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2015年3月30日 (月)

企業の内部統制システムの不備と法人処罰の必要性

JR西日本の福知山線事故から10年が経過しようとしている3月27日、同社歴代社長3人に対する業務上過失致死傷被告事件の控訴審判決が出ました。第一審と同様に無罪判決です。過去に何度か当ブログでも取り上げましたが、やはり経営幹部の刑事責任を問うには、過失犯としての実行行為性(予見可能性、結果回避可能性)を認定する根拠に乏しいように感じます。

ただ、3月28日の朝日新聞朝刊1面(大阪版)の記事によると、指定弁護士(強制起訴事件の検察官役)がJR西日本の安全面における管理ミスを主張したことに対して、大阪高裁は「JR西の法人としての責任を問題とする場合、指定弁護士の指摘の中には妥当なものがある。だが今回の裁判では個人の刑事責任が問われている」と述べたそうです。この判決をきっかけに、改めて(立法論ながら)法人処罰の必要性について考えるべきではないでしょうか。

現在も両罰規定をもって法人の刑事処分を問う法令は多数存在します(そもそも法人に刑事処罰を科すことができるのか、という理屈の問題もありますが、ここでは触れないことにします)。しかし、JR西の事件のように、そもそも役職員の個人責任を追及することが困難であるからこそ、法人の注意義務違反を刑事責任として追及すべき事件があるように思います。このような事件には両罰規定では対応できません。上記の大阪高裁の判断は、おそらくこのような法人に対する直接的な責任追及の困難さを示したものと思われます。

たしかに法人のどのような行為を把握して「実行行為」と論じるかはむずかしいところです。民事責任とは区別して刑事責任を問う意味は、犯罪者に道義的な非難を加えるというところにありますが、そもそも法人自体にそのような非難を加えるべき対象行為を特定することは理屈の上で障碍があるように思います。ただ、最近は組織の内部統制の不備自体が厳しい社会的非難の対象となる事例が増えています。たび重なる飲酒運転による重大事故が社会的批判の対象となり、「飲酒運転」自体への非難のレベルが上がっているのと同じように、たとえ重大な事故を発生させていない場合でも、法人に安全配慮のための内部統制構築上の不備があれば、当該法人に事業停止などの行政上の措置を科される事例もあります。いわば内部統制システムの構築は手段から目的に変わりつつあり、ここに一般予防、特別予防的見地から制裁を加えるべき「組織の構造的欠陥」を論じることはできるのではないでしょうか。

加えて刑事訴訟法改正の中に他人犯罪申告型の司法取引制度が導入されますが、これも法人自身を「被告人」に含むことで企業の自浄能力発揮に役立つものと言われています。組織の役職員に対して刑事免責を付与しながら(黙秘権を解除して)、本当の事故原因を追及し、再発防止策につなげるというために、法人の刑事責任を認めることも有効だと考えられます。国民の安全、消費者被害の未然防止のためにも法人の刑事責任を認めるべき時代が到来しているように思います。列車事故、航空機事故、高度医療センターにおける事故等、誰かひとりの過失を特定できないが、それでも組織としてルールに反する行動があったと認定できるケースこそ、刑事責任を問いうるのではないかと。

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2015年3月27日 (金)

「社外取締役ガイドライン改訂版」が公表されました(日弁連)

先日、原案が公表されたコーポレートガバナンス・コードの第4章でも取締役、監査役のトレーニングの必要性が謳われていますが、このたび2年ぶりに日弁連「社外取締役ガイドライン」が改訂され、3月19日に公表されました(こちらの日弁連HPで閲覧できます)。このたびはタイムリーな改訂ということでマスコミからも注目されているそうです(ちなみに私は取材を受けておりません・・・)会社法が改正され、またガバナンス・コードが東証ルールとして策定される中で、新たに社外取締役に就任される方々に「ベストプラクティス」として参考にしていただくため、大幅に改訂されたものです。日弁連のお知らせから引用いたしますと、

(本ガイドラインについて)日弁連では、2013年2月に、弁護士会会員及びその他の社外取締役候補者、社外取締役を新たに選任する企業等を対象とした「社外取締役ガイドライン」を作成し、2015年3月に改訂しました。本ガイドラインは、取締役の善管注意義務の法的分析・整理を踏まえ、社外取締役の就任から退任までの役割等について、ベストプラクティスをコンパクトに取りまとめたものとなっています。社外取締役の方々や、社外取締役を迎え入れる企業等において、広く参考としていただければ幸いです。

