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2016年10月19日 (水)

グループ・ガバナンスの話はなぜむずかしいのか?(あくまでも私見・・・)

旬刊商事法務2113号(2016年10月合併号)の巻頭座談会「グループ・ガバナンス強化に向けた取組みと法的論点(上)」を拝読いたしました。昨日の川井先生のブログ「学者や実務家の先生方が、グループ・ガバナンスを論じる際に"足りない"と感じている(?)こととは?」の中で、「このテーマにご関心のある法務関係者の方々には、必読の座談会だろう」と書かれておりましたので、自称「関心のある法務関係者」としては「これは読まねば・・・」といった気持が高ぶりました。

法律家が会社法の視点からグループ・ガバナンスを考えるにあたっては、司会者である石井先生の項目立ては問題整理のうえで秀逸だと思いました。また舩津先生(同志社大学教授)のご意見「子会社管理、グループ・ガバナンスといったものについて、実務的、具体的なイメージを学界として持てていないということも、多分にある」という点も同感です(だからこそ伊藤忠商事、キリンHDの法務責任者の方々をお招きして具体的事象でイメージを描きたい、といった企画になったように思われます)。川井先生も、

私が推測しているところでは、実務家のうち、外部の法律事務所の弁護士も、子会社管理、グループ・ガバナンス、グループ・コンプライアンスといったものについて、実務的、具体的なイメージを持てていないケースが多いのではないか、と思っているからなのです。そんなの、お前だけだよ、と言われるかもしれませんが・・・(笑)。

とおっしゃっていますが、実は私も恥ずかしながら持てていません(笑)。

ではなぜグループ・ガバナンスの具体的なイメージを持てないのかという点について、少しだけ私見を述べたいと思います(あくまでも仮設ということで、「これが真実」といった確信は持てませんが・・・)。

私は過去に、グループ会社が400も500もある大規模会社の「企業集団内部統制」構築のお仕事を2度ほどさせていただいた経験があります(また、セブン&アイHD傘下の上場子会社ニッセンHDのCSR委員会顧問として、親会社によるCSR統制の現場に2年ほど関与したこともあります・・・「あれ?それって業務執行じゃないの?」といったツッコミはなしということで・・・笑)。いずれの親会社も、私が意見を述べることがおこがましいほどシステムが充実していますので、あくまでもグループ会社の内部統制の構築が中心であり、それぞれ半年、1年の期間、多くのグループ会社のシステム整備や運用チェックに関与いたしました。その結果として私が抱いた感想は「グループ・ガバナンスは法律でコントロールできるものではなく、少なくともコンプライアンスの視点で考えるにあたっては法律の枠外で対処すべき問題が山積している」といったものでした。

まず、なんといっても「指揮命令系統の複雑さ」です。経理や法務、内部監査部門を通じて内部統制の仕組みを変えようとしても、親会社の事業部門から別の注文がグループ会社に届きます。「あれ?半年前に『このようなシステムに変えましょう』と指示したのに、どうして変わってないのでしょうか?」「いやいや、先生、本社の製造第3部の●●部長からクレームがきましてね。事業部からの指示には逆らえないですから・・・」といったやりとりを何度も経験しました。もちろん本社の経理部門からの指示も同様です。人事部は人事政策をまとめるところであって、グループ会社トップの実質的な人事権は本社の事業部門が掌握しています。グループ会社のトップが誰の意見を優先するかは明明白白でして、この複雑な指揮命令系統はもはや法律の世界ではなく、親会社における法務や経理と営業や開発、製造部門との力関係。親会社とグループ会社の歴史に依拠する問題です。

