企業不正に立ちはだかる司法の壁(限界?)と行政当局の対応
7月8日の日経、朝日等の朝刊において、捜査当局は東芝会計不祥事に関する経営トップの刑事責任追及を見送る公算が強くなった、と報じられていました(朝日の社会面の記事が詳しいようです)。とりわけ朝日新聞の記事で印象的なのは、金融庁(証券取引等監視委員会)はなんとかPC部品取引(バイセル取引)に関して刑事立件をしたかったのですが、地検が慎重な判断を崩さず立件を断念したという内部事情です。
経済的合理性はどうであれ、実際に部品取引の事実は実在していたことや、他社でも同様の取引が行われていたこと等から、利益の水増しが多額ではあるが経営トップ個人の刑事責任は問えないと検察が判断したとのこと。検察では、ちょうど8年前の長銀事件最高裁無罪判決の論旨が今も生き続けているのではないでしょうか。
昨年5月、エディオンさんの営業秘密を取得したとして営業秘密侵害の件(不正競争防止法違反)で書類送検されていた法人としての上新電機さんですが、こちらも大阪地検は秘密取得に上新さんの役員が関与していたことは認められず、また再発防止策も真摯に実施しているとのことで立件を断念したことがマスコミ(産経新聞)で報じられていました。最近の企業不祥事は、経営者のプレッシャーに耐えかねて現場責任者(担当部署)が不正に走ってしまったことが発端とされるケースが目立ちます。本当にそうなのか、経営トップの不正指示や不正容認が立証できないにすぎないのかは不明ですが、いずれにしましても組織のトップの不正関与を立件することには厚い司法の壁が横たわっていることは間違いありません。
このような事態に対して、今後は検察も平成28年改正刑事訴訟法における司法取引制度(合意制度)、刑事免責制度などを活用して「経営トップの関与」に切り込むことが予想されますが、その適用範囲はかなり限定されていますし、刑事裁判官が司法取引(合意)による供述(録取書)にどのような心証を得るのかは未知数です。そこで、金融庁や経産省等、企業規制を担う行政当局からは、「司法判断はあまりにも遅くて成長戦略の遂行のための規範としては使いにくい」「裁判例はとてもわかりにくくて、経済活動における予測可能性を判断するためには役に立たない」といった声も聞こえてきます。
私は法律家の視点から、経営者が(善管注意義務違反を含めた)不正リスクを低減させるためには、司法判断を尊重した上での「健全なリスクテイク」が必要だと考えています。先日のジュピターテレコム事件最高裁決定(7月1日第一小法廷)のように、取締役の重要な経営判断時における予測可能性に最大限配慮する姿勢が司法判断に出てきたり、事実上法務省管轄で行われている会社法改正審議(会社法研究会での審議)で濫用防止のための株主権制限等を法文化して事業の効率性に資する会社法を検討する等、司法の世界も一定の努力をしています。
しかしながら、どうも世間の認識とはズレがあるように感じます。コーポレートガバナンス・コードも、いわば取締役の善管注意義務違反の有無を予測するためのモノサシとしての役割が期待されていますし(コード案の「考え方」参照)、平成26年の金商法改正の際に、金融庁から提案された「(法人の有価証券報告書虚偽記載賠償責任の過失責任化に伴う)過失の客観化」についても今後「民間エンフォースメント」として検討されることが予想されます。
経産省の研究会における会社法解釈指針の策定やモデル事例の紹介も、できるかぎり裁判所の法的判断を認識可能なものにしたい意向があるように感じます。また独禁法違反や不正競争防止法違反の規制については民々による紛争解決を活用する姿勢が顕著にみられるようになりました(たとえばエディオンさんは、法人としての上新電機さんに対して、今年5月、営業秘密侵害による損害賠償請求訴訟を提起しています)。これも民間エンフォースメントの活用です。企業に求められている不正リスクの低減化は、シロクロをつけることを民間活力に担わせることと同時に、行政規制や自主ルールの権威を高めて、(他の会社に妥当するかどうかは二の次で)自社の事業遂行に必要な範囲でのグレーゾーンを排除することに求められているようです。
会社法や金商法、不正競争防止法等、それぞれ所轄する各省庁の足並みが揃うのかどうかはわかりませんが、アベノミクスの成長戦略を推進するための企業規制の流れは止まらないものと思います。法律以外のエンフォースメントを多用して、各省庁が「あるべき企業規制」を模索する中で、各企業はどのように不正リスクを低減させて社会的信用を維持、向上させていくべきか検討することが急務だと考えます(この点につきまして、私なりの腹案は持っておりますが、それはまた別の機会に述べたいと思います)。
| 固定リンク
コメント
> 「司法判断はあまりにも遅くて成長戦略の遂行のための規範としては使いにくい」
このあたりの行政当局の認識は、私とは異なります。そもそも司法判断を成長戦略の遂行のための規範とすること自体、規範の目的を取り違えているかと思います。
司法判断の規範は、社会的な公正性、社会正義の担保のために存在するのであって、成長戦略の遂行のための規範とは、一部一致することはあるでしょうが、他方背反することがあっても当然のことです。
> 「裁判例はとてもわかりにくくて、経済活動における予測可能性を判断するためには役に立たない」
こちらも私とは異なっています。裁判例は基本的には事例判決であって、当該事例において妥当な結論を導いたというものに過ぎないでしょうし、一般的な規範としての定立を求めるのであれば、上告受理申し立てなどで一般的な規範定立を求める必要が出てきます。
最高裁が受理するか否かは判りませんが、受理しなければ、司法府としては一般的な規範定立は(その時点において)、社会正義の観点からは不要と判断しているわけです。
では、成長戦略の遂行のための規範はどうするのか。
それこそが行政当局の仕事であって、それを司法府に対して求めるのは、自分の仕事の領分を放棄しているに過ぎないと思います。
投稿: 場末のコンプライアンス | 2016年7月21日 (木) 12時04分