ちょうど2年前、こちらのエントリーで解説本をご紹介しましたが、今回の改訂版につきましても新たに解説本を出版する予定でして、プロジェクトチームもいよいよ大詰めを迎えています。ちなみに私の担当は第8章の「監査等委員会設置会社における社外取締役」、第9章「その他社外取締役に期待される役割」です。いずれも今回の改訂版の要ですが、もちろん東京の企業法務に精通された弁護士の方々と何度も議論の末に出来上がったガイドラインなので、私の個人的な意見を示したものではありません。ただ、話題性の高いところ(監査等委員会設置会社、コーポレートガバナンス・コードから期待される社外取締役の役割)を担当させていただいたので、ぜひともご参照いただければと。

法曹の書いた「ガイドライン」というと、従来の「守りのガバナンス」中心の指針ではないか、といったイメージを持たれるかもしれませんが、本ガイドラインは経営者(OBを含む)、行政職OB、コンサルタント、会計士といった方々にも参照いただくための指針を示したものであり、ガバナンス・コードを意識した「攻めのガバナンス」実現に寄与する社外取締役を念頭に置いています。また、平時にも有事にも役に立つものとして、その行為規範を意識しながら指針を示していますので、「就任前」「就任直後」「日常の活動」「事業再編や不祥事など、有事の際の行動」等、状況に合わせて活用いただけるようになっています。

各企業の状況によって求められる役割も異なると思いますので、ガイドライン自体はどうしても抽象的な表現が用いられ、いわば「プリンシプル」な規範にならざるをえませんが、そのあたりは改訂版の解説本において補う予定です。社外取締役を迎え入れる経営者のホンネ、対話の時代といわれつつも、対話には限られた時間しかない機関投資家の悩み、そして制度について一般投資家が抱く懐疑心なども意識したうえで策定したつもりです(いや、このあたりは委員のひとりとしての思い入れかもしれませんが・・・)。冒頭に示したように、まさに「取締役、監査役の研鑽の教材」として活用されることを切に願うところです。解説本(改訂版)も商事法務さんから出版されますので、ぜひぜひよろしくお願いします。

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2015年3月24日 (火)

事後規制時代における新しい裁判所の役割-アートネイチャー株主代表訴訟への意見

またまた旬刊商事法務の最新号(2062号)からの話題ですが、巻末「スクランブル」においてアートネイチャー株主代表訴訟最高裁判決への筆者の評価が記されています。スクランブルは(一般的に)辛口評が多いと思いますが、筆者は同最高裁判決を「この判決は画期的」「裁判所の役割に新しい地平線を開くものであるように思われる」「全員一致でこのようなはっとさせる判断に至ったことに最高裁の慧眼を感じる」と、かなり好意的に評しておられます。これから出されるであろう学者や実務家の方々の判例評釈がますます楽しみになってきました。

私自身も、第一印象的なものではありますが2月20日の拙ブログのエントリー「お天道様と最高裁はみている-ある最高裁判決への雑感」において、

何か紛争が勃発して、その後、優秀な弁護士が登場してビジネスの経過を無視して証拠をそろえてみても無駄、ということであり、日頃からコンプライアンス経営を積み重ね、企業の持続的な成長のために経済的合理性のある行動を重ねている企業が勝てる司法制度であってほしいと思います。「予測可能性」という言葉が判決に登場しますが、結果の重大性から過失を認定したり、後日、会社が成功したから非公開株式の評価額を算定する、というのは後出しジャンケンの発想かもしれません(自戒をこめて)。

と書きました。(当ブログとスクランブルとのレベルの差は別として)個々の事案で何が真実であったかをミクロ的に追求するのではなく、経済活動があるべき手順に従って行われていることを確認することに裁判所の役割がある、と感じています。「事前規制時代から事後規制時代となり、裁判所の役割は重くなっていたが、そこからさらに経済社会の自律(自立ではなく自律です)の時代にパラダイムの変更がなされたのではないかと感じる」とのことですが、まさにそのとおりかと。

もちろん損失や利益の公平な分担、という視点を重視することも民事訴訟を解決する裁判所の重要な役割だと思います。裁判所の判断が必然的に結果論になってしまうところを否定するものではありませんし、あるべき「公正な価格」を探るために後出しジャンケン的に裁判所が株価算定を行うということも法の定めたルールに則った形であれば許容されるものと思います。しかし、予見可能性を重視することが経済社会の「効率性」に資するものであるならば、このような裁判所の判断過程が今後は広く受けいられるのではないでしょうか(もちろんご批判もあるでしょうけど・・・)。

