ディスクロージャー改正-いよいよガバナンス改革の試金石
ちょうど1か月前となる3月1日、日経ビジネス(WEB版)で「中長期を見据えた構造改革を断行し、また働き方改革を先頭切って実現した素晴らしい経営者」として、三越伊勢丹HDの社長さんの対談記事が掲載されました。その社長さんが、ご存知のとおり、明後日に任期途中で退任されます。この退任劇を後出しジャンケンの説明で世間を納得させようとする記事でもう「おなかいっぱい」になりました。また、今回の退任劇をとらえて「これで構造改革の実行体制が整った」と前向きにとらえる証券会社(野村證券さん)もあれば、「改革の後退につながりかねない」と後向きにとらえる証券会社(みずほ証券さん)もあり(3月12日付け日経ヴェリタス誌より)、おなじファクトが開示されても投資家によって経営環境に関する意見が180度違うことがわかります。これはディスクロージャー制度を考えるうえでも重要ですよね。
さて、月刊誌FACTA4月号ですでに大きく報じられていましたが(40頁以下「安倍首相が葬った決算短信の『業績予想』」・・・毎度ながらかなり派手なタイトルですが・・・)、決算短信の業績予想欄、サマリー情報の自由記入化(旧様式から新様式へ)がようやく新聞各紙でも取り上げられるようになりましたね。速報性の観点から上場会社の開示義務を軽減し、自由度を高めることは方向性として望ましいといえそうです。ただ、マスコミ報道によると「これによって情報開示が萎縮してしまうのではないか」と予想されています。
何を書いてもよい、会社の裁量の幅が広がる、ということは、株主との建設的な対話を促進するためには必要なディスクロージャー改革だと思います。おそらく政府もそのあたりを大いに期待しているのでしょう。ただ「いつか来た道」のような気もします。日本で初めてプリンシプルベースの証券市場規制を採用した2008年のJ-SOX法(内部統制報告制度)と同じ道をたどるのではないでしょうか?当時、上場会社は「有効性判断は自社の立場で自由に行ってください」との説明を受けました。企業も監査人も「もっと詳しいマニュアルがほしい」と要望しましたが「プリンシプルですから」との理由で詳細マニュアルは叶わず、結局は横並びの開示になってしまい、現在まで投資家への有力な情報提供にはなりえていません。
今回も、決算短信の簡素化で情報開示の自由度が増したことは良いとしても、一方においてはフェアディスクロージャー・ルールの施行によって、企業は(インサイダー規制に怯えながら?)情報提供の公平性にも配慮しなければなりません。さらに、金融庁の企業規制にフォワードルッキング分析が採用され、「トンデモ企業」「ハコ企業」の監視から誠実な企業の不正監視へと重心を移しつつあり、これも企業の情報開示を慎重にさせることが予想されます。このたびのディスクロージャー改正も、プリンシプルベースの行為規制が基本となるので、担当者は「情報開示では、なるべく目立たないようにしておこう・・・」といった消極的な姿勢となり、J-SOX開始時と同様、ともかく横並びを意識する上場企業が増えるのではないでしょうか(それではアカンやろ!!といったお声が聞こえてきそうですが、ともかくガバナンス改革対応が担当役員マターであり、社長マターにならないかぎり「ディスクロージャー対応は横並び」になってしまうと私は断言できます・・笑)。
なお、J-SOX開始時と異なるのは、政府が(日本企業の成長戦略として)ガバナンス改革を推進しているという時代背景です。どうしても株主との建設的な対話を実現させたい。ガバナンス改革を「形だけでなく実質へ」と深化させたい政府としては、上場会社の横並び意識をどのように積極姿勢へと転換させるのか、政府主導の更なる打ち手が必要です。ところで、時価総額上位500社以外の上場会社にとって、株主との建設的な対話にどれほど熱心になれるのでしょうかね?また、業績が好調な企業、業界はよいとしても、業績が上がらない企業が情報開示に積極的になれるのかどうか、とても不安を感じるところです。(実際のところ、海外の機関投資家は、「業績が悪くなったら『間に合わない』といいながら情報開示に消極的になるのではないか」とかなり批判的です)。
本当に上場会社全社において株主との建設的な対話を促進させ、また機関投資家による議決権行使の個別開示の実効性を上げたいのであれば、同業他社比較、過年度業績比較をわかりやすくするために、むしろガチガチに決算短信の内容を固定化したほうが良い、という意見もありうると思います。ただ、簡素化という道を選んだのですから、結論的には情報開示の姿勢で各社大きく実力の差が出ることが望ましいのでしょうね。ディスクロージャー制度の改正は、その効果がはっきりと目に見える形で出ますので、このたびのガバナンス改革が深化するのか、それとも「やらされ感による形式的遵守」で終わるのか、これを判断するための大きな試金石になるものと考えます。
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