日産元会長ゴーン氏の海外脱出事件-「日本の常識」と「海外の常識」
日産の元会長ゴーン氏が、保釈中に海外へ脱出した事件には本当に驚きました。メディアの報じる情報は様々であり、未だ真実はよくわかりません。ただ、プライベートジェットで日本を離れ、母国レバノンに滞在していることは事実のようです。8日にもゴーン氏が記者会見を行う、との情報もありますので、また会見内容に話題が集中するのかもしれませんが、年末年始の報道内容から、私なりの感想を少しだけ述べてみたいと思います(私個人の推測に基づく意見も含まれています)。
1 ゴーン氏の逃亡行為の「正当性」
私も日本の司法制度に関わる者として、今回のゴーン氏の海外脱出は「とんでもないこと」であり、日本の裁判制度を無視した(侮辱した)事件として到底認容できるものではありません。もし、今後の保釈制度の運用になんらかの影響を及ぼすとすれば激しい憤りを感じます。誰の責任かは別として、脱出ルートは可能な限り解明すべきです。
ただ、これは「日本の司法制度に関わる法曹としての常識」による感情であり、海外とりわけ欧米諸国の人たちの常識にも合致するかどうかは冷静に見極める必要があります。「ゴーン被告が逃亡」と最初に報じられたときに、私が思い浮かべたのは芦部信喜著「憲法」に登場する「抵抗権」でした。「抵抗権」といいますのは、
国家権力が人間の尊厳を侵す重大な不法を行った場合に、国民が自らの権利・自由を守り、人間の尊厳を確保するため、他に合法的な救済手段が不可能となったとき、実定法上の義務を拒否する抵抗行為を、一般に「抵抗権」という。(私の手元にある芦部「憲法」(新版)336頁・・参照文献としては、いささか古いものですが、最新の(第7版)もおそらく同様かと)。
と解説されています。芦部先生は、日本でも「人権保障規定の根底にあって、人権の発展を支えてきた圧政に対する抵抗の権利の理念を(日本国憲法に)読み取ることは、十分に可能である」と述べておられます。実定法以前に、市民革命を正当化する「自然権」の存在を展開したホッブズの主張では、この抵抗権の一環として、拘禁状態からの逃亡も抵抗権の行使とされます。ちなみにゴーン氏はレバノンの内戦が始まる前に、17才でフランスに移り住み、そこで高等教育を学んでいます。
したがって、ゴーン氏は今後自らの行為の正当性を世間に理解してもらうために、日本の司法制度が人権思想に反するものであり、きわめて不公正なものであること、自分は実定法の背後にある「自然権」を行使したものであることを海外に向けて発信しなければなりません。オリンパス事件を告発した元社長マイケル・ウッドフォード氏が「ゴーン氏の行動を全面的に支持する」とインタビューで答えているのも、革命を経験した国民の常識から出てくる発想ではないかと思います。
2 刑事法における「属地主義」と「積極的属人主義」
ゴーン氏の容疑事実(会社法違反行為と金商法違反行為)が日本で行われた以上、日本の刑事法(刑事手続法を含む)の適用を受けるのは当然です(属地主義)。しかし、世界には「積極的属人主義」を適用する国もあるわけですから、たとえばゴーン氏が国籍を持つ国が「ゴーン氏がわが国の刑事法で定めた法令に反する行為を行った疑いがある以上、わが国で刑事手続を進めたいので身柄を引き渡せ」と要求するのは権利というよりも国の義務である、と主張することもありうる話です。したがって日本に送還要求を行う国があっても不思議ではありません。
私はレバノンという国の司法制度はよくわかりませんが、たとえ入国手続きが合法であったとしても、日本で不正が疑われている行為がレバノンでも犯罪行為に該当するのかどうか、国としてはきちんと調査を行う必要はあるかと。そこでゴーン氏は「国と対等の立場で争うことが保障されているレバノンにおける刑事裁判」に臨むのではないでしょうか。だから「裁判を受ける権利が保障されている国において、私は逃げも隠れもしない」と堂々と語ることが予想されます。
3 ビジネスマンとしてのゴーン氏の活躍はこれからも続く