また、グループ間の連携は「人からシステムへ」と変遷しています。本社の経理や法務には優秀な人たちが集まっていますが、彼らの優秀さはどんどん「パーツ化」されています。狭い範囲でスキルが要求され、そこで完結するのであり、ITシステムで集約される全体像については、誰も把握できないこともあります(以前は警察出身の総務担当者と同じように、会計士の資格を持っている人が、経理部内でブラブラしていたりしましたが、最近はめっきりそんな人も減りましたよね)。そのブラックボックスが、時には「責任をあいまいにして処分を免れる」(自らのセクションをみんなで守る)といった人智につながっていたりします。

グループの管理部門は益々IT化によって効率性が追求され、また人がパーツ化されるなかで、グループ間における人の交流はあまり進みません。しかし事業部門においてはご承知の通り、事業戦略の一環として(片道切符もありますが)人事交流は進みます。こうなると、誰の意見が最もグループ会社を動かすかは歴然としています。私もグループ会社の内部統制支援にあたっては、「本社において、どの事業部門の誰に話を通しておくべきか」を考えながら「今度こそグループ会社のシステムは変わるだろうか」と期待をしておりました。そこでは法は無力であり、「根回し」がすべてといったところでしょうか。

先週金曜日、虎ノ門にある大学(サテライト)におきまして、JILA(日本組織内弁護士協会)主催のパネルディスカッションに登壇させていただきました。その準備の際、某社の社内弁護士の方からおもしろい話をお聞きしました。某社では、事業部門と本社管理部門において、それぞれ法務部門が事実上分かれているそうですが、事業部門に近いところの法務担当者は、できるだけ事業部門の要望に沿った形での(ある程度はリスクを承知でゴーサインを出す)支援を行い、本社管理部門の法務部門では「ダメなものはダメ(最終的には経営判断にも関与する)」といったスタンスでお仕事をされるそうです。これ、すごくわかるような気がします。「そんなものは法務の役割ではない!」といったお声も聞こえてきそうですが、それは法務の力が強い会社だからであり、そうでない会社の場合には十分ありえる話ではないかと。

つまり、グループ・ガバナンスの話を会社法という枠組みで考える(法律家がグループ・ガバナンスの具体的なイメージを持てるようになる)にあたっては、それが子会社管理責任(資産管理義務)という論点にせよ、グループコンプライアンス(コンプライアンス配慮義務)という論点にせよ、まずは法務部の力を各企業において高めること(社長が「法務は営業や開発、製造と同じくらい重要なセクションである」と認識するにはどうすればよいか?)を考えるべきだと思う次第です。役員セミナーにお招きいただく機会が増えれば増えるほど、この課題は容易には克服できないことを痛感するところではありますが・・・・・

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コメント

グループガバナンス、コンプライアンスを論じる時、多くの学者や弁護士の先生方は親会社の視点で議論を展開されていると感じています。会社法自体も『親子会社間の利益相反取引』に関する施行規則の規定を唯一の例外として、子会社の立場に立った切り口からの規範は存在しないのではないでしょうか? (勉強不足かも知れませんが、不勉強な小生は寡聞にして、全く気付いていません。)
子会社監査役の経験しか持たない小生は、そのような現実(?)にいつも食い足らなさ、疎外感を感じて参りました。
大事件に発展する不祥事の多くが、統制レベルの低い子会社で発生していると言われていますし、それも事実であろうと思いますが、ある子会社で発生した事案を、その発生要因や背景の深掘りなしに、殆ど同種事件の怖れのない子会社にも展開し、再発防止策のルール化を強いる画一的な親会社の行政が、体力のない子会社に過剰統制としてのしかかり、却って統制の空洞化を招いている側面があると感じています。
今回のブログを出発点として、子会社の内部統制の在り方に関する議論が深まることを期待します。
有難うございました。

投稿: CF | 2016年10月19日 (水) 09時15分

<その1: 問題意識>
「グループ内部統制」というのは、普遍的な規範であるべきなのでしょうか?
私はそうは思いません。

特に、100%子会社以外については、以下の理由から極めて慎重に考えるべきです。
1) 少数株主の利益
親会社が子会社の経営を監視し縛ることが勧奨されることになり、少数株主の利益が軽視される懸念がある。
親会社への報告が強制され、少数株主と親会社の情報格差が正当化される。
2) 金は出しても口は出さない型経営の否定
親会社がカネを出すが、ノウハウを持つビジネスパートナーが経営責任を持つタイプの経営は広く存在するが、これが否定される。

