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2016年5月11日 (水)

新日本監査法人さんの改革-堂々とした姿勢を期待します

中央公論の最新号(2016年6月号)に「東芝の不適切会計-監査法人は何を見落としたのか」と題して、新日本監査法人(新)理事長さんの独占インタビューが6頁にわたって掲載されています。インタビュー内容については触れませんが、(中央公論さんには申し訳ないのですが)タイトルから期待されるほどに突っ込んだ(踏み込んだ)インタビュー記事とまでは言えないように思いました(もちろん個人的な意見なので、ご興味のある方はご自身でご判断ください)。

ただ、これから株主総会を迎える上場会社のうち、新日本監査法人さんを再任する予定の会社さんは必読かと思います。金融庁による処分理由とされている「法人としての品質管理」についてどのような改革を行っているか、また現場の監査担当者のスキル向上のために、もしくは職業的懐疑心を発揮するために、どのように取り組んでいるか、といったことが解説されていますので、株主から質問を受ける可能性のある総会議長さんや常勤監査役さんにはとても参考になるかと。

新理事長さんは、インタビューの最後のほうで、今後の新日本監査法人をどのような監査法人にしたいのか抱負を述べておられ、その内容については私も共感するところです(内容は中央公論をお読みください)。しかしながら、記者さんからの個別の質問に対しては、(私の個人的な感覚かもしれませんが)監査見逃し責任を追及される訴訟を想定したうえでの回答や、監査人に期待されている不正発見機能を発揮するための独立性を確保する、そのために今後は会社との緊張関係を維持して監査にあたる、といった趣旨の回答が目立ちました。

たしかに不正発見のために職業的懐疑心を発揮したり、監査人の独立性確保のために会社と緊張関係を維持することは大切です。しかし、「東芝事件では不正を見抜けなかったから、これからは見抜ける具体策の実行に尽力します」という回答だけでは、どうも受け身に感じられます。新日本さんは日本を代表する監査法人なのですから、もっと堂々としてほしいですし、制度監査の存在価値を国民に理解してもらうためのリーディングカンパニーとしての役割を果たしていただくことを強く希望します。上場会社には株主、投資家に対する財務報告の責任があります。監査法人の適正意見をもらわないと上場会社はこの説明責任を果たすことはできないのです(このことはコーポレートガバナンス・コードにおいても確認されているはずです)。

監査は証券市場のインフラです。上場会社は財務に関する説明責任を尽くすという重責を、会計監査人に「お墨付き」をもらうことによって解除される(免責される)ことになるのです。つまり会社と監査人は二人三脚で株主、投資家もしくは会社債権者に対して説明責任を果たす必要があり、そのための信頼関係を維持することが大切だということです。100社のうち1~2社くらいは不正会計に手を染める会社も出てくるわけでして、不正発見(もしくは不正の疑惑発見)のための「オオカミ少年監査」の勇気が必要になります。しかしあとの99社くらいは、いつも粉飾の誘惑に負けそうになりながらも、監査人との信頼関係の中で誠実に財務報告を作成しているわけで、この現実を前提として会計監査が社会的インフラとして必要なものであることを、どうか国民に示してほしいと思います。

以前、ダン・アリエリー氏の著書「ずる-ウソとごまかしの行動経済学」をご紹介しましたが、同書に出てくるエピソードとして「カギの効用」があります。鍵屋さん曰く

「カギはなぜ家についているのか、わかるかい?泥棒から財産を守るため?いやいや、プロの泥棒はどんなカギがかかっていてもその気になれば盗みはできるんだ。カギは100人中99人の誠実な人たちが、『その気』にならないためについているんだよ」