同じような意味において、このたび「親権者(法定監督義務者)の子に対する監督責任」(民法714条責任)に関して最高裁で弁論が開かれたというニュースにも注目しています(ちなみに新聞記事では民法709条なのか714条なのかわかりませんでしたが、NHKニュースによって、714条責任が争点であることがわかりました)。責任能力に乏しい子供の過失行為について、親が監督責任を尽くしたことを立証できない以上は責任を負うことになります。

一般的には損害の公平な分担という見地から、親の監督義務の免責は容易には認められないと考えていますが、このたびの最高裁はこの「監督責任」の具体的な判断基準を提示する可能性は高いと思われます。仮に最高裁が新たな判断基準を示した場合、認知症高齢者の監督者責任などにも影響を及ぼす可能性があるはずです。ここでも「予見可能性」が問われ、監督者の行為規範が本気で議論されるきっかけになるのではないでしょうか。

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2015年3月20日 (金)

(号外)"Comply or Explain"を受け容れる日本の企業文化を考えるⅡ

本日手元に届いた旬刊商事法務(3月15日号)において、田中亘東大准教授が「取締役会の監督機能の強化~コンプライ・オア・エクスプレイン・ルールを中心に~」と題する論文を発表されておられ、その中で「社外取締役を置くことが相当でない理由」として適切な対応をご披露されています。

この3月10日から12日まで、日本監査役協会で3日連続講演をさせていただきましたが(明治記念館、東京プリンス2日)、そこで私が「相当でない理由の具体例」として述べたところが、そのまま田中先生の解説でも「具体例」として述べられておりますので、とりいそぎお知らせした次第です。いわゆる「適任者がいないという説明」の工夫ですね。

私も田中先生と全く同じ説明で大丈夫だと思っていますが、講演ではあえて「ガバナンス・コード」への取組みも説明に付加しました。ガバナンス・コード原案が確定した今では、これに対する取り組みに熱心になればなるほど、ふさわしい人でなければ社外取締役として迎えることはできないという工夫です。国策ガバナンスといわれているなかで不謹慎ですが金融庁と法務省の「縦割り」の間隙を突く・・・といったことになろうかと。

また、「探しているけどみつからない」という説明の問題点についても述べましたが、それは田中論文の注33で紹介されている藤田教授(東大)の意見だったことを知りました。たしかに理屈のうえでは藤田先生の意見が通りそうにも思えるのですが、文言解釈としてはどちらもありかな・・・ということで。

延べ1500名ほどの監査役の方々の前で申し上げたことなので、少し責任を感じておりましたが、「お墨付き」をいただいたようで、ややホッとしております(^^;ご興味がある方は最新の旬刊商事法務をご参照ください。

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2015年3月19日 (木)

"Comply or Explain"を受け容れる日本の企業文化を考える

本日、永く中東諸国で仕事をされていた大手商社の元役員の方からお聴きした話ですが、中東諸国の方々はルール違反にも「まぁ、それくらいなら・・・」といった気風が強く、これが日本から来た現場責任者にも受け入れられていたそうです。ところが英国から来ている責任者はほんの些細なルール違反にも厳しく指摘をして、さらに人格的な批判も加えることから、どうも中東の現場社員には評判が芳しくなかったとのこと。「なぁなぁを許す文化」と「許さない文化」の対比が極めて印象的だったとのお話でした。

そういえばコーポレートガバナンス・コードの規範となる「Comply or Explain」は英国が発祥の地ということだそうですが、このような話をお聴きしますと、この「コンプライ」と「エクスプレイン」はどうも並列的に考えることは間違いかもしれませんね。「なぁなぁ」を許す文化からすれば「従わなければ説明すればいいじゃん!」といった感覚でとらえがちですが、「なぁなぁ」を許さない文化からすれば「従う(Comply)」ことが当然であり、従わないというのはそもそもルール違反であり、企業倫理にも反するものである、といった感覚から出発しなければならないと思われます。2年半ほど前に、 「日本に"Comply or Explain"の規範は根付くのだろうか」といったエントリーを書きましたが、そこで考えていたこととも整合性があるように思います。

つまり、そこでは倫理意識を持っている企業であればコードには当然に従うべきものであり、これを従わないということは、コードの目的を達成できる代替手段があることと、この代替手段をとることが高い企業倫理をもって実行されることの二つの理由開示が求められるのではないでしょうか。ガバナンス・コードが先にできて後からスチュワードシップ・コードが作られた英国と、その逆で作られた日本とを一概に同列で判断することはできないかもしれませんが、この「コンプライ」と「エクスプレイン」を同等に扱うことができるかどうかは、規範意識の違いや規範違反に関する倫理観の違いなどを十分に比較しておく必要があるように思います。