一昨年のゴーン氏の逮捕劇以降、日本で出版されたゴーン氏関連の本をいろいろと読みましたが「たとえ日本で処罰されとしても、この人はそれでビジネスマンとしての生涯を終えるとは到底思えないな」と感じました。今回の脱出劇も、彼にとっては「現時点において最優先で解決すべき課題」であり、それが最終目的とは思えません。「日本脱出」は、これからもさらなるビジネスマンとしての活躍のための一手段だと考えます。
もちろん、身柄引き渡し条約による連携により、ゴーン氏は簡単に海外諸国を回ることはできなくなるかもしれません。しかし、海外を含め、少しでも活躍できる環境を整備するためにも、ゴーン氏は、今後(自らの行動の正当性を認知してもらうべく)徹底的に日本の司法制度についての批判を展開するものと予想します(真偽は明らかではありませんが、ゴーン氏がアメリカのネットフリックス社と動画配信に関する契約を締結した、と報じられていますね)。
取調べに弁護人を同席させない、有罪率が99%を超えている、長期間の勾留を平気で認める(人質司法)といった批判も考えられますが、そのような理由だけでは海外諸国の賛同は得られにくいのではないでしょうか。むしろ日本の国益を守るために、日産と国が組んで正当な経済活動を妨害する目的で刑事訴追を受けた、という個別事案特有の問題に批判の照準が向けられるのではないかと思います。「欠席裁判」が認められていない日本において、司法制度の信用性を低下させないためにはどうすべきか、たとえば保釈制度の厳格化は避けつつ、被告人のプライバシー権の一部制限(GPS装置の携帯義務)の容認など、具体的な提案を準備しておく必要がありそうです。
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コメント
(山口先生、本年もどうぞ宜しくお願いします)
今年の正月三が日〜土日と続くカレンダーですので、国/行政も、メディアを含む民間も、本格稼働は6日以降?
「ゴーン逃亡」関連の情報:メディアの大半は、おそらく、AP/AFP/UPI等の通信社配信の「垂れ流し」的情報を、自社の紙面にアレンジしただけと思われますので…。
本エントリー欄での、先生の対比:日本と海外との常識論を軸に考えてみています。
レバノンを含む、生死を懸けた緊迫:中東情勢/イスラエル/パレスチナの類や、ブラジルを含む中南米の貧困と無法状態、パリやベルギー、オランダを含む欧米諸国の人権感覚やビジネス感覚等、カルロス・ゴーンという人物が生育して来た「常識」と、かつての「石原ゲーペーウー」まで腐敗した企業感覚の会社を「基幹産業の雄/模範的カイシャ」としてきた東洋の島国との「常識」の格差…僭越:恐縮ですが、司法/法曹界の面でも異なるのはむしろ当たり前/今後の議論勃発は必須かもしれません。
(その両面/表裏を逮捕&保釈面でも経験した、唯一的な人物の行動ですから…。)
(生まれは兎も角、育ちの違う者同士の議論する常識って、何なのでしょう?)
例えば、関東の人が関西へ移動、又はその逆における道中、おそらくどこかでエスカレーターを使うかと。その際に(本来、歩く/駆け足はNGなのに)人間2人幅の機種の場合、左右のどちらかを空けるのが「常識」とされます。 そこで右側を空けるのか?左側をあけるのか?の如く「関西人の常識」VS「関東人の常識」という構図が頻繁に発生…。
異質な例えで恐縮ですが、(ゴーン氏は日本には帰化していないと思いますが)氏の経験から来る常識論と、日本の司法制度との溝は深いと、多くの日本人には思われると思います。(法廷上の良し悪しは別として…。)
某報道では、検察庁は、氏の海外逃亡の恐れを危惧:主張していたとの事ですが、では何故、税関における麻薬探知犬の如く、出入国在留管理庁と名称変更になった管理体制/行政に対し、「違法出入国防止犬(仮称)」等の制度提起/構築を促進しておけば、本件/逃亡を未然に防げたのでは? 人間が入るほどの楽器の容器を使っての逃亡が事実なら、使役犬:犬の嗅覚活用での、逃亡リスクを防ぐマネジメントが出来たかと思われます。(ここでも、日本人の常識が、ネックになっている様ですけれど…。)
日本の制度類の盲点を突いたかの如くの日本脱出には、相応の費用もかかったでしょうが、億単位の金を自由に操れる程の懐/立場になり、かつてのカルロス・ゴーンは何処かへ行ってしまったのでしょうか・・・?
