見下された新日本監査法人-東芝にはTGAAPがあった
本日発売のAERA(4月17日号)は東芝大特集とのことで、日経ビジネスに対抗するかのごとく東芝関係者からの証言がたくさん掲載されていて興味深い内容です。実名での東芝元社長批判や、「業績悪化と会計不正の原因はまったくベツモノ。勝手に世間がストーリーを作り出すから話がややこしくなる」と解説する学者のご意見など、なかなかリアルで充実しております(さて、11日の決算発表はどうなるのでしょうか?会計監査人の意見は出るのでしょうか?)
そんな東芝大特集の中に、「見下された新日本監査法人-なぜ不正会計を見抜けなかったのか」といった見出しの記事が見開き2頁で掲載されています(ちなみに私の意見はほかでも述べているように、「見抜けなかった」のではなく「見抜いたけれども声に出して言えなかった」というものですが、いかがでしょうか)。新日本監査法人のシニアパートナーの方のご意見も、実名で掲載されています。
AERAの記者さんが「東芝が監査法人を見下していた」と評価した根拠として、記事中では東芝経理部による担当会計士への(ブライドの高い)態度が強調されています。会計監査の現場では「日本基準の会計基準(JGAAP)とも、米国会計基準(USGAAP)とも異なる「東芝会計基準」(TGAAP)という言葉が使われていたそうです( (^^;; ホンマカイナ?・・・・・そういえば三洋電機さんの会計不正事件でも「三洋減損ルール」という言葉が出てきましたね 笑)
でも、そこに出てくる東芝経理部の方々の発言内容は、特に東芝に特有のものではなく(つまり東芝経理部が特に傲慢なのではなく)、どこの経理部でも監査法人と対立するケースでは同じような言葉が出てきます(これは実際に対立する場面に遭遇すればわかります)。むしろ大規模上場会社の経理部員は、いったいどのような仕事をすれば上司に認めてもらえるのか、どうすれば出世競争に勝てるのか、そこに想像力を働かせればどこの経理部も同じように(社内でのプレッシャーを抱えながら)会計監査人と対応していることがわかります(私も、直接東芝さんの元経理部員、元経営監査部員の方にお話をうかがって、ナルホドと腹落ちしました)。
この記事の最後も「監査における意識改革こそ東芝事件の教訓である」と締めくくられていますが、私も総論としてはそのとおりかと思います。しかし各論がなかなか出てこない。監査法人版ガバナンス・コードは総論であって各論にはなりえない。覚悟を持った各論が出てこなければ、もはや会計基準を司法裁判所が解釈する(有価証券虚偽記載、違法配当等の刑事裁判に会計監査人を取り込む)ことになってしまうはずです。
「財務諸表の作成責任は、一次的には上場会社にある、監査法人は作成された会社の財務諸表に二次的な責任を持つ。だからこそ騙されたら不正など見抜けない」との主張はそのとおりです。でも「だからしかたがない」で済ませることは会計の世界に司法が入り込むことを正当化します。そうしなければ金融庁(財務局)自身が公権力の行使としての「不作為の違法」によって国賠訴訟で敗訴する時代(大和都市管財事件大阪高裁判決)、行政が責任を背負うことになってしまうわけですから。東芝歴代社長さんの刑事立件に関する「検察庁vs金融庁」の構図でもおわかりのとおり、金融庁はリスク(無罪)を背負う覚悟を持ちました。では監査法人はどうなのでしょうか?