ガバナンス・コードを適用するにあたり、そのあたりはすでに議論されているのでしょうか。とりわけ東証1部、2部に上場している企業としては、日本の機関投資家が対話の相手であればまだしも、海外の機関投資家との対話において、この認識のズレが誤解を生むことにならないかどうか、検討しておきたいところですね(もし、このあたりの問題意識をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです)。

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2015年3月18日 (水)

刑事訴訟法改正で脚光を浴びるか-デジタルフォレンジック

先週土曜日(3月14日)、大阪弁護士会・日本公認会計士協会近畿会共催事業として「第三者委員会とデジタルフォレンジック」と題する合同研修会が開催されました。会計士協会側は丸山満彦氏(デロイトトーマツ・リスクサービス代表取締役)、弁護士会側は私が講師を務めました。昨年、世間を騒がせた刑事事件でフォレンジックの陣頭指揮をとられた丸山先生と私とでは、だいぶレベルの差がありましたが(^^;、会場にはフォレンジックにあまりなじみのない先生方もいらっしゃったようなので、私もそれなりにお役に立てたかもしれません。

ところでデジタルフォレンジックといえば、月曜日の日経法務インサイドでも取り上げられていた刑事訴訟法の改正との関係が注目されるところです。3月13日に刑訴法改正案が国会に提出されましたが、「捜査協力型」の司法取引制度が導入されていまして、容疑者や被告が他人の犯罪について検察官に申告し、これによって他の犯罪捜査につながる場合には不起訴処分や刑の減軽が得られるという制度です(なお、新聞記事にもあるように、自己の犯罪を申告して刑の減免を得る自己負罪型の司法取引制度は導入されていません)。対象となる犯罪行為には、独禁法違反や金商法違反などの経済犯罪行為を含みますので企業としても関心が高まるところです。

そもそも今回の刑訴法改正は、あの郵便法事件(村木さんの件)における検察不正が発端となったものなので、この「捜査協力型」司法取引制度の導入についても、けっして検察権限を強化する、というものではなく、自白偏重の捜査を少しでも客観的証拠による立件体制に戻すため、というものだそうです。できるだけ人権侵害を回避しつつ、(末端の実行者ではなく)重要な経済犯罪における首謀者への捜査を可能とすることに機能することが期待されます。

ところで、いくら他人の犯罪を申告するといっても、検察官がこれを有用な情報だと認めなければ申告したことにはならないわけでして、だからこそフォレンジックによるメールや電子証拠、WEB記録の保存や分析が有用になります。とくに電子文書の内容もさることながら、電子文書の存在価値(原本性、同一性)が重要な証拠になるものと思われますので、企業自身だけでなく、社員にもデジタルフォレンジックの知見が必要になってくるのではないでしょうか。検察官が立件に耐えうる証拠と判断するために、文書の証明力よりも証拠能力に注目することが予想されます。経済犯罪の立件のためには企業に存在する多くの電子文書が求められますが、それらが真正に作成されたものであることが客観的に証明されるのであれば、検察官にとっても有力な資料になると思います。

企業自身が不起訴や刑の減免の対象になるのかどうか、証拠の持ち出しや分析の正当性に関わる公益通報者保護法の改正はどのような方向性を持つのか、といった今後の課題もありますが、捜査に協力する企業や社員の存在が奨励される時代となれば、デジタルフォレンジックのスキルを磨く企業や社員が確実に増えるものと思います。

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2015年3月16日 (月)

免震偽装-守るべきステークホルダーの優先順位を考える

3月27日に予定されている定時株主総会といえば大塚家具さんが注目されていますが、もう一社、注目されるのが東洋ゴムさんの総会ではないでしょうか。すでに大きく報じられている東洋ゴムさん(子会社)の免震偽装事件ですが、発生経緯等は現在弁護士らによって調査中とのことだそうです。東洋ゴムさんの3500億円の年間売上のうち、免震事業はわずか7億円程度ということですから、やはり不祥事が企業経営に及ぼす影響は大きいことを痛感します。

本件は典型的な性能偽装(データ改ざん)事件のようですが、謝罪会見時の社長さんの発言によれば「不正行為に及んだ担当者は顧客への納期を間に合わせたいために行ったのではないか」とのこと(たとえばWSJニュースはこちら)。おそらく社長さんの推測は当たっているのではないかと(私も)思います。いわゆる「まじめな企業で発生する不祥事」の典型例です。取引先に喜んでもらいたいという気持ちで普段は仕事をしているはずで、その気持ちが有事(納期に間に合わないおそれのある状況)となればさらに強くなります。専門性の強い職場の社員であればあるほど、「たとえ行政の安全基準があったとしても、自社の安全審査を通過していれば問題ない」といった自信(過信?)が高まり、顧客の信頼を維持することがもっとも大切という倫理観が優先するようになります。

