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2017年10月16日 (月)

神鋼トップの謝罪会見から考える不祥事公表のインセンティブ

先週金曜日(10月13日)、神鋼品質データ偽装問題についての社長会見の様子を、ニコニコ動画の生中継で拝見しました。最近は大きな企業不祥事の会見をライブで視聴することができますし、マスコミ向け配布資料もダウンロードして手元に置くことができますのでとてもありがたいですね。会見中の経営トップの表情やマスコミの関心事項なども、手に取るようにわかります。

今回の品質データ偽装事件の全容や原因は、社長さんがおっしゃるように、これから1か月かけて行われる社内調査の結果を待たなければなんとも言えません。ただ、こういった大きな企業不祥事が発生・発覚した際に、マスコミの方々の質問がどこに向けられているのか、また私自身としての関心はどこにあるのか、そのあたりを謝罪会見を視聴した現時点で以下のように整理してみました(図表をご覧になりにくい場合は図表部分をクリックしていただくと拡大されます)。

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マスコミが注目したポイントは他にもありましたが、質問が比較的多かったように感じたのが上図左の4つのポイントです。上図右は、私が社長さんの発言を聞きながら、ここはツッコミを入れるべきではないか(あまりツッコミがなかったのですが)、と感じたポイントです。

これらマスコミが注目したポイントや私自身が注目していたポイントへの評価・意見についてはまた別途申し上げるつもりですが、ひとつ全体として気になりましたのが、神鋼さんは「バレそうになったから公表した」のではなく自主的に公表した、つまり不祥事の発生を止めることはできませんでしたが、自浄能力は比較的きちんと発揮していたのではないか・・・という点です。

たとえば日産自動車さんの無資格検査問題のように、監督官庁の抜き打ち調査によって発覚した、という場合には、「自浄能力の欠如」と評価してもよいと思うのですが、今回の神鋼さんのデータ偽装は社内調査で発覚し、混乱を防ぐために取引先に先に報告し、そして公表に至ったというものです。たしかに①取引先から促されて予想よりも早めに公表した、といった経緯、②鉄鋼部門によるデータ偽装(検査未実施)については取締役会判断で公表は控えていた事実はあるとしても、少なくともアルミ建材に関する品質偽装問題については自主的に公表したことは事実です。

偽装が多くの部門によって長年続けられていたので異論もあるかもしれませんが、それでも経営トップが現場の不正を認識した場合の対応としては、覚悟を決めて公表に至ったわけです。しかし、このように大きな社会的批判を浴び、また業績への影響についてもかなり深刻だと評される事態になるわけですから、この神鋼事例を知った他社経営者はどのように感じるのか、そこがたいへん懸念されるところです。

「取引先から要求されている基準を満たしていないとしても、安全性に問題が出ているわけではないだろう。回収騒ぎにでもならないかぎり、取引先と粛々と対応を協議すればよいはず。自主的に公表してもこんなに社会的批判を浴びるのだったら、信用リスクという意味では公表せずに後で発覚しても同じことではないか。だったら公表せずにバレないことに賭けるべきではないか。当社の信用を守ることが、ひいては取引先やサプライチェーンの信用を守ることになり、また消費者の安全・安心を守ることにもなるはずではないか」

平時ではなく、有事に立ち至った企業のトップの方々が、同様の事態でこのような発想になることも不思議ではありません。今回の神鋼事例が、自主的に不祥事を公表するインセンティブを阻害することにならないかと、やや不安を抱きます。ただ、コンプライアンスを後ろ向きのリスク管理と捉えるか、企業価値向上のための戦略と捉えるか、その経営トップの思想の違いが、その後の企業風土に大きな影響を及ぼすものと考えます。

「納期を守ることへのプレッシャー」が原因ではないか、という経営トップの言葉を聞くと、「そんなプレッシャーをかけた経営陣は反省すべき」「モノづくりの現場にあまりにも依存しすぎ」と簡単に言えそうです。しかし厳しいプレッシャーのもとで、たとえ不正を犯してでも納期を守ることができたことへの喜び、やり直しをせずに製品を販売できたことでチームプレーを果たせた喜び、つまり経営陣の期待に応えることができたことにやりがいを感じている現場社員の方もおられるのではないか。これも「組織風土」の問題だと思います。ここ10年不正が繰り返されてきたことからみると、単にプレッシャーだけの問題ではないと考えます。

調査結果をみなければわかりませんが、10年以上前からの不正とはいえ、安易にデータを偽装したり、最終検査を省略する社員の数は次第に増えてきたのではないでしょうか。最初は知る人も少なかったが、次第に知る人も増え、そのうち「これはおかしいのではないか」と疑問を抱く社員も現れるようになり、品質調査のプロを配した社内調査にひっかかったというのが背景ではないかと推測します。この「次第に安易な行動」が増殖する過程、内部通報や告発もなく、組織として不正を増殖させていった過程こそ企業風土の問題の核心のような気がいたします。

10月 16, 2017 コンプライアンス経営 |

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コメント

ここにはもうひとつ、日本の製造業者が陥りやすい思考の問題があります。

「自分たちはオーバースペック(過剰品質)のものを作っているのではないか?」
「少々スペックアウトであっても、いろんな段階で余裕をみているから、最終的には全く問題がない。大丈夫」

しかし、どの業者も、どの担当者も同じように思い、少しずつ手を抜いていったら、いったいどうなるでしょう。

神鋼や日産の記者会見から垣間見えるのは、こうした傲慢さだという気がしてなりません。「不正を犯してでも納期を守ることができたことへの喜び」…この傲慢さは国を、社会を滅ぼしかねないのではないでしょうか。いま企業に求められるのは愚直さだと思います。


投稿: 機野 | 2017年10月16日 (月) 16時39分

色々な報道、コメントが出ておりますが、もう少し、ものづくりの視点で当案件をとらえる必要があると思います。まず、なぜ完成品ではなく、半製品なのか?という点については、製品の荷姿を想像しますと、完成品の場合は機械という一つの塊であり、具備されるべき機能・動作が明確になっております。一方、半製品でしかも長尺(巻物や棒状)のものになると、一言で検査と言っても、何百メートルもある半製品のどこで検査するかで結果が異なってくるということが容易に想像できると思います。ある箇所ではお客様と取り決められた仕様に収っているが、例えば出だしのところは少し仕様から外れている。そのような場合は、お客様の了解のもと、規格から少し外れた部分を値引きをする、などのトクサイとして処理されるケースは十分ありえます。しかし、今回の争点として気になるのはお客様の了解を得ずに、黙って通常品として納入していたかどうか、という点です。さらにもう一歩踏み込んで考えますと、当初は取り決めの仕様内で製造できていたが、団塊の世代の引退や製造拠点が移転されていく中、作りたくても昔の仕様を再現できなくなっていった、というものづくり力の低下が根底に横たわっているのではないか、という点です。不正については組織風土や空気の話に収斂することが多いですが、本質的には求められる品質を作り込める生産現場にもっと目を向けるべきで、なぜ、生産現場の力が落ちたのか、それを実現するためにはどのようなリソースが足りなかったのか、短期的な利益を求めるために技術の伝承を十分に行われてこなかったのではないか、中長期的に見て生産拠点の海外移転は正しい判断だったのか、などの製造業が抱える課題の真因に迫る必要があると考えます。

投稿: 楠木 | 2017年10月18日 (水) 00時50分

楠木さん、貴重なご意見ありがとうございます。後半部分はまさに企業価値を高めるためのコンプライアンスの視点であり、今後参考にさせていただきます。

投稿: toshi | 2017年10月18日 (水) 01時42分

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