手段の存在を言い訳にして、Complyの適否や影響についての議論も拙速に過ぎるように感じています。
形式先行の改正に対して感じるモヤモヤ感と併せ、いったい何が起きているのか、という不信感が募るばかりです。
投稿: 無銘 | 2015年3月20日 (金) 13時43分
山口先生の「コーポレートガバナンス・コードの規範となる「Comply or Explain」は英国が発祥の地」というご説明について、コメントさせていただきます。
コーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードが導入されることが、日本の会社に少なからず混乱を与えるかもしれないと危惧する方も多いかもしれませんが、これらのコードの基本を押さえれば、難しいことはないのではないかと私は考えています。
株主と会社取締役との関係或は出資者と機関投資家との関係は、英米法の概念でとらえれば、信認関係であり、取締役や機関投資家は、信託における信認義務を負うべきものであると思います。信認義務とは、「duty of fiducialy」であり、誠実義務(duty of good faith)・注意義務(duty od care)・忠実義務(duyu of loyality)により構成されているものだと思います。名目的には、日本の会社法に言う「善管注意義務」と「忠実義務」を合わせたものと言えると思いますが、内容は大いに異なるものではないかと思います。
日本語の「義務」を考えるとき、「duty」ではなく、「obligation」の意味に使っていることが多いと思います。両者の差異は、「obligation」には、選択の余地はないが、「duty」には、「Comply or Explain」の余地がある言葉ではないかと思います。日本の信託法でも「受託者は、受益者のため忠実に」とさだめています。また、旧信託法では、「受託者ハ信託ノ本旨ニ従ヒ」と定めています。要は、両コードは、「悪いことするな」ではなく、「ベストを尽くせ」ということを求めているのではないかと思います。
取締役には、「obligation」はないが、「duty」があり、「受託者ハ信託ノ本旨ニ従ヒ」行動することが求められていると考えれば、コーポレートガバナンスコードを適切に理解できるのではないかと思います。
どこかで仕入れたか忘れてしまった歴史上の逸話ですが、ナポレオンをワーテルローで打ち負かした英国のウェリントン将軍が、柵に囲まれた、とある農場を無断で入り、近道をしようとしたが、牧童に発見され、注意された。自分が英国を救った英雄であることを知らない不届きな少年であると、ウェリントンは思ったが、農場主の財産を守ることは「my Duty!」と少年が叫んだので、将軍は馬から降りて、少年に最敬礼し、農場を迂回した。
英国人が、なぁなぁを許さない人間と考えるか否かは、人によるとは思いますが、資本市場では、取締役がベストを尽くすということが求められていることに違いはないように思います。コーポレートガバナンスコードが資本市場の活性化の一助になればと願いところであります。
投稿: 法律しろうと | 2015年3月22日 (日) 01時39分
皆様、大所高所からの参考意見、どうもありがとうございます。いや、ほんとにむずかしいのですね。切り口がいくつかありそうなので、整理したうえで今後のブログネタの参考にさせていただきます。日本語の「義務」の意味もなるほど、そういったご説明だと納得できそうです。
投稿: toshi | 2015年3月24日 (火) 01時51分