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2020年3月24日 (火)

関電金品受領問題-T副社長はなぜ社長・会長から「先生」と呼ばれていたのか?

Img_20200320_113930_320 コメントでにこらうすさんにもご紹介いただきましたが、先週金曜日(3月20日)の読売新聞朝刊「関電金品受領問題-論点スペシャル」にて、当職のインタビュー記事が掲載されました。連休中にもかかわらず、多くの方にお読みいただき、様々なご意見も頂戴したことに御礼申し上げます。

さて、同じ3月20日に、NHK NEWS WEBに「ビジネス特集-関西電力 原発に巣くう閉鎖性」と題するニュース記事が掲載されました(NHKのWEB記事は削除される時期が早いので、早めに閲覧されることをお勧めいたします)。第三者委員会報告書が指摘する「金品受領と原子力事業との関係性」に焦点をあてた内容です。

ところで当該記事に、とても興味深いNHK記者の指摘がありました。当該記者がY前会長に取材をしたとき、部下であるはずの原子力部門担当のT副社長のことを「T先生」と呼んでいたそうです。「なぜ経営の実質的トップであるY氏が、T氏のことを『先生』と呼ぶのか」、当該記者は違和感を抱いたそうです。

T氏が関電の社外役員(中途から関電に入社してきた)ということであれば、なんとなく納得できるのですが、T氏は1978年に関電に入社したプロパーの役員です。Y前会長のほうが入社時期では6年先輩です。この関係からすれば、私もなぜY前会長から「先生」と呼ばれるのか、たしかに不思議です。

おそらく違和感を持つのは、私が社外の人間だからでしょう。社長・会長でも、原子力部門担当の副社長に「先生」と呼ぶことは、関電の中では全く違和感がなかったのではないかと思います。違和感がないからこそ、T氏に対して(社内事情に精通していた)高浜町元助役からは1億円以上の金品が贈与されていたのであり、また取締役退任後に(修正申告分の)納税額の補てんや報酬減額分の補てんとして「顧問料」の名のもとに高額報酬が支払われていたはずです。

ではなぜT副社長は会長・社長から「先生」と呼ばれていたのか・・・。上記記事では残念ながら、そこまでの経緯は示されていませんでした。

かつて、私が〇〇宗総本山の顧問弁護士を務めていた頃、当該宗教法人には二人のトップがいて、ひとりは事務総長(実務方のトップ)であり、もうおひとりは法主(宗派における象徴としてのトップ、法主とか管主と呼ばれる方)でした。事務方の人たちは、当該宗派の僧侶としての呼称で呼び合っていましたが、法主の地位にある方だけは、他の僧侶から自然に「先生」と呼ばれていました。

当時、法主が「先生」と呼ばれるのは「宗派内での尊敬の念の現れ」ということよりも、「宗派の顔」であることを対外的に示す必要性に由来するものだったと記憶しています。宗教の世界とビジネスの世界は全く異なりますが、「原子力事業」においても、同じような関係が成り立つのではないかと勝手に想像しています(たとえば、昨年1月、フランスで国家功労勲章を受章したのはT副社長さんのようです)そうしますと、「原子力のドン」と呼ばれていたT氏に1億以上の献金をしていた高浜町元助役の関電における立場がより鮮明に浮かび上がります。

同じ「副社長」でも、失権したN副社長は地元との折衝中心、当該T副社長は海外も含めた国家との折衝中心、国家とのオモテ舞台で活躍する立場の副社長と、地元・地方公共団体とのウラ交渉で暗躍する立場の副社長など、様々な役割をトップが果たさなければ原子力事業は成り立たないようにみえます。今後、関西電力における再発防止策が実践されるにあたり、このように社外の常識では考えられないような社内常識とどう向き合うべきなのか、これを是正しようとすれば、関電のビジネスモデルにいかなる弊害が生じるのか、十分に理解しておかねば防止策の実効性は高まらない、と思う次第です。

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コメント

面白そうな取り上げ方だと、一瞬目を引きました。元副社長のTさんが実権を振るっていた証(傍証)としての逸話を紹介されたのですね。ある程度、真実を物語っているようでもありますが、しかし、年齢と学歴、会社人事歴から判断すれば明らかにY氏のほうが上であり、そこまでY氏がTさんに「下手」に出るのはちょっと納得できません。Y氏は電気学科卒でTさんは原子力学科卒ですから、時代を牽引する原子力事業の研究者たる「権威」として、先生と呼んでいたのでしょう。なお、関西では昔、「彼」とか「この人」と言うべきところを「先生」と呼ぶことが有りました、親しみとある種一定の尊敬を込めた独特の言い回しです。
まあどちらにしても、結局はTさんは<貰い得>となって、生活者の支払った電気代は<払い損>となり、いつのまにか時代の喧騒に紛れていくのでしょうか。

投稿: 一老 | 2020年3月24日 (火) 13時02分

名前を挙げて頂き恐縮です。

TVでは時間帯、新聞等では文字数など、日々の報道する内容に(記者の取材マンパワーも)限界がありますが、仮に新型コロナ関連が、ここまで震撼しなければ、原発/フクシマ関連も更に多くの紙面を占めていたと思われます。
来年は東日本大震災10年の節目:様々な特集取材に向けて…となる時期かと思いますが、上場企業さえ存亡の危機が懸念されていては、ジャーナリズムや、ガバナンス問題より、感染危機の終息が最優先なれど、何か別の「次の襲来」が待ち受けている様な、胸騒ぎがしています・・・。

投稿: にこらうす | 2020年3月24日 (火) 16時47分

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