しかしこれは、東洋ゴムさんの技術社員の方が有事において守るべきステークホルダーの優先順位を誤っているものと思います。申し上げるまでもなく、まず守るべきステークホルダーは免震構造を施した建物の居住者の生命の安全です。いくら高度な技術を有する社員が「国の安全基準に達していなくても実際の免震構造には何ら問題はない」と判断していたとしても、それは国民からは見えないものであり、「基準をクリアした製品が使われているから安心」といった国民の信頼を裏切るものとなります。「今期は最高益を出したそうだが、結局のところ自社の利益のほうが国民の安心よりも大切と思っているのではないか」と批判されてもしかたないと思います。ステークホルダーへの適切な対応というのは、どこの企業でも当然に要請されるところですが、時としてステークホルダーの要望は両立しないことがあります。その際に、誰の利益を最優先とするか、その優先順位の考え方こそ当該企業の「企業倫理」であり、平素から社内に周知徹底する必要があります。

もうひとつ気になりましたのが「彼(担当社員)しか技術のことがわからず、高い専門性ゆえに上司も(性能偽装に)気づかなかった」とした社長さんの発言です(たとえば毎日新聞ニュースはこちら)。これも技術社員による不正はブラックボックスで発生するために大きな不祥事に発展してしまう場合の典型例を示すものです。しかし実際には昨年2月、つまり技術社員の職場が変わった直後に不正疑惑が判明していたようなので、決して不正チェックが困難だったというわけではなかったように思います。要はダブルチェック等の監視体制が適切にとられていたとすれば、もっと早期に不正を発見できたのではないでしょうか。前にも述べたとおり、全体の売上規模からすればわずかであり、事実上は子会社が担当している免震事業ということですから、社内におけるリスク評価としての優先順位は低かったのかもしれません。ただ発生可能性(発生確率)はいくら低いとしても、いったん発生した場合のリスクの重大性は今回のマスコミ報道のとおりです。とりわけ東洋ゴムさんは2007年にも性能偽装事件を起こしていますから、このあたりのリスクの重大性に関する「気づき」をどの程度社内で共有されていたのか、今後の調査結果に関心が寄せられるところかと思います。

関係建物の調査や修復、関係者への民事対応、そして事業再開に向けての国交省対応など、今後東洋ゴムさんが取り組むべき問題はいろいろとありますが、まずは何といっても国交省には安全を、そして国民には安心を提供することが最重要課題です。全社一丸となって安全対策の「見える化」に取り組まれることを期待しています。

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2015年3月11日 (水)

コーポレートガバナンス「コード」の意味を二つの比較から考える

毎年恒例の日本監査役協会における春の講演もいよいよ佳境に入りまして、東京3日連続講演の初日が終了いたしました(本日は明治記念館で、あと二日は東京プリンスです)。本日も500名を超える監査役の皆様にお越しいただきまして、どうもありがとうございました(4年前は震災後の開催ということもあり、明治記念館の閑散とした雰囲気の中で講演をさせていただいたことが想い出されます)。本日は特別にガバナンスコード原案を活用した「社外取締役を置くことが相当でない理由」の一例をご披露させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

さて、今年の春の日本監査役協会全国会議では、有識者会議の重鎮でいらっしゃる神田教授が「コーポレートガバナンス・コード」について解説をされるそうで、おそらくたくさんの監査役の皆様が聴講されると思います(楽しみですね)。私は金融庁HPに毎回アップされます議事録で内容を確認をしていただけにすぎない者ですが、東証規則に反映された後の実務対応にはとても関心を持っています。とくに日本の企業社会に「コード」が根付くのかどうか、過去2回、2007年にはJ-SOXにおいて、そして2010年にはIFRS適用において金融庁から「プリンシプルを理解するための11の誤解」といったリリースが出て世間の混乱を収束させましたが、またそういったことにならないのでしょうか。

先日アップしました「日本型人事ガバナンスと社外取締役の役割」なるエントリーにコメントしていたたいでいる「いたさん」のご意見のように、今回「コード」を理解するためには、「二つの比較」が理解を助けるように思います。一つ目の比較は、いたさんのように、どうして法務省の会社法改正パブコメ回答は懇切丁寧なのに、金融庁パブコメ回答はアバウトなのでしょう。そして二つ目の比較はガバナンス・コードへの日本人の意見と海外からの意見との比較です。(私も含めて)日本人は横並びが好きだなぁ、従うべき明確なルールが好きだなぁと感じます。それぞれの比較の中から、ルールベースとプリンシプルベースの考え方の違いのようなものが垣間見えてくるのではないでしょうか。

