日本型人事ガバナンスと社外取締役の役割
法律時報2014年10月号にて、日本を代表する商法学者でいらっしゃる江頭憲治郎教授が「会社法改正によって日本の会社は変わらない」とする論文を掲載されました。平成26年改正会社法は成長戦略を後押しするためのガバナンス改革を推進していますが、そもそも日本企業の(岩盤である)社内人事システムを変えない限りは、会社法改正が目指す方向によってガバナンスを変えても(取締役会の構成員として、社外取締役を過半数にしても)日本の会社は変わらない、という趣旨の論文です。そこでは経営者監督制度の欠陥は、資本市場衰退の原因としては「周辺的事情」にすぎないとされていました。
私もこの江頭論文にはたいへん感銘を受けまして、江頭先生が何度も引用されておられた三品和弘教授(神戸大学経営学部)の著書も2冊読みました(たとえば写真にある「戦略不全の論理」等)。また、日本の人事制度について少しでも理解したいと思い、楠木新氏の著書も読み(現在は最新刊の「知らないと危ない、会社の裏ルール」等)、大学時代の友人である某社人事部長からも参考意見を聞いたりしておりました。ただ、私の拙い理解力では、なかなか江頭論文に対する答えが見つかずに逡巡しておりまして、「どなたかこの江頭論文を正面から受けて立つような商法学者さんはおられないのだろうか」と感じておりました。
そしてこのたび、法律時報2015年3月号(上記写真)の会社法特集の巻頭論文にて、大杉謙一教授が「上場会社の経営機構」なる論文を発表され、この江頭論文に対するひとつの意見が出されました。これまで法律家が触れることができなかった日本企業の人事システム(社長がどのように決められるのか)とガバナンスとの関係を、日本型人事システムの長所・短所を検討しながら明確にしていこうとする試みは、非常に斬新で興味深いところです。結論としては、日本企業の業績向上のためには、経営者監督制度(社外取締役導入)は単なる「周辺的事情」ではなく、経営者の養成・選抜において果たすべき役割があり、日本企業はこの点において改善すべき課題があるとされています。
ここからは私の勝手な推測ですが、大杉教授には「法律学者は狭いジャンルに閉じこもっていてはならない、たとえば経営学や労務人事の領域に横たわる問題も考察して、普遍的な教養としてのガバナンス論を展開すべきである」との思いがあるのではないでしょうか。私も、このたびのガバナンスの論議では、「株主との対話」という時間軸が付与され、企業側には説明責任という「メッセージ性」が求められる時代となり、単に要件効果論を超えた「実学」としてのガバナンスを検討する必要性を感じていますので、この大杉教授の論文にはたいへん共感するところです。
大杉教授は管理技能要請を重視する日本の人事制度の中では、経営技能を必要とする経営者は生まれてこないし、経営者自ら学ぶにしても平均4年程度という社長在任期間は短すぎるので、この経営技能を補完するものが社外役員の重要な役目である、したがって経営者と対等に議論ができる社外役員の環境を整備することが必要だとしています。またそもそも多角化展開する企業にこそ社外役員は必須であるが、専業企業や創業者社長がリーダーとして君臨している企業、創業家が一定の株式を保有している企業にまで社外役員を強制的に導入することには疑問を呈されています。
大杉教授の論文では、こういった経営者監督制度を日本企業の業績向上に結び付けるためには企業側の「伝統と決別する意思」に期待するとされていますが、実務感覚としては、(もちろん企業側の胆力も必要ですが)むしろ社外取締役として会社経営に関わる側の胆力が求められているものと考えています。どんなに制度上「独立性」が求められたとしても、会社と全く無関係な人が社外取締役になるわけではありません。社長の知人や知人の紹介によるケースが多く、かりに全く知人ではないとしても、社外取締役候補者と社長との面談結果によって最終的には就任者が決まるのが一般的です。そのような経緯で社外取締役に就任した人が、本当に「経営技能の補完」機能を尽くすことができるのかどうか、これはなんらかの制度的保障が求められるように思います。その制度的保障としてふさわしいものが何かは、コーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの運用の中で検討されていくのではないかと。
大杉教授ご自身もお書きになっておられるように、この論文には多数のご異論、ご批判も出てくるかもしれません(とくに日本企業の共同体性格については、有識者の間でもいろんな意見があるのでしょう)。しかし大杉教授のあの名論文「監査役制度改造論」と同じように、今後の日本企業のガバナンスを語るうえで、(よい意味での)起爆剤(カンフル剤?)になり、さらには経営学や経済学の先生方から、この大杉論文への言及がなされ、ガバナンスが学際を超えた普遍的な「公共財」となることに期待をしたいと思います。
| 固定リンク
コメント
ダイヤモンドオンラインの世論調査(3月4日21:30現在)
http://diamond.jp/articles/-/67705/votes
社外取締役設置などのガバナンス改革は日本の会社の経営にプラスだと思う?
