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2020年2月 3日 (月)

国策としてのガバナンス改革の潮流と買収防衛策の必要性

2006年の王子・北越TOB事例、2007年のブルドックソース事件判決の時代から10年以上が経過して、いまふたたび買収防衛策の発動の可否が話題になっています。ガバナンス改革が進み、また平成26年改正会社法によって(上場会社における)支配権異動時の特則普通決議の要件(株主総会)が定められたりと、買収防衛策を取り巻く環境も変化しております。

私自身、あまり法律論に詳しいわけではありませんので、以下は印象論であります。敵対的買収防衛策の是非を論じるにあたっては何をもって「正義」と考えるべきか、といった視点のお話です。

たとえばマクロで考えると、いまのガバナンス改革は「国策」としての意味が大きいわけで、GAFAにMSを加えた米国会社5社の時価総額が500兆円、いっぽう東証一部上場企業2160社を合わせた時価総額が620兆円。もはや日本のマーケットバリューを上げなければ、日本企業にお金が回らない。ということで、上場会社全体の資源の効率化(ヒト、モノ、カネの移動を促すこと)を図ることが、国策としてのガバナンス改革の大前提。「選択と集中」を促進するための「グループガバナンスの実務指針」の考え方もこれに近いのではないかと。

いっぽう、ミクロで考えますと「株主共同利益の最大化を図ること」「脱株主主権主義のもと、ステイクホルダーの利益を保護することで中長期的な企業価値の向上を図ること」が経営陣に課せられた使命。経営陣としては株主全体で「濫用的買収者」を排除しうるお膳立てを構築することが善管注意義務の履行として要請されて当然、とも思えます。「うちのは『買収防衛策』ではない。新しい株主判断スキームだ」とおっしゃる方のご意見も、ミクロの視点で考えますと「なるほど」と思います。

ただ、個人的には「濫用的買収者かどうか、という点は、わざわざ経営者がお膳立てしなくても、臨時株主総会やTOBの公正なルールによって株主自身が判断すれば良いのでは?そもそも今の時代に買収防衛策(株主が判断するお膳立て)って必要ないのでは?」との疑問が湧きます。「会社の質問にまともに答えない買収提案者」であれば、そもそも他の株主が支持しないので防衛策を発動する必要性に乏しいのでは、と素朴に感じます。TOBに応じる(株を売って出ていく)株主が、なぜ将来の企業価値のことまで真剣に考えるのだろうか・・・という根本の疑問もありますが、まぁそれは横に置いといて。。。

米国のように取締役の過半数が「経営のことを良く知らない」社外取締役で構成されているのであれば、買収者の提案を社外取締役が真剣に吟味するための「時間稼ぎ」として買収防衛策を導入することには意味があると思います。しかし業務執行を担当する社内の取締役が過半数を占め、買収提案者の意見に十分反論しうる日本企業であれば、買収防衛策がなくても株主はどちらが中長期の企業価値向上を図りうるのか判断できるのではないでしょうか。

決着に影響を及ぼしうる買収提案者以外の大株主も、以前と違って「スチュワードシップ・コード」を遵守する立場にあるわけで、提案者の属性よりも提案理由に関心が向けられるわけですから(今年のコード改訂では「議決権行使理由の開示」まで要請されます)、「濫用的買収者」かどうか、という点は、防衛策導入の是非を判断する側からみてもあまり説得力がないように思えます。さらに「濫用的」かどうかを判断するのではなく、現経営者と買収提案者のどっちの経営が優れているか・・・という建付けで「普通決議の総会で決着」という思想も、社外取締役による社長選解任が推奨されているガバナンス改革の方向性と整合性があるかどうか、疑問を感じます。

グリーンメイラーという存在があまり日本で知られていなかった時代には、これを排除する「正義」があったように思いますが、M&Aに関する関係者のリテラシーが向上し、また開示ルールも充実している昨今の状況のなかでは、むしろマーケットバリューを上げること、ひいては株主による経営者管理の手法としての敵対的買収を活性化させることに「正義」を感じる方も増えているのではないでしょうか。

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コメント

事業/組織等の利権確保や安住の領域を、外部からの侵入、圧力等で犯される事の無い様に「防衛」策を施しておく…敵対的かどうかはさておき、買収される前のリスクマネジメント対策は、やりすぎるという事は無いでしょう。
けれど時には「正義」名の下に行われる買収も…?。
ビジネス上での買収という侵入行為は、直接は人間の命までは奪われませんが、(恵方巻きの廃棄騒動で法律まで作る様になった)節分の日に、隣国で死者数が300人を超え、増加の一方…それに対する国内のウィルス対策が、経済はおろか、人命=国の存在まで危ぶまれる議論が、連日国会でも問われています。
国策の名の下で、どれだけの施策が存在するのか存じませんが、目に見えない、エアロゾル的感染に脅かされていては、折角苦心しての労作、施策も機能不全になりかねないと危惧します。

(事実は、小説よりも奇なり)

夜7時のNHKニュースの中継では、感染した乗客を乗せたとされるクルーズ船が、(鮮やかな照明をつけて)沖合で停泊中の映像が中継され、船内の乗客を本土上陸させるか否かが問われている様です。
(「病原体 レベル4」という作品:違法密猟の猿からのエボラ出血熱感染した乗客を乗せたクルーズ船が、国防軍に監視されているストーリーの状況と酷似?)

五輪の祭典を間近に控え、成功させる為の準備尽力が必要なのは理解します。
「としまえん」がハリポタのテーマパークになりそうだ…という報道の必要性も理解出来なくもありません。
メディア各社の別の顔/「基幹産業=プロ野球」のキャンプ報道:新聞記事も必要な側面はあるのでしょう。
しかしそれらは、国策を含め、経済を、生活を営む我々人間が健康であってこその、諸活動ではないでしょうか。市販のマスクが品薄となり、ケース単位とはいえ、ネットオークションで20万〜50万円で取引されるなんて、異常事態と言わざるを得ません。
(花粉症などでマスクが必須な病人に、適正価格で流通していない…とのこと)
そんな横暴に歯止めをかける法整備すら乏しい下での国策って、一体何なのでしょう…。

新型肺炎が中国で発生し世界経済に膨大な影響をもたらしていて、終息/歯止めが効かない現状だからこそ、
医療体制の整備と同等の、ガバナンス/コンプライアンス視点での、ビジネス法務の更なる見直しの機会ではないでしょうか・・・。

(極論ですが、新型肺炎の終息までは、企業間買収などの行為は「休戦」してはどうか?と思っています・・・。)

投稿: にこらうす | 2020年2月 3日 (月) 22時10分

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