私もコードについて詳しく理解をしている者ではありませんが、あのJ-SOX導入時の混乱の渦中でいろいろな経験をさせていただいた一人であることは間違いありません(金融庁のラウンドテーブルにも登壇させていただき、記念のトロフィーをいただきました 笑)。今後いろんなところで「ガバナンス・コードの実務対応」といった研修や講演が開催されると思うのですが、またJ-SOXと同じ混乱に陥ることだけは避けていただきたいと祈念しております。ここが「スチュワードシップによる対話」が成功するか否かの分水嶺だと思います。もし失敗すれば、機関投資家もエンゲージメントによる「羊の対応」ではなくエージェンシー理論による「狼の対応」に戻ってしまうはずです。今回は「国策ガバナンス」ということですから、おそらくそのあたりは国を挙げてプリンシプルによる制度運営を確保するとは思いますが・・・。

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2015年3月 9日 (月)

社外取締役候補者が気分を害するおそれのある定時株主総会(?)

今年は3月決算会社の定時株主総会(6月ころ)の準備が例年以上に忙しそうですね。総会担当者や監査役の皆様はまさに「有事」の状況にあるのではないでしょうか。おまけに5月下旬にはコーポレートガバナンス・コード(原案)が確定するとなっては、上場会社の場合にはパニックになってしまうところも出てくるかもしれません。

本日はホントにたいしたお話ではないのですが(忙しい方はスルーしてください)、会社法や会社法施行規則の一部改正に伴い、関係者の方々は改正会社法上の行為規範や開示規範(書類の記載事項のルール)がいつから適用されるのか、ということに配慮しなければなりません。ところで、いろいろと考えてみますと「これって社外取締役候補者が株主総会で気分を害する事態にならないか?」と不安を抱くところがありそうです(もし私の条文解釈が誤っていたら削除します-笑)。

特定監査役会設置会社が、事業年度末に社外取締役を置いておらず、新たに定時株主総会で社外取締役の選任を予定している場合、事業報告には「(当該事業年度において)社外取締役を置くことが相当でない理由」を記載し、また(参考書類の記載は不要ですが)株主総会では「社外取締役を置くことが相当でない理由」を述べなければならないとされています(経過措置に関する条文からみると、そうなります)。立案担当者の解説では「(そのようなケースでは)理由は簡潔でもよい」と述べておられるそうですが、それでも理由の説明が不要とはされていません。とりあえず何か合理性のある理由を述べないと取締役の選任決議取消事由になってしまう可能性あり・・・などと言われますと、「テキトーに」と軽く考えることもできないですよね(^^;

ということは(普通に考えると)、新たな社外取締役候補者が出席している株主総会の場における議長の説明では「うちの会社は社外取締役がいると企業価値を害する、つまり百害あって一利なしだ。しかし法律が入れろというのでしかたなく一人入れることにしました」と株主には聞こえてしまうのではないでしょうか。いや、株主だけでなく、社外取締役候補者にもそのように聞こえてしまうのではないかと。まぁ、社外取締役候補者の方には事前に「こんなもんです」と説明できますが、一般株主にとっては「なんだ、この候補者は何もしないことが会社から期待されているのか?」と理解されてしまうのでは、と。

これはよほど説明に気をつけないと、株主や社外役員候補者に誤解を招くように思います。「今年の総会で社外取締役を入れない会社であれば(粛々と理由を説明すればよいので)とくに問題ない」と言われていますが、そのような会社でも社外取締役候補者の選任議案が株主提案として出された場合とかはどうなるのでしょう?別の社外取締役候補者は立てにくいですし、「反対理由」もむずかしいですね。

ともかく、新たに会社提案として社外取締役選任議案を出す会社まで、なぜ社外取締役を選任する総会で「置くことが相当でない理由」を述べないといけないでしょうか。行為規範の要件効果論による「理屈」としてはわかるのですが、現場の空気としてきわめて不適切な状況になってしまうように思いますが、いかがでしょう。それとも「今の今まで、当社は社外取締役は有害だと思いましたが、この候補者の方に接して考え方が変わりました!当社の考え方が間違っていました。企業価値の向上に資するものです!」とでも説明するのでしょうか?