①そうは思わない 73.21%
②そう思う 19.2%
③わからない 7.59%
サンプルは正確にはわかりませんが、ビジネスマン中心でしょうから会社の現場では、ガバナンス改革はあまり期待されていないということでしょう。
投稿: 迷える会計士 | 2015年3月 4日 (水) 21時41分
ご紹介ありがとうございます。大塚家具さんの事件報道で、後ろにたくさんの幹部社員の方々が並んでいた創業者の会見風景を想い出しました。たしかに現在幹部社員の方々の気持ちを拝察すると、「社外取締役なんて」といった気持ちになるのも理解できますよね。この結果については納得です。
投稿: toshi | 2015年3月 5日 (木) 01時11分
大先生の「怒り」の問題提起にかかわらず(それ故に?)、反応が全くないのを寂しく思っておりました。会社法の下部構造(①株主、とりわけ機関投資家、②経営者の養成・選抜システム(CEO人材不足)、③裁判所)が変わらない限りは、いくら会社法の規制を強化しても、日本の会社は変わらないという主張や法令による一律的な社外取締役義務付けへの反対論には小生も共感しました。今回大杉教授が正面から問題提起を受止めた論稿を発表されたことに対してはその「勇気」に敬意を表し、今後論議が深められることを大いに期待したいと思います。
ただ江頭さんが「会社法改正によって日本の会社は変わらない」という衝撃的かつかなり乱暴なタイトルを敢えて掲げた真意、その「怒り」の矛先は何なのかは正直判然としません。会社法改正から最近のCGコード策定の一連の企業統治改革が、アベノミクス下の「成長戦略」という政権の経済政策にあまりに密着・従属した形で展開されていることへの強い危惧があるのではないか、というのが小生の勝手な推測です。これは自分の問題意識を投影し過ぎた全くの曲解かも知れませんが。
最近の社外取締役導入を始めとした性急な改革論に、本質的な議論の重要性は理解しつつも、J-SOX制度導入時の内部統制ブームと同様の「胡散臭さ」を感じているのは小生だけでしょうか。江頭教授のCGコード論も是非伺いたいものです。
投稿: いたさん | 2015年3月 5日 (木) 01時49分
山口利昭先生。このたびは拙稿をブログで取り上げていただき紹介してくださいまして、真にありがとうございました。また、お礼が大変遅くなってしまい、申し訳ございません。
「ここからは私の勝手な推測ですが」で始まる段落で書かれていることは、私が執筆時には自覚していなかったことですが、その通りであると自覚(自認)するところです。好意的に取り上げていただき、感謝しております。
迷える会計士さんのコメントや最近の大塚家具の事例なども参考にさせていただきながら、引き続き検討していきたいと思います。どうか今後ともご教示のほどよろしくお願い申し上げます。
投稿: 大杉謙一 | 2015年3月 5日 (木) 13時52分
小生は社外取締役義務化懐疑派ではありますが、(今回の問題で、どちらの経営方針・経営能力に理・利があるのかは分かりませんが)幹部社員をイエスマンにすげ替えてまで権力に執着する創業者(と、そんな創業者に抵抗できない古参社員)がいるような企業を、「例」として出されることには違和感を禁じ得ません。
そもそも上場すべき会社ではなかったのではないかと思いますし、逆にいえば、だからこそ上場して「世間の風」に当たってこのような大恥をかくことが大事なのかな、とも。そういう意味では「好例」なのかな(笑)。
投稿: 機野 | 2015年3月 5日 (木) 15時24分
CGコード原案が確定した有識者会議を傍聴しました。その際公表されたパブコメ結果のまとめを見て、先般の会社法施行規則等改正のパブコメにおける法務省の対応とあまりに違っていて、驚きました。パブコメ意見による原案の実質的な修正が殆どないのは両者同じですが、法務省が個々の項目ごとに丁寧な回答を行ったのに対し、CGコードは内外合せて120の団体、個人から意見が寄せられたのにかかわらず、ごく一部のつまみ食い的な紹介と回答だけです。
そもそもコメントの分類で、賛成・歓迎の意を表したのが2/3とされているのも、策定そのものに反対したもの数件と「内容確認や将来的な見直しにコメントするもの(?)」の1/3以外は、多くの団体・個人が提起した各項目毎の反対意見や修正意見を無視して賛成に数えたもので、殆ど誇大宣伝に近いと言えるでしょう。本来パブコメ概要の公表は、様々な意見がどう分布しているのかを概観的に示すと共に、回答を通じて策定者の考え方を丁寧に説明することによって原案への理解を深める役割があるはずです。法務省の先般のまとめはそういう役割を果していましたが、CGコードではそういう情報は殆ど得られません。金融庁と名前は変わっても旧大蔵省の問答無用のお上体質は変わっていないということでしょうか。
しかし、ほかでもない「適切な情報開示や透明性」「説明責任」「対話」をキーワードとする今回のCGコードの策定担当部署がこの有様であるというのは、殆ど喜劇でしょう。このCGコードの本質が正しく理解されずに、表層的・形式的な受け止め方に終始する危険性の大きさを予感させるものでした。
投稿: いたさん | 2015年3月 8日 (日) 03時11分