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2015年7月 2日 (木)

投資家からみた内部統制報告制度の存在意義について

本日(7月1日)の日経夕刊「十字路」で、野村総研主席研究員の大崎貞和さんが「内部統制報告制度の存在意義」と題する小稿をお書きになり、とりわけ金商法上の財務報告内部統制に関する運用面における課題について指摘されています。最近の不適切会計事件、とりわけ北越紀州製紙やLIXIL、そして東芝においても、「当社の内部統制は有効」と報告しておきながら、不祥事が発覚した時点で「有効ではありませんでした」と訂正されても「開示情報を信用した投資家は浮かばれない」と厳しいご意見を述べておられます。

本日、大崎さんと、ある会合でこの内部統制報告制度の存在意義について少し意見交換をさせていただきました。会計不正事件が発生している以上、当該企業のどこかに内部統制上の欠陥があるはずであり、もし第三者委員会が設置されるのであればこの「内部統制上の欠陥」について詳細に分析・解明の上で開示すべきである、というのが大崎さんの意見でした。内部統制報告制度の運用は制度監査とも密接に関連しているので、内部統制監査を担う監査法人とは別に第三者委員会がどこまで踏み込めるかは課題がありますが、私も6月15日のエントリーで述べたように、不祥事発覚で企業が内部統制評価を「有効ではなかった」と訂正するに至った経緯を投資家に説明すべきですし、その責任が企業及び監査法人にはあるのではないかと考えています。

「存在意義」ということを真正面から考えるのであれば、(ここは多くの有識者の方と意見が異なるかもしれませんが)金商法上の内部統制報告制度の場合、「財務報告の信頼性が十分確保されている企業ですよ」ということを投資家に開示するところだと思います。たとえば会計不祥事が発生していない会社でも「信頼性にやや問題がありますよ、いまその問題点は鋭意整備して改修しているところです」といったサインを投資家に示すことも大事ですし、逆に会計不祥事が発生してしまった会社でも、「これは内部統制の限界を超えた事件なのです、だから相応の内部統制はできていたので有効と判断していました、その判断には(今も)誤りはないと考えています」といったサインを示すこともありうると思います。金商法上の内部統制はしっかりしていたとしても不祥事は起きることを認めるのか認めないのか、そのあたりは理屈のうえでどう考えるべきなのか、明確にすべきです。

つまり一般に公正妥当と認められる内部統制評価の基準に依拠した場合には、たとえ会計不正事件が発生したとしてもルールに従って評価した以上は内部統制は有効である、という結論もありと(私は)考えています。財務報告は会社の実体を数値で表現するわけですから過年度決算を訂正する必要がありますが、内部統制報告制度は実態を表現するのではなく、あくまでも評価の開示ですから訂正する必要はないと思います。評価結果を変えるということは、会計不祥事という事実が判明したことで変えなければならないものではなく、その不祥事発生の事実がどのような判断基準に影響するから変えた・・・という理屈がなければ容易には変えられないはずです。この点は内部統制報告制度にも金商法上の虚偽記載責任が規定されている以上は「後出しじゃんけん」が許されないと思います。

このあたりの議論がなかなか進んでいないのではないかと思いますがいかがなものでしょうか。内部統制報告制度が、事前規制という意味においては簡素化された現在、ペナルティを含めた事後規制の議論をきっちりと詰めておかないと6月15日のエントリーでご紹介した町田教授が懸念されている「モラル・ハザード」が上場会社に蔓延してしまうのではないかと危惧しています。仮に私の意見がおかしなものであり、「会計不正事件が発生した以上、それはやはりどこか内部統制に問題があったはずだ」という意見が正しいのであるならば、事後規制の一環として、なぜ間違った判断をしていたのか、なぜ間違っていた経営者の判断を(監査法人は)適正と判断していたのか、そのあたりを詳細に説明しなければペナルティの対象となる、とでもしなければ開示規制としての存在意義はほとんどなくなってしまうと思います。

たとえばLIXILさんは「全社的内部統制の整備・運用に不備があった」として内部統制の有効性を訂正していますが、ではなぜこれまでは全社的内部統制は有効と判断していたのか、判断過程のどこに問題があったのかを明確にすべきですし、監査法人もなぜ全社的内部統制を有効とする経営者評価にお墨付きを与えていたのか、どこに間違いがあったのかを明確に説明すべきです。名門企業の内部統制の不備が議論されている今、大崎さんのようなご意見がいよいよ投資家サイドからも出てきたことは、内部統制報告制度の今後の運用において大きな意義があるものと考えます。

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コメント

制度当初から疑問を呈してきましたが、一度有効であると報告した内部統制が遡って有効でなくなると言うのは非常におかしなことです。結局評価方法に欠陥があったたわけですから、そこを反省して開示させる仕組みにしないと、モラルハザードになります。
不祥事は殆んど全社的内部統制の不備ないし形骸化が原因ですね。全社的内部統制の評価方法を見直さない限り、いたちごっこがは続くと思います。コーポレートガバナンスの弱さも根っこは同じです。上場会社のマインドを備えてないのに上場している会社がいかに多いことか。

投稿: JFK | 2015年7月 7日 (火) 07時53分

この矛盾は、内部統制報告書で「開示すべき重要な不備」を報告した企業よりも、内部統制が有効であると報告したにも関わらず後日「開示すべき重要な不備」があったと訂正を行った企業のほうが厳しい罰則を受けるメカニズムでないかぎり解消されないと思います。

投稿: ty | 2015年7月 8日 (水) 15時31分

この事件で明確になったことは、現在の我が国の内部統制制度には大きな欠陥があるということだ。米国でSOXがでてきた時、日本の監査法人が一斉にビジネスチャンスだと色めきだった時のことが思い出される。その結果、小さな不正や誤謬を見つけるために多くの監査資源を投入し、肝心な大きな不正を発見することが手薄になってしまったのだ。内部監査人や監査役制度も十分見直されなかったことも一因といえる。それらを悪質な経営者は見過ごさなかったということだ。もし監査法人に少ない監査資源しかなかったら、監査法人も大きな不正だけに注力できるように監査資源を集中していたはずだ。残念なことだと思う。東芝事件は氷山の一角に過ぎない。我が国の内部統制制度の抜本的見直しが迫られていると思う。それには内部統制だけではなく、エージェント制度など幅広いガバナンスメカニズムの活用が求められると思う。

投稿: 飛田治則 | 2015年7月21日 (火) 20時40分

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