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2019年11月25日 (月)

東電事故(強制起訴)刑事無罪判決-見送られた津波対策

今年9月24日に、こちらのエントリー「東電事故刑事無罪判決-内部統制構築の虚しさを感じました」において、当時のNHK特集をもとに東京電力の組織的な課題について自説を述べました。私自身は未だ同判決は読めておりませんが、朝日新聞の奥山記者が同判決要旨を読み、東電元幹部の方々への新たな取材を通じて連載記事を書いておられます(「見送られた津波対策」朝日新聞有料記事より)。ちょうど24日に3回目の連載記事がWEB上にアップされましたが、奥山さんらしいツッコミの鋭い記事であり、やはりいろいろと考えさせられます。

前回のエントリーでも書きましたが、企業の内部統制や有事対応に関心を持つ者として、やはり東日本大震災に至るまでの東電と原電(日本原子力発電)との津波対策の差(実行力の差)に注目してしまいます。原電の2011年当時の社長さんは東電出身の方だそうですが、「できるところからやろう」ということで現実の津波対策に組織横断的に取り組んだ原電と、専門家チームが出した答えを経営判断で覆してしまった東電組織の差はどこにあるのでしょうか。

原電の組織は東電の数十分の一の規模なので、現場と経営陣との距離感が近く、現場の声が経営者に届きやすかった、ということが大きな理由かとは思いますが、9月24日のエントリーにコメントを寄せていただいたJFKさんが述べるように「想定しがたい高さの津波対策に数百億を投じるということについて、当時の国民から納得は得られなかったのではないか」ということも重要な指摘かと思います。たとえ津波の専門家から危険性を指摘されていたとしても、「原発は安全であり、天下の東電が安全対策最優先で取り組んでいる以上は事故など起こらない」と認識していた国民の前で「想定外の事態への対処」に高額の資金を投じる合理的説明ができなかった(その結果として、裁判所は経営者に法的責任ありと評価することはできなかった)ということかと。

ただ、奥山記者の記事を読んでいると、原電は「できるところからやろう」「たとえ津波が防波堤を超えたとしても、事故の被害を最小限度に抑えよう」ということで「事故は発生する」ことを念頭に置いた総合的な安全対策をとっていることがわかります。決して「完璧な防波堤を作るためには多額の投資を惜しまない」という発想ではないのです。

一方の東電は「事故は発生しない」「絶対に発生させてはならない」ことを念頭に安全対策を考えているので、津波が防波堤を超えた場合の次善の安全対策ということは念頭になかったのではないでしょうか。つまり東電の場合、原電とは異なり「事故は起きる」ことを前提として安全対策を考えてはいけない、という思想が組織に思考停止を蔓延させたようにも思えます。

もちろん、こうやって重大な事故が発生し、「原発でも重大事故が起きる」という事実を目の当たりにして「社会の常識が変わった」からこそ指摘できる点もあるかもしれません(いわゆる「後だしジャンケン」の発想)。当時の国民世論からみて「東電が『事故は起きる』ことを前提として安全対策をとることなど決して許さない!」との声を無視できなかったこともあったと思います。

しかし、リーマンショックにせよ、原発事故にせよ、「起きないと思っていたことが起きる」のであれば(最近はVUCAの時代と言われます)、どんなに社会的に批判を受けるとしても「起きたときにどうするか」という思想で経営リスクに向き合うことも大切であり、また不可能ではないことを、今回の刑事無罪事件を通じて認識しなければならないように感じます。また、企業のリスクマネジメントの在り方を変えるためには、企業自身だけでなくステイクホルダーの意識も変えていかねばならないのかもしれませんね。

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コメント

法令/訴訟/判決の世界で、「有罪か、無罪か」という面の重大性は勿論ですが、かといって、仮に有罪に翻ったとしても、死者が生き返る訳でもなく、家屋敷や各々の永年の諸財産が戻る訳でもありません。東電の責任者が、「3.11」の被害全てを補償できる額でもない訳ですし…。
ゆえに、「できるところからやろう」「万が一の事を軽視せずに…」という倫理観優先のリスクマネジメントの必要性を感じています。
「ハラスメント」関連も然り…かと。
経営者、監査役等の上層部はじめ部下を持つ立場の方の「配慮判断」において、財務諸表優先経営的視点とのバランスは困難でありましょうが、加害者的側の「「思考停止」」面で、近年ようやく注目度が上がって来た「発達障害」…あくまでも日本語表記の4文字視点ですが、仮説を少し…恐縮です。
(決して、精神的な病を茶化す訳ではございません)
なれど、不祥事を起こす人達には、病としての発達障害とは別に、例えるなら「倫理観点欠如障害(仮称)」の傾向が往々にして存在するのかも?と思う次第です。
大阪圏で仕事/生活していると、よく冗談半分に、妙な言動をする人に「お前、病気とちゃうか?」(このニュアンス:山口先生にはご理解して頂けるかと…)というやりとりがされたりします。
外見上は健常者でも、様々なハラスメントを起こしたり、不祥事を起こす経営者の人達の「オツムと心」の何処かに、正常な経営者にはあるべき能力の未発達からくる判断/ハラスメント発生起因」が内面に存在するとしたら、殺人犯罪者の世界で行われる「精神鑑定」とは別の「不祥事発生者の倫理欠如鑑定(仮称)」を受けさせる義務の制定…という視点です。(飛躍し過ぎなら申し訳ありません)
国会答弁などでは、大臣諸氏は野党からの指摘への「耐性」が存在していそうですが、ハラスメントの世界では、受け手全てが同レベルの「耐性」が必ずしもあるとは限りませんので、A君とB君に同様の言動を行っても、耐性の乏しいB君にはハラスメントと受け取られる…というケースもあるかと。
以前に、アメリカ本社の某IT企業の日本法人元社長N氏が著書で「私は発達障害かも」と表明された著書を読んだ事がありますが、ご著書では、発達障害は言わば個性の一つと、病人を励ます内容だったと記憶します。
ただ、医師の診断を経由しないと判明しない発達障害という病ですが、自他共に意識的に受診しなければ、医療上の病と診断されないので、高学歴/一流企業経営者でも、周囲から、当人の言動に違和感を感じても、法的受診義務は無く…「(一見)経営に長けている様でも、倫理観に欠如」している御仁の存在が、人間社会の不祥事類の根源の一つの様に思う次第です。(東電上層部然り)
大河ドラマはじめ、巷では戦国武将を英雄美化しての地域活性などが展開されていますが、当時の過酷な強制労働築城による平民作業者の死傷や、銃刀類使用での殺人横行による他所の領土の押収などは、現世なら御法度のはず。
申し上げたい事が混在したコメントで恐縮ですが、
いつまでたっても、ハラスメントや不祥事多発に歯止めが効かない現世には、(倫理効果的な法令、諸条例、規則構築視点にご尽力されている方々を否定する訳ではございませんが)どこか「盲点」があり、未着手…という危惧を僭越ながら、抱いております・・・。

投稿: にこらうす | 2019年11月25日 (月) 03時41分

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