監査の効用も、実はこの「カギの効用」に似たところがあるのではないでしょうか。

新理事長さんもインタビューの中で「市場の番人」という言葉を使っていますが、なぜ市場の番人たりうるかといえば、不正を発見することもあるでしょうが、会社と監査人とのコミュニケーションを通じて、批判、指導を尽くし「これならお墨付きを与えてもよい」と一般株主の代理人たる立場で会社と向き合うからではないでしょうか。米国では2000年はじめのエンロン事件以来、大きな会計不正事件は発生していません。SOX法によって会計規制が厳しくなり、それとともに監査法人の会社への対峙姿勢にも変化がみられるということです。「なれ合い」や「プレッシャー」というと後ろ向きですが、「信頼関係の構築」といえば前向きです。東芝事件で真の改革を実行するのであれば、私は堂々と会社側と向き合う姿勢を一般国民に示してほしいと思います。

会社側から「監査報酬によるプレッシャー」を受けることを防ぐには、私は一刻も早く(監査法人が)国民を味方に付けることが必要だと思います。米国でのSOX法による上場会社規制の厳格化が(会計不正事件撲滅に)成功したとみられる中で、日本でも再び東芝事件レベルの会計不正事件が再発した場合、今度こそ日本の上場会社にも、また監査法人にも厳しいハードローによる規制が待ち構えていると覚悟すべきです。

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コメント

「不正発見(もしくは不正の疑惑発見)のための「オオカミ少年監査」の勇気が必要になります。」を担保する程度的な整備に期待したいです。今は、限定付き適正意見なんか出したとたんに上場廃止ですし、監査意見の提出を遅らせるとか、それに引きずられて短信の公表を遅らせたとたんに世間は大騒ぎだったり、東証での対応も出てきたりして、「ここの判断を保留しているんだけど」というステータスを取れない状況に追い込まれています。アメリカより2週間ほど早く監査報告書を出しているのでなんとかしてくれと言ったら、「この場に及んでもっと時間をくれとは火事場泥棒のようなもんだ」的な意見を言う有識者もいたわけです。なんでアメリカより2週間も監査時間が少なくて、グローバルな監査を実施しているといえるのでしょうか?

投稿: ひろ | 2016年5月11日 (水) 08時49分

私も、監査に携わる者として自戒を込めて申し上げると、会社は監査法人を「出入業者」のようにしか思っておらず、監査法人の側も少なからずそこに安住していたのが、戦後ずっと続いて来た状態だと思っています。特に、東芝のような大企業になればなるほど、その傾向は強いと思います。
今、一番違和感を感じるのは、「監査法人ばかり叩かれている」ように思えることです。東芝の問題で一番責められるべきは、東芝自身のはずなのに、叩かれている実感がしません。東芝への課徴金と新日本への課徴金にしても、アンフェア極まりないと思います。
もちろん、監査法人だって意識を変えないといけないのは理解出来るし、変わろうと努力しないといけません。欧米と比べてあまりにも規模が小さく、会社から「イコールパートナー」と見てもらえない、その地位に甘んじたのは、他ならぬ監査法人自身です。欧米では、大学の就職活動の選択肢が、金融機関か証券会社か監査法人となることも多く、監査法人の存在感は日本と段違いです。日本では、試験合格者しか採用しませんが、その辺りから変えていかないと、とも思います。
そのくらい監査法人の立場を変えようと考えるならば、ひろさんのおっしゃる通り、株主総会の日取りや決算期であったり、適正意見でないと上場廃止になるような上場制度自体を見直さないと、変わり得ないと思います。7月開催や基準日の見直し、監査時間や報酬を多くすることには、経団連が反対しているようですが、不正会計をやる会社のトップが副会長をやるような団体の意見なんて、聞くべきでないと思います。
監査法人も変わらないといけませんが、監査制度や受ける企業の意識も変わって頂きたいし、また変わるように働きかけ続けるしかないんでしょうね。