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コメント
監査法人の各論って、難しいですね。ただ、1つ思うのは、「××社出入り禁止」になった若手を「いいね、あいつ喧嘩ができる会計士だ」って、評価して、「粉飾のリスクがある会社に投入できる切込隊長要員だ」みたいなプラスの評価(本当にプラスなのかわかりませんが)をしてあげる空気を法人として持てることだと思います。きっと新日本監査法人にも東芝の経理マンに執拗に食い下がって、現場主査に「××さんは、当社には向かない人だと思う。」とか経理マンに言われて、出入り禁止になった人がいるんじゃないかと思います。そして、そういう会計士を「名門会社に嫌われた空気が読めない会計士」と評価していたのではないかと思うのです。
つまり先生の著書「法の世界からみた会計監査」P.17で引用していただいた「自分の嗅覚に忠実な上位20%の優秀な会計士と、監査手続書と関係なく自分のやりたいことをやっちゃう下位5%のバカ会計士」を評価する文化が大事なのではないかと思う次第です。
投稿: ひろ | 2017年4月11日 (火) 08時47分
監査法人の「適正意見」がつかないままの決算発表に意味があるのかわかりませんが、「見下されたままでは」監査法人が納得しないのは当然でしょうね。
BUSINESS LAWYERS「東芝問題から考えるコーポレートガバナンスの本質」
連載2回分、かたや山口先生「攻めのガバナンスの欠如」、こなた郷原先生「守りのガバナンスの欠如」、他にも中味がとても濃いのですが。。。「結局、人間の心の問題」であることは未来永劫間違いないですね。
いづれはAIが内部統制まで指揮する「ターミネーター」のような時代が来るかもしれませんが、それまでは「「性弱説」に立った人間観でガバナンスが活きてくる」という意見に賛成です。
最近「性弱説」という言葉が流行りつつあるように感じます。
周囲をイエスマンで固めた経営者こそ、自分のやることを認めてもらいたい「弱さ」を具現化、象徴していると思いますが、「ノー(不正ですよ)」と率直に伝えると理不尽な不利益を受けてしまい、結局、目先はイエスマンが得をして、最終的には株主や国民が大迷惑を受けるのですが、今後も歴史は繰り返すしかないんでしょう。とほほ。。。
自己保身ではなく、「自己犠牲の精神」を持った社長や社外取締役が出現しないしない限り、「悲劇」は繰り返されるわけで、公益通報者が「闘うガバナンス」を掲げたところで権力には勝てないけれど、監査法人には、それなりの闘いを期待したいところです(義務があるようにも思いますが)。
監査法人よりは会社側に近い「社外取締役」にも社長を目覚めさせる、または現場に目を向けさせる役割を担ってもらいたく4月19日(木)の社外取締役に関する日弁連公開講座で勉強させてもらおうと思います。
もっとも社外取締役の心を動かすのは「至難の業」だし、時間を掛けて慎重にならざるを得ませんが、一個人の意見ではなく「社会の要請」に絡めて説得するしかありません(それでも不利益を受けるリスクは高いのですが)。
「自己犠牲の精神」を持つのは通報者の側なのが現実ですね。
投稿: 試行錯誤者 | 2017年4月11日 (火) 16時11分
ひろさんの意見に大賛成。そうでないと監査法人は変われないと思う。
あ、先生、193条の3の後編、期待していますのでぜひともお願いします!
投稿: unknown1 | 2017年4月11日 (火) 16時39分
自分(会計士です)を棚に上げて言うのも何ですが、会計士は、喧嘩の仕方が下手なように思います。日本の会計士は、と言うべきかもしれませんが。
投稿: Beaver | 2017年4月11日 (火) 22時56分
私、ときどき監査法人側の代理人として上場会社と対峙しますが、腹を決めた会計士さんて、結構ケンカ強いですよ(笑)。私のほうが和解を勧めても、監査法人(会計士)さんのほうが強気で粘ることが多いですし。問題は監査法人のレピュテーションなのかな、と考えたりしております。
あ、193条の3の「後編」は少しお待ちください
投稿: toshi | 2017年4月12日 (水) 00時52分
訴訟になったときの会計士は、仮に和解でも「和解ということは、一部は非を認めたんだね。ダメな監査していたんだ、あいつダメな会計士なんだ」って言われることを嫌えば、徹底抗戦、無罪の判決もらうまでは・・・となる可能性もあると思います。
しかし、問題は、円満な状況なのかで、ニコニコと自分の言いたいことを言って、聞きたいことをしつこく聞き出して、その結果、粉飾の疑いのある会社から嫌われて、「俺、××社は出入り禁止なんだぜ。」って威張れる空気があるか否か?という話なんじゃないですかね。組織の中での公認会計士は、喧嘩は弱いのではないかと思うのです。
投稿: ひろ | 2017年4月12日 (水) 09時11分
腹を決めた監査チームの筆頭パートナーは、確かに強いのですが、
監査チーム主任・マネージャー以下は、会社側とパートナーの板挟みリスクに怯えつつ、前年踏襲◯◯社GAAPに縛られていう感じがします。
新たに監査チームに加わった際に抱いた違和感は、「昨年は、これで良いと◯◯先生に言われました」「今までそんな資料要請されたことありません」と会社にとぼけられ、食いさがると主査や先輩に「新しく来た先生は、こんな細かい資料を要請してくるが昨年までは要請されていなかったが本当に必要なのか」「経理現場へ負担が大きいので勘弁してほしい」と言いつけられて潰されてしまう。そんな様子を何度も目にしてきました。
役員クラスが反論してきたら、確実に何か隠したいことがあると思っていいと、個人的には思います。
投稿: たか | 2017年4月12日 (水) 17時51分