SDGs・ESGへの企業トップの取組みと「許された危険の法理」(の発想)
12月2日の日経朝刊トップに「『課題解決力』収益けん引 環境・社会問題への対応(本社SDGs調査)」なる見出しで、国連のSDGs(持続可能な開発目標)に取組んでいる上位企業ほど自己資本比率(ROE)などの指標が高いという調査結果が報じられていました(私が社外取締役を務める会社も偏差値60以上65未満のグループとしてネット版のほうでは掲載されておりました)。
拙ブログで毎度申し上げるところですが、こういった調査は「そもそも業績が良い会社だからROE向上やSDGsに取組む余裕があるのでは?」といった疑問も素直に抱くところでして、私も未だ企業業績とESG(SDGs)との関連性には懐疑的なところがあります。もちろんSDGsに取組むことは、企業として立派な姿勢であり企業品質の向上につながることは否定いたしません。ただ、「素晴らしい」と頭では理解できても、それだけで企業のトップによるSDGs推進の行動につながるかと言えば、そんなに甘いものではないはずです。
本日の日経産業新聞の記事「ESG投資、社外取締役が一役、呼び込みにプロの視点活かす」も読みましたが、ESG投資がさかんになったから対応する、というのも企業の主体性に欠けるようにも思います。私はESGやSDGsなる言葉を使うよりも、「許された危険の法理」の発想で考えたほうが、結果として経営トップがSDGsの目標達成への取組みを実行する確率が高まるのではないかと考えています。
「許された危険の法理」とは(私もあんまりエラそうに語る資格はありませんが)、
社会的に有益あるいは不可欠な行為は,それが法益侵害の危険を伴うものであっても許容されるとする理論。その行為から実害が発生したとしても,結果回避につき相当な措置がとられていれば違法ではないとする。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
と解説される法律(主に刑事法)用語です。自動車や飛行機の運行は典型例ですが、何が「許された危険」にあたるかは、時代の変遷とともに変わります。
たとえば本日の日経新聞朝刊(法務面)に、①MaaS進展のための電動キックスケーターが法の壁に突き当たって開発が進まない現状、②顔画像データの活用のための実証実験が進んでいるが、ビジネスの場では躊躇してしまう「人権侵害リスク」について報じられています。たしかにセブンペイのように、ビジネスのレベルで「安全」を秤にかけてしまうととんでもない社会的批判を浴びるので、各社とも技術革新に法の壁を感じることは常識的な判断かと思います。
しかし、そのビジネスモデルが社会的な課題解決に不可欠、世界規模での環境維持に有益なものであると認知されているとすれば、ビジネスリスクが顕在化したとしても経営者の法的責任、経営責任が免責されるだけでなく、企業自身の社会的信用が毀損される可能性も低下するのではないでしょうか。また、日々の業績に貢献している従業員の方々からみても、研究開発に多大な投資をして失敗したとしても「俺たちが汗して稼いでいるお金を無駄使いしやがって!」と糾弾されることもなくなるのではないかと。
もちろん危険のレベルが「許された」ものと言えるためには、相当程度の社会的な納得感が必要です。自らのビジネスモデルが社会的な課題を解決できることの説明と、結果回避に向けた相当な措置をとっていること、つまり「安全性」をステイクホルダーの「安心」のレベルに変えていく工夫が必要です。だからこそ「非財務情報」としての開示が不可欠と考えます。
コンプライアンス問題が目の前に横たわると、とたんに思考停止になってしまいがちですが、ビジネスを進めるうえで「ゼロリスク」はあり得ないわけです。企業自身の「儲け」と「安全性」を秤にかけることはコンプライアンス問題として許されませんが、社会的有益性と法益侵害とを秤にかけるのであれば、最後にモノを言うのは企業行動の誠実性(たとえばリスクが顕在化した際の消費者や当局との向き合い方)だと思います。ESGやSDGsを理解するにあたり、あまり高邁な発想とは言えませんが、経営陣を「その気にさせる」ためには、こういった発想が必要ではないでしょうか。
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コメント
山口先生の唱えられていらっしゃる「許された危険の法理」の先に潜む、
地球規模の動植物(人間含む)への悪循環:そのしっぺ返しが、抜き差しならぬ所まできている事が、「「17の目標とされる「持続可能」」を妨げる事になるという危機感…個人差はやむを得ないとしても、「あ〜だめだ」と、面前で、建てたばかりの自宅や新工場、手塩にかけた農作物収穫直前の台風被害に遭った視点で申せば、ではどうすれば、諸リスクから逃れられるのか?という読者向けに発行されたと思われる「Q & A SDGs経営」(笹谷秀光氏の著)を拝読しつつ、本エントリーに頷かせて頂き、身と心が引き締まる思いです。
(ハインリッヒの法則を思い出しつつ…)
「ながら運転の罰則強化」が始まりましたが、いわゆる「赤キップ」の世界も、処罰されるのが「運次第」なので、誠実欠如の運転者(道路も、空:飲酒・ながら操縦には赤キップは無いけど)による実害と、処罰に係る警察消防等の直接対応コストや管轄関係者等に支払う人件費的間接コストを税金で賄う構造上、真面目に納税しましょうとする躾/教育研修も「糠に釘」?…これも悪循環かと。
法令遵守は大前提ですが、「バレなきゃ大丈夫」の横行する社会の蔓延に危惧を持ちます。
違法だけど、当時者の都合よく(運良く?)罰則を免れての4輪2輪(離着陸の時だけど、旅客機は何輪?)による経済活動で成り立つニッポンの現状は、鉄道やバス(こちらも「輪」ですが)乗車=公共交通で移動される人達や、黒塗り高級車の後部座席が定位置の御仁には見えにくい面かも。
ようやく、横断歩道の機能を阻害するバス運行の改善に着手し始めましが、人口減少を「最優先課題の一つ」と懸念している割に、近未来の日本を支える子供達の道路歩行リスクに余りにも後手過ぎる?…ビジネス法務に加え、「公共法務」の誠実=「良き輪」的な構築と持続を願っています・・・。
投稿: にこらうす | 2019年12月 3日 (火) 08時06分