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2015年3月 5日 (木)

社外役員がボタンを押した大塚家具経営権紛争

本日(3月5日)、いよいよ金融庁有識者会議においてコーポレートガバナンス・コード案が確定するものと思われます。なかでも独立社外取締役の実効性については懐疑的なご意見も多いようなので、どのような内容で確定するのかとても注目しています。

ところで昨年12月12日に公表された「コーポレートガバナンス・コード原案」の原則4-8(独立社外取締役の有効な活用)補充原則4-8①では、

独立社外取締役は、取締役会における議論に積極的に貢献するとの観点から、たとえば独立社外者のみを構成員とする会合を定期的に開催するなど、独立した客観的な立場に基づく情報交換・認識共有を図るべきである(独立社外者のみを構成員とする会合については、その構成員を独立社外取締役のみとすることや、これに独立社外監査役を加えることが考えられる)。

とされています。上記補充原則が、正式なコードにおいて維持されているかどうかはわかりませんが、昨日(3月4日)リリースされたジャーナリスト磯山氏の記事「大塚家具「ワンマン」会長に、社外役員6人が突き付けた「改善要求6ヵ条」を公開。父娘対立の裏に深刻なガバナンス欠如があった」によると、今回の大塚家具さんの壮絶な経営権争いの発端は同社の全社外取締役、全社外監査役連名による要望書にあったようです(もちろん記事が正確であることを条件に・・・ということですが。しかし取締役会の内幕がこのように記者の知るところとなる・・・というのもなんとなく不思議な気もします)。まさにガバナンス・コード案にあるような、独立社外役員の協調行動が大塚家具さんのガバナンスを変える大きな要因になった、ということのようですね。

最近の東洋経済さん、ビジネスジャーナルさんの記事なども併せて参照してみますと、私が2月19日付けで書いたエントリー(大塚家具支配権争いにみる「社長解任の極意」)の予想とも一部合致するところが明らかになっています。昨年7月に現社長が解任された取締役会を取り仕切った方(そのときは解任議案に賛成5、反対1、棄権1 なお現社長の久美子氏は利害関係人として議決権は行使できない、というのが判例の立場です)が、今回の協調行動の直後に取締役を辞任されたのですね。その結果、今回は現社長の返り咲き(社長選任)議案について賛成4、反対3(なお選任議案については久美子氏は利害関係人とはみなされないので議決権を行使できます)というまことに微妙な僅差で議案が可決されたようです。まさに社外取締役がボードを握っていたことになります。

また、私の以前のブログでは「経営に参加していない親族の意向なども流動的」と書きましたが、社内取締役のおひとり(創業者の三女の夫)が、1月23日の取締役会では久美子氏選任について賛成に回っていたのですね。創業者の方は「あんなに面倒をみてきたのになぜだ!」と会見で憤っておられたそうですが、これはよくあることです。ひょっとして、この1月23日の取締役会で現社長(久美子氏)の選任議案だけを上程して、創業者の社長、会長解職議案を通さなかったのは、この社内取締役さんが「解職議案を出さないことを条件に賛成する」といった意見を述べていたからかもしれません(これはあくまでも推測ですが)。

そして議決権はないものの、社外監査役さん方の後押しが大きいと思います。もし上記記事が正確なものであれば、取締役の善管注意義務違反に関する意見なども出され、社外役員自身にも緊迫感が生まれてきたのかもしれません。先に述べたとおり、創業者側を支持されていた社外取締役の方は要望書提出後に辞任され、久美子氏解任議案が出された昨年の取締役会で棄権をされた社外取締役の方も、今回は選任議案に賛成されたのも、やはり社外監査役さん方の協調行動によるところが大きいのではないかと(ここはあくまでも私の推測ですが・・・)。社外役員6名が動くとなれば、いくらワンマン創業者といえどもガバナンスの変革を迫られる事態になる、ということがわかります。明治安田生命さんは社外取締役のみで構成される会議を創設されるそうですが、「社外役員会議」のようなものが社内で組織されるとなると、取締役会の雰囲気も変わりそうです。

なお、これは創業者の肩を持つ・・・というわけではありませんが、昨年7月に私がブログで書いた見立てについては、まだ私はこだわりを捨てきれないでおります。経営の第一線から離れた創業者の元には、現経営者から疎外された派閥や取引先などから「助けてください」との声が多数寄せられます。現経営者のコンプライアンス上の問題なども、そっと社内から届けられることも多いと思います。疎外された従業員や取引先の思いをなんとかしなければ・・・という気持ちが湧いてくると、もう一回会社を立て直そうと奮い立つのが創業者ではないでしょうか。そのような「立て直し」は、一方からみれば「情け容赦ない人事粛清」に映ります。世間では親子の確執だといわれていますが、私はいったんリタイヤした創業者の気持ちを奮い立たせるのは、やはり社内力学であり、気に入らないブレーンの存在であり、これはどこの企業にもあると感じています。

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2015年3月 2日 (月)

