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2016年6月28日 (火)

監査役の覚悟-新刊書のご紹介

Kansayakukakugo_3月刊監査役の最新号(7月号)に掲載されている加護野忠男先生(神戸大学名誉教授)のご論稿「監査役制度をなくしてしまってもよいのか-東芝の失敗から何を学ぶか」を拝読しました。加護野先生のご著書「経営の精神」「経営は誰のものか」を読み、大いに共感する者として、あらためて監査役制度こそ適切に運用されることが「費用対効果」の点からみてガバナンス上とても重要だと改めて認識いたしました。

さて、写真の新刊書を執筆者の方々よりご献本いただきました(どうもありがとうございます)。業界紙でもすでに紹介され、アマゾンでも売り切れ状態となっておりますので、私などがご紹介するまでもないとは思うのですが、拙ブログにお越しの皆様方にとりましては待望の一冊であります。

監査役の覚悟 (高桑幸一、加藤裕則編著 同文館出版 税込2,051円)

監査役制度に詳しい監査役、監査役OB、新聞記者、法律家等による具体的な事例を通しての監査役制度への提言や自らの体験談等が盛りだくさんに詰まっています(個々の執筆者名は本書末尾に記載されています)。監査役の皆様方にとっては有名な事例であるT社のF監査役(元)のインタビュー記事や特別寄稿も掲載されており、監査役にとっては「あたりまえ」の会社法上の権利行使が(企業価値毀損を防ぐために)いかに大切な武器であるかが理解できます。「覚悟」という言葉がタイトルに使われていますが、これは監査役に就任した者の覚悟を示すだけでなく、本書を執筆された方々の「覚悟」も含まれているのですね(ちなみに編著者の高桑さんは電力会社の現役の常勤監査役さんです)。

また、本書を読むと決して特別な度量の持主しか「覚悟」を持てないのではなく、ごく普通のサラリーマンの方が監査役に就任した場合でも、ごく普通に「俺だって覚悟をもって仕事ができるんだ」と感じさせてくれます。本業で、ある会社の監査役会を支援しましたが、その会社の常勤監査役さんは、社長に対決姿勢を示す(株主総会当日に、後発事象に関する違法性監査の報告をする)にあたり、F氏の監査役としての行動が支えになっているとおっしゃっていました。

現実の企業社会において、監査役はあいかわらず「閑散役」的な地位にある、という現状認識のもとで、監査役が社会から期待される役割を果たすためには何が必要なのか、F氏の具体的な事例を題材にしたストーリーから考えています(なお、具体的な事例については関係者の利益に配慮して本書では少し修正されています)。 オリンパス社の損害賠償請求訴訟の顛末を取材した加藤記者の報告、子会社監査役として、日本を代表する著名企業(親会社)に一定の監査ルールを策定させた監査役OBの報告等、これから監査役や監査等委員に就任される方にとって、ぜひともお読みいただきたい内容です。いや、監査役だけでなく、新任取締役、新任の社長さんにも、監査役というのはこのような職責を負うものである、ということを知っていただくために、お勧めしたい一冊です。

私も現在、(産業競争力強化法に基づく株式会社ではありますが)社外監査役を務めておりまして、私自身はそんなに意識していないものの、執行役員の方々からは「ずいぶんと厳しいことを指摘する監査役」と言われます。なにか問題が生じるたびに「あ、そんなことをすると山口監査役に怒られるぞ」といったフレーズが経営会議でも(半分笑い話として)飛び出すそうで、私も社外監査役という立場上「嫌われ役」でもいいかなぁと覚悟しております。でも会社をよくしたい、という気持ちは社内執行部の方々と同じですから、情報だけはきちんと取得できるように、執行部との信頼関係を維持すること(執行部の苦労にも配慮すること)には留意していきたいですね。スキルとか経験ということよりも、「覚悟」や「勇気」という意味において、私自身も本書を監査業務の参考にしたいと思います。

 

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コメント

公認会計士というより、企業経営の経験者として、経営コンサルタントとして、監査役会設置会社の監査役と監査等委員会設置会社の社外取締役を務めている立場で意見させていただきます。監査役会設置会社、特に社外取締役を置いたハイブリット型で常勤監査役がどちらかというと社内出身者の企業が、ガバナンス態勢の実効が最も上がりやすいと私は感じています。企業経営の経験のない弁護士や会計士の方々は強い職業倫理と専門的な知見、リスク感度をお持ちなので、予見できるリスクが明確な基準やプロセスを踏まえて取締役会等で網羅的、かつ適切に検討されているかを問題視される傾向が強いです。至極当たり前であり、この点で、業務執行の適法性を監査、監督される立場に非常に適しています。監査等委員となって、「業務執行の妥当性を監査するんだ」と意気込んでおられる方もいらっしゃいますが、それはソフトローでステークホルダーから期待されている妥当な業務執行を行うよう、監督する、議決権を行使するくらいまででしょう。取締役だからと言って、多々の不確実性の下で遂行される経営ないし経営意思決定が妥当かどうかを判断したり、決議するということは現実的に無理ですし、法的責任を負わせるのは酷です。ある会計士の方が、「監査法人で会計監査人を務めていたときは、被監査会社のことをかなり理解し、会社からは親密な一員と認められていると感じていた。監査役を4年間やってみて、それが間違いであり、会計監査人として得ていた情報は監査役の10分の1に過ぎず、あくまで外部の関係者であった。」とおっしゃっていました。しかし、私に言わせると監査役が得ている情報は業務執行取締役の10分の1に過ぎず、会社の機関とは言え、依然、外部のお客様に変わりはありません。よく社外役員の方々にお聞きします。メルアドの社内IDをお持ちですか、経営会議ないし執行役員会に陪席されたことはありますかと。まず、例外なく答えはNOです。やはり、役割の整理としては、「監査役はもちろん、監査等委員であっても業務執行の決定に係るが、実行には関与しない。あくまで決定基準やプロセスの妥当性を監査、監督する」というのが最も現実的と思います。
それでは社外取締役はどう違うのでしょうか。私は社外取締役は監査役や監査等委員が指摘した予見可能リスクをさらに経営的視点で幅広く指摘するとともに、単に指摘にとどめず、いかにリスクを低減しながら、事業を遂行するかを監督、助言し、結果責任の一部を共有していると業務執行取締役から理解されている点が決定的に異なると整理しています。業務執行取締役から心情的に「理解」されている点が非常に重要です。社外取締役を他企業の経営者に求める傾向が企業側に非常に強いのはこのためです。その場合、法的に業務執行取締役と同一の結果責任を負っている訳ではないでしょうが、独立性が相対的に低下しているのは否定できません。しかし、それではだめなのでしょうか?社外取締役の実効性を左右するのは、独立性+業務執行取締役からの信頼感や緊密な人間関係であって、徒らに独立性のみを強調するのは現実の経営を理解していないのではと私は考えます。したがって、社外取締役が関与可能な業務執行の範囲を拡大し、株式報酬などを受けることなども公認されるべきではないかと感じています。社外取締役に経営責任を覚悟させる代償でもあります。

投稿: 森本親治 | 2016年7月 3日 (日) 05時46分

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