監査の品質向上と会計士の「公務員化」について考える
7月8日(土)の日経朝刊特集記事「揺れる監査法人」に、あずさ監査法人さんの社外役員をされていらっしゃる阪田雅祐氏(元内閣法制局長官)のお話(監査法人の改革案)が掲載されていまして、とても興味深く読ませていただきました。監査の実効性を高めるための「交代制導入」のお話の中で、監査人の報酬を証券取引所が支払う、つまり「会計監査人の公務員化」に関する提案をされています(とりあえず会社法監査など、非上場会社を含む監査の話は置いておきます)。
私も当ブログで過去に「監査のねじれ」こそ不正監査の根源的問題であり、監査報酬のプール制(上場会社が規模に応じて監査報酬金を取引所に拠出する制度)を導入することが良いのではないか・・・と勝手に述べたことがあります。ただ、英国や米国をはじめ、諸外国の監査制度の実態を教えてもらったり、会社と監査人との監査に関するコミュニケーションの現場に立ち会ったりするなかで、単純な「公務員化」で監査の品質が上がるというのは現実的ではないかも・・・と思い直しております。会社と同じ方向に寄り添いながらも、監査人が職業的懐疑心を発揮して、最終的には投資家のための財務報告の二重責任を地道に果たす、ということが(やはり)監査の品質向上の近道ではないでしょうか。
金融検査を担当する人たちが公務員なんだから、監査人の公務員化も可能ではないか・・・といった議論は私の経験上、かなり乱暴に聞こえます。金融検査を担当する人たち(金融庁職員)は、若いころから「権力は抑制的に行使しなければならない」といった思想を植え付けられて、世間から常に批判のまなざしを向けられて、そこに「国民の公僕」としての姿勢があるからこそ権力を適正に行使しうると思います(ときどきそうでない人もいらっしゃいますが)。今まで権力を行使したことがない人が、いきなり権力を握ることほどろくなことはありません。最初は良くても、最終的にはご自身も国民も不幸にしてしまうのは、弁護士率いる整理回収機構の歴史が物語っています。おそらく私でも「明日からこの強大な権力を国民のために使っていいですよ」と言われたら、(いろんな誘惑に負けてしまって)使い方がわからないままに、まちがいなく濫用してしまうと思います。
当ブログで、ここ数年で一番読まれているのが「オオカミ少年待望論」に関するエントリーですが、監査の品質(会計監査も監査役監査も)を向上させるためには、私はこれに尽きると思います。つまり優秀なオオカミ少年を歓迎する企業社会です。「この会計処理はおかしい」「社長の行動は会社法違反の疑いがある」と合理的な理由を示して株主や投資家に警告を鳴らす人たちを投資家も企業もリスペクトすることができるかどうか。監査の失敗が発生したときだけ「だから監査は機能しないのだ」と批判されるのではなく、リスクを背負って警鐘を鳴らした(結果として不正が認定できなかった)監査法人、監査役に対して称賛の声を上げる社会です。監査人のプラスの面もマイナスの面も評価対象として、優秀な会計士が監査を担当していることで企業価値が上がればそれも良いと思います。
どんなに立派な監査を行い、その結果として会計不正を未然に防止できても、どこからも称賛されないのはやっぱりつらい作業です。「新日本の●●会計士のクルーは、なかなか評判がいいみたいだね」と言われたり、「トーマツの●●会計士が首を縦に振らなかったら、そんときは腹くくって修正に応じよう」みたいなことになれば、と思ったりします。新規上場企業に関わって、あぶない橋を渡った会計士さんほど、上場企業に求められるリスク感覚がすぐれているようにも思います。「オオカミ少年」の出現で多少株価が低下することがあるかもしれません。しかし、企業社会にこれを歓迎するムードが存在しなければ、会計士さんや監査役さんの職業的懐疑心を適切に発揮することは無理ではないでしょうか。
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コメント
会計士の公務員化を考えるなら、セットで「公務員の無謬性」も与えていただかないといけないと思います。お金は、公的なプールからもらって、見つけそこなったときの責任だけは飛んでくるのだと、どんどん監査時間を増やして、万が一にも見つけ損なうことがないように、念には念を入れた監査になってしまうと思います。その結果、監査報酬は、天井無しに高騰し、公的なプールは、すぐに底をついてしまって、毎年のプールへの拠出金の高騰が各上場企業を襲う、しいては投資家の利益が飛んでいくことになると思います。
会計検査院の検査官は、「財務局が森友学園に格安で払い下げしていたのを見つけられなかったじゃないか」といって、逮捕されたり、損害賠償請求を受けることはありません。公務員化というのは、そういうことですよね。
投稿: ひろ | 2017年7月11日 (火) 12時34分