投稿: だいすけ | 2016年5月12日 (木) 00時16分

 だいすけさんのおっしゃるとおり、反省すべき点は反省しつつ、企業自体にも変わってもらわないといけないのに、そこがすっぽ抜けていますね。ちなみに、前回の発言での「程度的」は「制度的」の入力誤りです。
 だいすけさんが「会社は監査法人を「出入業者」のようにしか思っておらず、」と書かれていることですが、私の約30年前の体験を紹介します。初めて、業界トップ(今でもトップです)の企業へ監査に言った際、内線電話で経理の人に依頼した資料が届かなくて、30分くらいして督促したことがあります。そしたら、「用意してありますよ、取りに来ないから」と言われました。周囲の先輩が「あのね、この会社は、そういう流儀でやっているので」と教えてくれましたが、こんな経験、監査をしている間、この会社だけです。会社外部の人間に経理資料を持たせて、エレベータに乗せて、廊下を歩かせるリスクより、書類を取りに来させるプライドが優先としか思えませんでした。私は、東芝を担当した監査法人とは、違う法人だったので、現場の雰囲気はわかりませんがおそらくそんなところ、「監査をさせてやっている。どこに変えてもいいんだよ」という雰囲気だったのだと思います。
 会計士と上場企業の力関係が違いすぎるから昭和40年代に監査法人制度が誕生したわけですが、それ以前からの空気を今日まで引きずっていたのだと思います。監査法人が変わるべきところもありますが、経団連加盟企業も変わることが、監査制度の改善の促進になるし、東証も実態を見ないでディスクロージャーの早期化などと言っていないで、「監査前資料の開示でなければ早期開示に意味はない」くらいのスタンスを見せてほしいです。

投稿: ひろ | 2016年5月12日 (木) 09時49分

山口先生;

いつも勉強になるコメントをありがとうございます。

新日本の改革ですがトップはしきりに「品質管理」の改善が課題と言っています。東芝事件については健全な懐疑心と企業との癒着の面で問題であったと言います。個人的には品質管理委員会の審議では、このような問題を見つけるのは今後とも難しいと思います。やはり(風土の問題であり9倫理委員会の役割ではないでしょうか。

門多(実践コーポレートガバナンス研究会)

投稿: 門多 丈(実践コーポレートガバナンス研究会 | 2016年5月15日 (日) 12時29分

 門多さんのように一般の方々は、新日本の改革が必要で・・・という論調になりがちで、それですべてが解決するのか?というのが私やだいすけさんの現場の声なのだと思います。浜田康氏著「粉飾決算ー問われる監査と内部統制」も読みまして、確かに「ここまで踏み込んでいたら・・・」というのは各所にあるような指摘がありました。しかし、東芝の経理部が「監査人が従来見たことがない資料を見たい」といった場合に強硬に反発し、恫喝し、「これまで要求されなかった資料を見るとは何事だ。先輩たちはそんなもの見ずに適正意見を出してきた。ここは東芝だぞ」みたいな空気があったらどうなるか。粉飾をしていて、経営数値にいろいろな歪みがあることは経理部自身が十分にわかっているはずです。監査法人へは極めて非協力的であったというのは想像するに難くないです。
 カネボウ事件でも公認会計士は逮捕されましたが、経営陣で逮捕されたのは、社長と副社長くらい? 決算書の作成責任は、第一義的に会社にあるのであり、あらゆる資料は会社が持っていて、その一部を公認会計士は見るだけなわけです。粉飾をしてきた各事業部門の取締役が取締役会で決算承認しているのです。なんでその人たちは、有罪どころか逮捕すらされないの?と思います。
 日常の監査から電子メールの分析もしてよいとか、従来以上に強い権限を与えるならともかく、強制調査権がない以上、会社と監査法人の歴史的な力関係と粉飾を隠そうと企む経理部との戦いも監査の中にはあるのだということを一般の人にもわかってほしいと思う次第です。

投稿: ひろ | 2016年5月17日 (火) 08時51分

時事通信にこんな記事がありました。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052300538&g=eco
日経でも同様に東芝が決算修正をしたと。5月12日にいったん決算短信を出したものの、23日に誤りと監査法人との見解の違いがあって、修正を出しました。こういう訂正がもっとなければいけなかったんだと思います。今まで、おそらくは「いまさら言うな」と言われて受け付けてもらえていなかったことなのではないかと。一般の人や監査の在り方に関する懇談会のメンバーでさえ、株主総会まで3カ月、その招集通知の発送までに監査報告書なのだから、60日くらいは監査の日数があるんだろうくらいに思っていたと思います。しかし、実際は決算短信を出したらもう数字は動かせないという形で企業側に縛られていたのが実態なのではないかと。短信を出しても誤りがあれば直す、この当たり前のことが日本のエクセレントな大企業で行えるようにならない限り、監査での発見漏れは今度も起きるのだと思うわけです。今回、東芝は、自分が事故を起こしたこともあり、そして、来期は新日本監査法人から交代されることになり、直し漏れを残すわけにはいかないという事情があって、こういうことになったのではないかと思いますが、これが多くの企業で毎期何社も生じるようになってほしいと考える次第です。

