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2019年3月 6日 (水)

日産前会長の裁量保釈はなぜ許可されたのか?(冷静に考える)

昨年12月21日および一昨日のエントリーで予想したとおり、日産の前会長さんの裁量保釈が三回目の請求により許可されました。5日深夜の報道によると検察の準抗告を裁判所が棄却したということで、これでようやく前会長弁護人は検察と対等に攻撃・防御ができる地位に立ったと思います。

これまでのエントリーをお読みになればおわかりのとおり、三回目の保釈請求は「機が熟したから」許可されたのであり、交代前の弁護人の方でも許可された可能性はあったと考えています。①司法制度改革の時代における保釈の在り方(とりわけ公判前整理手続きとの関係)を現役裁判官が示した、いわゆる「松本論文」(2006年)の存在、②証拠隠滅のおそれの解釈指針を提示した平成26年、27年の最高裁決定、③「日本版司法取引」という検察の新たな武器に対応して「裁量保釈の解釈指針」を示した平成28年刑事訴訟法改正と参議院附帯決議、そして④実質的な余罪捜査の終結(と評価されたこと)が、今回の裁量保釈が許可された大きな要因だと考えています。

では、新しい弁護人の弁護方針は保釈に影響がなかったのか・・・といいますと、けっしてそんなことはありません。たとえば新しい弁護人の方は、前会長との協議によって、自宅に監視カメラを設置したり、携帯・PCの使用を制限するなど、(前会長が証拠を隠めつするおそれがないことを示すために)厳格な条件を自ら裁判所に提案したといわれています。3月4日のエントリーでも書きましたが、裁判所がこの時点で保釈を却下した場合には、日本の刑事司法に対する国際的な批判が一気に高まることが予想されます。しかし、裁判所はこれを理由に保釈を認めることは(主権国家の司法機関としては)できません。

また、「無罪の他人を巻き込むおそれ」が日本版司法取引には懸念されるなかで、否認を続ける被告人への勾留には、裁判所は最大限のデュープロセスを保障しなければなりませんが、一方で事件の背景にある「日産・ルノーの政治力学」の存在も、裁判所は忖度(そんたく)せざるをえないのかもしれません。そこで弁護人は「裁判所の逃げ道を作ってあげる」必要があります。このような条件なら現行法の解釈によって保釈を許可することができる・・・といえる道を新しい弁護人は裁判所に示したものだと思います。とかく優秀な弁護士は「法解釈」によって裁判所を説得したくなるのですが、「新たな事実」を提示することで裁判所の解釈を助ける手法をあえて採用した点にとても感銘を受けます。

この「裁判所に逃げ道を作ってあげる」という発想は、元検察官の弁護人にはなかなか思いつかないものであり、長年、(被告人の利益のために全力を傾ける)刑事弁護に携わってきた弁護士だからこそ考え抜かれたものではないでしょうか。この点は「さすが」と言わざるを得ません。国連に人権侵害を申立てつつ、保釈審査の最中に外国特派員協会で会見を行うことで裁判所を追い込みながらも、一方で逃げ道を用意するという手法は、したたかな手法であり、私も見習わねば・・・と思うところです。ともかく、これでようやく「10年間の日産のガバナンスはどのようなものだったのか」明らかになる道が見えてきたようです。

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コメント

弁護士の手腕についてはなるほどと思いました。
しかし、ここまでせなあかんもんか?というのが今回の保釈への率直な感想です。
裁判所に逃げ道を作ってやるといえば聞こえはよいものの、捜査(証拠収集)はほぼ終わっており、しかもゴーンは日本で自由に泳ぎ回れない外国人、しかも著名人。証拠隠滅や逃亡など困難でありもっと早く保釈されてしかるべきでした。
様々な制約を提案することについて、先例として実質的なルールメイクになってしまうことに弁護士として葛藤があったものと思います。
裁判所への逃げ道を越えて、裁判所の甘えにならないようチェックすべきかと思います。自由拘束が過度な先例とならないように。

投稿: JFK | 2019年3月 6日 (水) 03時05分

山口先生 おはようございます。 最後の段落は、本当にそうなんだろうなと思います。何度も頷いてしまいました。ありがとうございました。本コーナーは続きを投稿させていただきます(笑)。

投稿: サンダース | 2019年3月 6日 (水) 07時26分

物事の表裏/日本経済:昭和の戦前戦後〜平成が終結する今年・・・
僭越ながら、過去にクルマ業界の出版関係に勤め、元日経キャップ氏の例の著書(石原ゲーペーウー表現が今も生々しく思い出す著述)、日産社50年史等の「文字の記録」を鳥瞰的に見てきて、外資となったNISSAN社が、文字通り「日」=日本「産」産業の経済の縮図として映ります。クルマ業界のみならず、本件から、(ソフト面として)外来異国人に対する、日本人のDNA的「集団的手の平返し」の象徴的事例になりそうです。
よく「日本丸沈没」と表現されますが、NISSAN社は外資なので、タイタニック号に例えさせて頂き、新年度入社予定の人材はじめ、有能な方々が、NISSAN社を去る...?…と記すると大袈裟ですね。恐縮です。

ゴーン氏の個人的な罪の有無判定にはあらためて、人権的配慮をと願いつつ、当時のフランス政界(&ミシュラン社〜ルノー公団時代)から起こった、ゴーン氏の尽力の一つに過ぎない「破綻寸前の日産社(COO就任前)への助け船」から西暦2019年までは一過性だった・・・と、次の元号の世代の方々が歴史を学ぶ事になる?・・・その1ページが、始まる様な気がしています…。(これも大袈裟ですね。恐縮です)

投稿: にこらうす | 2019年3月 6日 (水) 08時02分

検察幹部の中には「監視カメラは人の行動が映るだけで、関係者との口裏合わせはいくらでもできる」として、今回の地裁の判断は「性善説に基づきすぎている」と思う方もいるようです。
しかしながらこの保釈により、山口先生がおっしゃる「10年間の日産のガバナンスはどのようなものだったのか明らかになる道」が見えてくるのであれば、ガバナンス改革的には良かったと思います。
司法取引の対象者だけでなく、内部(公益)通報者の保護も徹底していただきたいところです。

投稿: 試行錯誤者 | 2019年3月 6日 (水) 16時46分

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