(日本のことわざが外国人に通用するかはわかりませんが)
(座って半畳、寝て一畳)という諺がふと浮かんできました・・・。)
When you sit, you need half a mat.
When you sleep, you need one mat.
EV(電気自動車)を市販に導き、SDGsの牽引主軸の一翼を担った人物…という面で尊敬を抱いていたのですが・・・。
国籍をおくレバノンの民衆をないがしろにする事に間接的に加担して来たという報道が事実なら、残念です。
物質や権力に対する、人間の欲望と、居住地の(氏にとっては、不満だからこその行動)掟破りを垣間みる形となり、自分自身が感じた、一年前との想いの隔たりを、寂しく感じています・・・。
投稿: にこらうす | 2020年1月 4日 (土) 04時56分
どうもお久リぶりです。お盆休みと正月しか投稿しておりませんが、元気にしておりますm(__)m
今朝の産経に、ゴーンさんの弁護人が警備会社を告訴して、警備が中止された当日に脱走したようです。弁護人もゴーンさんに悪用されたとしたら、これは到底許容できませんね。悪質すぎます。私はなんとしてでも、国際世論に訴えてでも逮捕できる道を探ることが第一ではないかと思いますよ。
投稿: kalcone2005 | 2020年1月 4日 (土) 10時37分
2005年さんの「悪質性」と「国際世論に訴える」ことの倫理的な意味は、ゴーン氏に直接的、間接的に被害を受けた方には、なおさら「腑に落ちる」というか「ごもっとも」と思われることです。
権力に対する「抵抗権」については、国家権力だけが対象ではなく「上から目線の経済権力、上場企業組織への公益通報」についても考慮されるべきだ!と2012年より(もう8年も)悩んでいます。
政府・行政に支援をいただいて通報を続けています。
申し遅れました。山口先生、明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
投稿: 試行錯誤者 | 2020年1月 4日 (土) 17時50分
さきほどはハンドルネームを間違っておりました。ひさしぶりの投稿なので失礼しました。halcome2005です。15年もブログを書き続けていることのスゴサに敬服しております。
にこらうすさんが書いておられるように、海外の報道の垂れ流しにどこまで信用性があるのかわかりませんが、プライベートジェットを飛ばすために「脅迫行為」が行われていたとすれば、どんなに抵抗権で正当化しても反社会的勢力と一緒じゃないですか。そんな反社会的勢力に国際世論は同情しないと思います。
フランスの世論調査で「ゴーン氏の逃亡に賛同する」という市民が8割に及ぶそうですが、このトルコの刑事事件の真相が明らかになれば変わるのではないでしょうか。
投稿: halcome2005 | 2020年1月 4日 (土) 19時40分
あけましておめでとうございます。
抵抗権の根拠となる圧政や抑圧は、もっと構造的なものであり、かつ、ある程度客観的なものであると考えます。いち個人が不満を持ったからといって抵抗権だと言い出すのはかなり危険な発想です。
ゴーン逃亡事件の真相は分からないなかで、わたしも第一に憲法を思った点は先生と同じです。身柄の自由というものは、拘束されたことがない人間には分からないほど、財産を投げ売ってでも獲得したい、大変に価値のあるものなんだなと再認ししました。ゴーンの行為は正当化してはなりませんが、年齢と裁判の見通しを考えたとき、ゴーンが脱出することに大きな価値を見出し、実際に行動したことは十分に納得ができます。
投稿: JFK | 2020年1月 5日 (日) 14時55分