また、100%子会社であっても、債権者その他のステークホルダーの利益も考慮する必要があります。グループ内部統制を強調することは、親会社の過度の介入を助長・正当化し、親会社に顔を向けた経営によってその他のステークホルダーの利益を損なう懸念があります。
そのような親会社と子会社の利害対立があり得るからこそ、親会社の社外取締役は子会社での社外性を否定したのだし、事業報告に親会社との取引について記載すべきこととしたのでしょう?そういう懸念があるなら、グループ内部統制も制限的に考えるべきです。

投稿: なが~い | 2016年10月29日 (土) 23時33分

<その2: 考察>
では、企業集団の内部統制確保のために普遍的なものはないのでしょうか?
私は、その答えとして、「監査役の働きである」と答えます。

監査役は、経営に対し客観的な存在です。
子会社の業務や体制の欠陥は指摘しますが、体制整備自体には介入しません。その客観性ゆえに、親会社・子会社双方の体制を監視しても利益相反が生じないのです。
会社法改正議論時に、親会社の社外監査役の子会社での社外性を否定することに疑義を感じた人は多いはずです。その感覚の根本には監査役の客観性があるのです。監査役は、親子で兼務すれば、親子両面から経営を観察することができ、体制の欠陥を発見できる可能性が高まります。
会計監査人を考えてみてください。会社の委任を受けつつも、客観的に経営を調査します。会計監査人が親子双方を監査するのはあるべき姿ではありませんか?
会社からの委任を受けつつも、会社(経営)から独立して客観的に働く監査役という制度は、経営の牽制制度としてすばらしいものであることを認識すべきでしょう。

しかるに、取締役は、業務の決定を行う立場なので、親子で兼務すると利益相反が生じ得ます。取締役による監査は、客観性が不十分なのです。
日本取締役協会「監査等委員会の監査の展望 ~取締役が行う監査について~」2.(2)では、「「監査」の意義については、会社法上に定義は無く、その概念は必ずしも明確にされていない。」と述べられていますが、そうでしょうか?
監査については直接的な定義はないものの、「強権を以って客観的立場から監視・調査することにより経営を牽制するもの」ということは十分に明らかです。定義がなく明確にされていないのは「監督」です。現在の監督論は、「監督」を定義せずに「監督」を論じています。ナンセンスではありませんか?

http://www.geocities.jp/insectisite/myronbun/myronbun.html
↑ をご覧ください。
「監督」を突き詰めれば、「監督」とは経営行為であることがわかり、反射的に、監査とは経営の牽制であることが明確になります。監査役制度は、経営組織と牽制組織を並列に置いた、美しい権限分立構造なのです。
このように認識してはじめて、監査役制度が委員会型と制度的に等価なガバナンスシステムであることが見えてくるのです。

投稿: なが~い | 2016年10月29日 (土) 23時35分

私も子会社から見ているのですが、子会社がダメで問題を起こしているところは大抵、本社の監査室も、本社の管理部門もダメです。大きな不正を報告しても、それは子会社のだれだれの責任だからとか言って逃げたりします。本社がきっちり機能しているところは、常に誰かが見ているという雰囲気ができ、不正は少ないです。100%ではないですが。

投稿: 工場労働者 | 2016年11月 1日 (火) 17時29分

ウチの会社はまさに、先生の言われるような状況です。
みんなパーツでは優秀ですが全体をみようとしない。
だから事業部門の力が子会社に強くなるのです。
企業集団内部統制というのはかなり無理があり、幻想にすぎないように思えます

投稿: としぞー | 2016年11月 2日 (水) 02時19分

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