日本型人事ガバナンスと社外取締役の役割

Tyuqq1298法律時報2014年10月号にて、日本を代表する商法学者でいらっしゃる江頭憲治郎教授が「会社法改正によって日本の会社は変わらない」とする論文を掲載されました。平成26年改正会社法は成長戦略を後押しするためのガバナンス改革を推進していますが、そもそも日本企業の(岩盤である)社内人事システムを変えない限りは、会社法改正が目指す方向によってガバナンスを変えても(取締役会の構成員として、社外取締役を過半数にしても)日本の会社は変わらない、という趣旨の論文です。そこでは経営者監督制度の欠陥は、資本市場衰退の原因としては「周辺的事情」にすぎないとされていました。

私もこの江頭論文にはたいへん感銘を受けまして、江頭先生が何度も引用されておられた三品和弘教授(神戸大学経営学部)の著書も2冊読みました(たとえば写真にある「戦略不全の論理」等)。また、日本の人事制度について少しでも理解したいと思い、楠木新氏の著書も読み(現在は最新刊の「知らないと危ない、会社の裏ルール」等)、大学時代の友人である某社人事部長からも参考意見を聞いたりしておりました。ただ、私の拙い理解力では、なかなか江頭論文に対する答えが見つかずに逡巡しておりまして、「どなたかこの江頭論文を正面から受けて立つような商法学者さんはおられないのだろうか」と感じておりました。

そしてこのたび、法律時報2015年3月号(上記写真)の会社法特集の巻頭論文にて、大杉謙一教授が「上場会社の経営機構」なる論文を発表され、この江頭論文に対するひとつの意見が出されました。これまで法律家が触れることができなかった日本企業の人事システム(社長がどのように決められるのか)とガバナンスとの関係を、日本型人事システムの長所・短所を検討しながら明確にしていこうとする試みは、非常に斬新で興味深いところです。結論としては、日本企業の業績向上のためには、経営者監督制度(社外取締役導入)は単なる「周辺的事情」ではなく、経営者の養成・選抜において果たすべき役割があり、日本企業はこの点において改善すべき課題があるとされています。

ここからは私の勝手な推測ですが、大杉教授には「法律学者は狭いジャンルに閉じこもっていてはならない、たとえば経営学や労務人事の領域に横たわる問題も考察して、普遍的な教養としてのガバナンス論を展開すべきである」との思いがあるのではないでしょうか。私も、このたびのガバナンスの論議では、「株主との対話」という時間軸が付与され、企業側には説明責任という「メッセージ性」が求められる時代となり、単に要件効果論を超えた「実学」としてのガバナンスを検討する必要性を感じていますので、この大杉教授の論文にはたいへん共感するところです。

大杉教授は管理技能要請を重視する日本の人事制度の中では、経営技能を必要とする経営者は生まれてこないし、経営者自ら学ぶにしても平均4年程度という社長在任期間は短すぎるので、この経営技能を補完するものが社外役員の重要な役目である、したがって経営者と対等に議論ができる社外役員の環境を整備することが必要だとしています。またそもそも多角化展開する企業にこそ社外役員は必須であるが、専業企業や創業者社長がリーダーとして君臨している企業、創業家が一定の株式を保有している企業にまで社外役員を強制的に導入することには疑問を呈されています。

大杉教授の論文では、こういった経営者監督制度を日本企業の業績向上に結び付けるためには企業側の「伝統と決別する意思」に期待するとされていますが、実務感覚としては、(もちろん企業側の胆力も必要ですが)むしろ社外取締役として会社経営に関わる側の胆力が求められているものと考えています。どんなに制度上「独立性」が求められたとしても、会社と全く無関係な人が社外取締役になるわけではありません。社長の知人や知人の紹介によるケースが多く、かりに全く知人ではないとしても、社外取締役候補者と社長との面談結果によって最終的には就任者が決まるのが一般的です。そのような経緯で社外取締役に就任した人が、本当に「経営技能の補完」機能を尽くすことができるのかどうか、これはなんらかの制度的保障が求められるように思います。その制度的保障としてふさわしいものが何かは、コーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの運用の中で検討されていくのではないかと。

大杉教授ご自身もお書きになっておられるように、この論文には多数のご異論、ご批判も出てくるかもしれません(とくに日本企業の共同体性格については、有識者の間でもいろんな意見があるのでしょう)。しかし大杉教授のあの名論文「監査役制度改造論」と同じように、今後の日本企業のガバナンスを語るうえで、(よい意味での)起爆剤(カンフル剤?)になり、さらには経営学や経済学の先生方から、この大杉論文への言及がなされ、ガバナンスが学際を超えた普遍的な「公共財」となることに期待をしたいと思います。

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