投稿: ひろ | 2016年5月24日 (火) 08時39分

中央公論で、そのような記事があったこと、不覚にも存じませんでした。
何人かの方の意見でも伺えますが、このような事件のあったとき、
会社を叩くよりも、監査法人を叩くことが多いような気がします。
ものによっては、会社を叩くよりも、監督当局を叩いてみたり。

粉食決算(或いは粉飾決算が疑われる事件)については、
企業ではなく、監査法人を叩くという風潮は、是非はともかく、
将来的に、粉飾決算を減らしていくことに資することはないと思います。
やはり、粉飾をした企業の責任をまず問うというのが筋かと思います。

不祥事を起こした企業ではなく、監督官庁を叩くという考え方には、一定の理解が可能です。不祥事を起こす企業とは、市場に参加している企業であり、有象無象の企業が市場に参加するわけで、監督当局はそれに備えるべきである、とも考えられます。そもそも、きちんと振る舞うことが期待しにくい企業も多い筈だからです。しかし、上場企業の粉飾というのは、本来、株式市場という、きちんとした場に上場している企業が前提なのですから、まずは、彼らの責任と問うという、物事の筋目をきちんとしておくべきか、と思う次第です。

1-2か月前だったかと思いますが、文藝春秋にも、東芝関係の記事がありました。いろいろと興味深いところだと思います。

投稿: 浜の子 | 2016年6月 1日 (水) 01時35分

>5月12日にいったん決算短信を出したものの、23日に誤りと監査法人との見解の違いがあって、修正を出しました。こういう訂正がもっとなければいけなかったんだと思います。今まで、おそらくは「いまさら言うな」と言われて受け付けてもらえていなかったことなのではないかと。

そのような実態があるのはたしかですね。一部の会社だと思います。いや、思いたいです。こういう実態、おそらく、世間の人はしらないでしょう、会社の経理部以外の人たちは。また、経理部の人達も、実は知っているけど、言わないというのがお約束だったのではないかと。
短信後に、修正がまったくない方が却っておかしいのでは、という視点が世間に欲しいものです。日本の上場会社経理部はすごい、日本の会計士もすごい、ということで、一件落着してはもらっては困ります。それこそ、懐疑心不足ですね。
もちろん、「短信修正には及ばない」という軽微なものもあるでしょう。しかし、短信のときに、ピタリと数字が、数字の確定が確信できるところまで、監査手続が終了し、あとは、つまり、監査報告書作成までは、監査調書を整えるだけ、などということを素直に信じているということが驚きですね。日本の上場会社は、東証だけでも2000以上あったかと思います(※)。こんなにたくさんの会社があるにも関わらず、修正訂正がこんなにも少ないとは。
 ※:2000の中には、上場して日が浅い会社もあります。

短信発表から会社法監査報告書提出(そして、招集通知発送時に、同封される決算数値)、そして、有価証券報告書に掛かる監査報告書(また、株主総会の開催)、それらの期間は、ただ単に、調書整理に明け暮れるんでしょうか。もちろん、ある程度はそういう面もありますが、それほど、監査は甘くはありません。
短信に載らない、細かな注記合わせや、字句の調整、有価証券報告書の「経理の状況」より前の部分の話、もろもろありますけど。
一般論ですが、私は、短信に載せる項目を減らす動きについて、これは適切だと思っています。スピードと正確性は、トレードオフなのです。チャレンジと言われても困ります。

投稿: 浜の子 | 2016年6月 5日 (日) 01時19分

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