上場会社「経営者確認書」に込められた社長コミットメントの本気度
本日(11月21日)発売の週刊エコノミストに、「異常な東芝のバイセル取引、旧経営陣不問なら資本市場に禍根」と題する浜田康氏の論稿(3000字)が掲載されています。前にも申し上げたとおり、浜田さんはもうすぐ証券取引等監視委員会の委員に就任されるご予定ですので注目度は抜群ですね。浜田さんの名著「粉飾決算」でも、東芝会計不正事件に対して厳しい指摘をされていましたので、今回の論稿も「米国会計基準違反は明らか」といったご解説を含め、とても参考になりました。
とりわけ金融庁と検察庁との意見対立の諸要因に触れておられ、長銀事件最高裁判決で検察が慎重になるのもわかるが、10年前と現在とでは、資本市場を取り巻く環境変化は極めて重要であり、司法が長銀事件の判断をそのまま東芝事件に持ち込むことは不適切だと述べておられます。その理由とするところは上記エコノミスト誌をお読みいただくとして、私も浜田さんが指摘されるように、10年前と今とでは社会情勢が異なる、資本市場の健全性確保の要請は高い、という点は全く同感です。ただ、司法判断を立件の方向へ変えるためには、資本市場を取り巻く環境が変わったということだけでなく、もう少し越えるべきハードルがあるように感じるのです。
たとえば「会計基準と罪刑法定主義(憲法31条)との関係」です。刑事立件のためには、会計事実が存在しないにもかかわらず存在するかのような表示がされている場合であれば「公正なる会計慣行違反」ですんなりいきます。しかし、会計事実はあるけれども、その会計処理に問題がある場合、つまり「会計慣行」自体を問題とする場合は別途検討が必要です。金商法が米国会計基準にお墨付きを付与している(日本国内で使ってもよいとする権原を付与する)ことはわかるのですが、では米国会計基準が日本の刑事処分を下すための法令と同等の正当性が認められるためには、どうしても「罪刑法定主義」との関係をクリアする必要があります。
そこで、米国会計基準(の解釈指針)は法と同等の慣行性、周知性は認められるのか、またその慣行性や周知性があることを実行者は認識していたのかどうか、PC取引の取引不正だけで、東芝全体の業績に対して投資家の判断を誤らせるだけの重要性があるか、またそのことを実行者が認識していたかどうか、そしてその実行者は旧経営陣との間で、このような事実を共有していたかどうか、といった点です。また「同業他社では同じようなことが慣行としてされていなかったのか』という点も、可罰的違法性や故意を論じるにあたっては重要になってくると思います。
もう一点、いつも会計専門職の方々とお話をしていて、法律家と会計専門職との間で認識の差があるように感じるのが「経営者確認書」の持つ意味です。監査法人さんは、経営者が「間違いありません」と財務報告の作成責任にコミットするからこそ適正意見を出すわけです。したがって、この経営者確認書はとても重視されます(受託者責任を尽くすという意味でも重要視されますよね)。しかし法律家はかなり形式的なものだと理解しているのではないでしょうか。たとえば手術の前に、患者さんは「どんな事態になっても私は文句を言いません」という同意書を提出しますが、ミスが発生すれば普通に損害賠償請求権を行使することはあたりまえです。あくまでも「それくらいの気持ちで財務諸表を作成しました」といったものではないかと。金商法上の内部統制報告制度には独自の開示規制(民事上及び刑事上)が条文化されているにもかかわらず、この10年間一度も問題にされたことがないのも、おそらく同様の理由からだと思います。
私も「10年前とは保護法益に関する社会的評価が大きく変わったのです」と言って司法判断の変容に期待したいのですが、どうしてもこのあたりをクリアしなければ最高裁を説得することはむずかしいように感じています。また、私なりの「ではそうすればよいか?」といった解決策は別途、講演等で述べたいと思います。
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コメント
1、東芝事件での最高検判断とその方針に関しては、小生がその道(法律)の素人なので不明ですが、長銀事件の判決云々の理由での捜査見送りは、建前の事でしょうし、納得性に欠ける事を、当局も承知の上での事と考えています。・・・もっと深い事情があるのかもしれません。
2、「経営者確認書」は米国の制度に追随して我が国においても採用されたという認識でした。当初から、これを入手することによって、会計士責任(範囲)が明確化されるとの期待は無かったと理解します。「私達は粉飾をしていません」という書類を経営者から監査人が入手したからと言って、それが「ナンボの物か?」という理解は常識です。ある裁判で監査人として、経営者確認書や契約書の文言を裁判官に説明し理解を求めたところ、裁判官から「それで?何で、この決算の異常数値に気づかなかったのですか」と返されて、溜息をついたことも有りました。従って、かなり形式的です。が
、しかし、現在のこの確認書に意義がないと決め付けるのは、現実的では有りません。極めて重要な経営課題やこれに伴う会計影響の問題点に関して、監査法人はこの書類においては、踏み込んだ見解披露を行っている場合が通常です。経営者に問題解決を迫る、重要な武器?の一つになっていると感じているのは小生だけでしょうか!!
投稿: 一老 | 2016年11月22日 (火) 11時15分
toshi先生 いつも楽しみに拝見させていただいております、ありがとうございます。
エコノミスト誌の浜田先生の論稿は、まだ拝見していないのですが名著「粉飾決算 問われる監査と内部統制」は、ブログのご紹介後すぐに購入・読了致しました。
経営者確認書について、申し上げます。
私も一老様の見解に同意です、
確かに、財務経理担当取締役や事業部門長の会計不正に対して、経営トップが解決をするように監査法人が促す手段として、役立っています。
しかしながら、個人的な感覚で言わせていただくと(今のところ)経営者確認書は、経営トップが関与する会計不正には無力です。
経営トップの関与する会計不正に無力な経営者確認書ですが、運用方法を以下のように見直すことで経営トップの不正に対して、会社の自浄作用を発動させる材料になります。
手始めに、経営者確認書ドラフト版からのやり取りの窓口を財務経理部門ではなく、監査役や監査役室にすることで、経営トップの関与する不正会計に多少なりともブレーキをかけることができるでしょう。
ポイントは、ドラフト版の段階からのやりとり、及び前回からの記載の変更点を見ることです。
更に進めて、社外監査役も経営者確認書ドラフト版のやり取りメールのCCに入れることで、何が監査チームと財務経理部門で課題とされているかが見えるようになります。
実行性のある会社内部の会計面のガバナンスを本気で求めるならば、この程度のことを当たり前のこととして義務付けなければ、経営トップの関与する会計不正には対処できないと実感します。
粉飾決算、会計不正にチャレンジする経営トップの暴走を止めるには、社外監査役に情報を流す仕組みを制度で厳格化する(知らなかったと言わせない)ことも規制機関にお願いしたいところです。
いつの日にか、有報・四半報がEDINETで公表されるまでに、自社が監査法人に差し入れた経営者確認書を見ていない監査役や取締役がいないことが一般的になることを期待します。
投稿: たか | 2016年11月23日 (水) 15時27分
一老さん、たかさん、コメントありがとうございます。
実務的感覚としては「まったく意味がないとはいえない」とのことで、私も安心いたしました。たかさんのご見解は、一度きちんと考えてみたいと思います。実際にそのようにされている企業もあるかもしれませんね。
投稿: toshi | 2016年12月 7日 (水) 23時48分