東電事故刑事無罪判決-内部統制構築の虚しさを感じました。
9月19日、東京電力の福島原発事故の刑事責任を問う裁判(東京地裁)で、元経営陣3人に対する無罪判決が出されました。いわゆる「指定弁護士」が検察官役となって訴追する強制起訴事件ですね。東電の経営陣が津波襲来を予想して安全対策をとっていれば、福島第一原発事故を防ぐことができ、双葉病院の患者ら44名が(避難活動によって)死亡する事態には至らなかった、というのが業務上過失致死傷被疑事実の要旨です。
被害者、ご遺族の方々にとっては到底納得できない判決だと思いますが、経営者に有罪判決が出たパロマ工業事件、無罪判決が出たJR西日本脱線事故などの判決に至る論理過程をみておりますと、「予見可能性」「結果回避可能性」を立証するにあたり「経営者の刑事責任を問うハードルは高いなぁ」と感じており、今回の強制起訴事件でも同様の印象を持ちます。なお、このように新聞等で大きく報じられた下級審判決は、もうすぐ最高裁のHPで紹介されますので、またぜひ判決全文を読みたいところです。
現時点で、この東京地裁判決を(裁判の経過も含めて)詳しく知ることができるのはNHKニュースWEB「詳報 東電刑事裁判『原発事故の真相は』」ではないかと思います。判決文が公開されていない現時点で、この裁判の内容を把握したい方にはご一読をお勧めいたします。私は、判決を紹介する20日の日経朝刊記事を読み「なぜ、経営陣(東電の取締役)に情報収集義務が認められないのか?政府機関の長期評価で15メートル以上の津波が襲来する可能性があると指摘されており、当該指摘を経営陣が知った時点からは情報収集義務が発生するのではないのか?そのための内部統制構築義務違反が認められるのではないのか?」との疑問を抱いておりました。
そして上記NHKの詳報を読んだところ、たしかに指定弁護士側は、そのような主張を展開していたようです。経営陣に当時の原子力部門の責任者が政府機関による評価結果を伝えていたそうです(メールも残っています)。このあたりの供述調書は、強制起訴事件になって初めて明らかになったので、やはり強制起訴制度には一定の意義がありますね。しかしながら、裁判所は「経営者が直ちに動かねばならないほどの問題として伝わっていたわけではない、長期評価の信用性を学会に問い合わせるために(安全性に関する)判断を保留にしていたことは、安全対策を後回しにしていたというものではない」として(事故の予見可能性を根拠付ける)経営者の情報収集義務はないと評価しています。
同様の情報を責任者から聞き、経営者がすぐに安全対策に乗り出して事故を回避できた日本原子力と比較した場合、1200名の従業員の電源開発とは比べ物にならないほど東電の組織は巨大であるため、組織にとっての不都合な事実が経営者に届くことは至難の業だと思います。だからこそ「情報と伝達」に関する内部統制システムをきちんと構築しなければなりません。平成20年当時といえば、東電はおそらく日本一素晴らしい内部統制システムを整備していたはずです。
しかしながら、①経営幹部としては、トップには不都合な情報を伝えたくない、②かといって第三者に伝えると、誰が伝えたかわかってしまって人事評価に響く、③たとえ有事であっても「有事ではない」とトップに伝えて、自部署で解決することがトップからの評価につながる、④(これは前にも書きましたが)仮に有事と伝えても、トップとの議論の中で「有事ではない」と修正させられてしまう、⑤議論することがトップにとって面倒であれば「監査役のお墨付き」「都合の良い外部有識者のお墨付き」で修正させられてしまう、というのが「タテ組織、タテ社会の掟」です。そもそも「情報収集義務」は経営トップが有事であることを認識しうるような情報が伝達された時点で発生するわけですが、このようにトップには(巧妙に)有事とは判断しかねる情報としてのみ伝わるシステムになっているように思います。経営トップの「知らぬが仏」を防ぐための内部統制システムであるにもかかわらず、その内部統制が機能しない知恵がタテ社会の組織では垣間見えます。
勇気ある東電の元経営幹部数名の供述調書および公判における証言の存在が強制起訴事件で明らかになりました。しかし、そこで判明するのは、経営者に責任が及ばないための組織としての知恵(また、そのようにふるまうことで経営者から評価を受ける経営幹部の知恵)であり、やはり経営者の法的な責任(民事も含めて)を追及することの難しさを認識いたしました。
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コメント
ご紹介頂いたNHKニュースWEBの記事はよく出来ていますね。でもこれを読んだ限りでは、判決に賛成も反対もできない気がしました。裁判所としては、無罪とする結論に合うように、結果回避義務を大きく(より重大に)捉えることで予見可能性のハードルを上げて理由を付けたということですね。有罪にする理屈も考えたことでしょう。たとえば、結果回避義務(巨額を投じての防潮堤、運転停止等)は確かに重大だが、仮に対策を取らないまま15メートル以上の津波が来たときの結果の重大性もまた極めて大きい、というふうに相殺すれば、もう少し予見可能性のハードルを下げることもできた。結局のところ、大きな価値判断として、無罪ありきだったのだと思います。
そもそも大津波の歴史がある場所に原発を設置したことが大きな誤りだと、今の世の中は理解しますが、当時の世の中がそんな指摘を許したとは到底思えません。もし稼働停止だとか何百億もかけた防潮堤だとか言い出せば、それこそ何百億の経営責任を取らされてもおかしくなかったと思います。裁判所はそういうことが言いたいのでしょう。誰かに刑事責任を追わせるべき問題ではなく、日本国自身がバカだったので仕方ない結果だった、ということですね。
投稿: JFK | 2019年9月25日 (水) 01時03分