関西電力・第三者委員会報告書から考える-関電が一番隠したかったものとは?
一昨日に引き続き、関電第三者委員会報告書に関するエントリーです。この報告書をじっくり読むと、日本の企業社会に潜む病巣を見ているようで、たいへん興味深い。なお、以下のエントリーにおいて、意見にわたる部分は私個人の意見にすぎませんのであしからず。。
たとえば報告書86頁の(注)76などを読むと、原子力事業担当者以外にも、高浜町元助役やその関係会社から金品を受け取ってしまった幹部社員が存在したことがわかります(火力発電事業部門の幹部の方だそうです)。たまたま原子力事業担当者からの要請で、元助役と会食をされたそうで、会食の際にもらったお土産の中に商品券が入っていた、とのこと。
その後、その幹部社員のところへ元助役と関係会社がやってきて「仕事をまわしてほしい」と要請を受けたそうですが、この担当者はきっぱりと拒絶しています。これは当然かと思います。別に元助役が激怒したところで「うるさい爺さんやからほっとけ」くらいで済む話だと思います。その後、とくに事業の遂行に支障は生じないからです。しかし原子力事業部門となるとそうはいかない。機嫌を損ねると関電の恥部を暴露されるからではなく、まだ関電は彼を必要とする(かもしれない)からです。
マスコミでは「関電のガバナンス」とか「関電の企業体質」が問題とされていますが、本当に問題なのは関電のなかのひとつのセクションである原子力事業部門(及び対外対応拠点であった京都支社)、および原子力事業部門を特別視する経営層の体質ではないかと。一昨日のエントリーでも書きましたが、ここの原因分析を見誤ると、来月いよいよ分社化される関西電力について、再発防止策の実効性も失われてしまうような気がします。
第三者委員会は、3月13日の記者会見で「関西電力は森山氏に『共犯の関係』に引きづりこまれた」と表現していましたが、フォレンジック調査で浮かび上がった関電社員のメール内容などを読むと、まさにその通りだったと感じます。しかし「引きづりこまれた」という表現よりも、私なりには「原子力事業を推進するためにどうしても森山氏が必要だった」と表現するのが適切です。
つまり関電が会社として隠したかったものは「関電と森山氏との関係」ではなく、東日本大震災前には収益の半分以上を占めていた原子力発電事業のビジネスモデルそのものだったのではないか。贈答品を返還しようとする経営幹部を怒鳴りつける元助役からすれば「原子力事業をなめるなよ。そんなことで国や地方公共団体や地元住民と対峙できると思うな」といったところが本心だったのではないでしょうか。
報告書73頁~74頁によれば、元助役と関係の深かった関電元会長、元副社長は関電を去り、すでに亡くなっておられます。どんな関係だったのかは不明とありますが、やはり関電の福井県内の原子力発電事業を推進するために森山元助役が必要だったことはほぼ間違いないでしょう。関電の再発防止策としては、「第二の森山氏」を出さないためにどうするのか、というところが出発点です。つまり原子力事業部門の運営において、政治家、地方自治体、地域住民とどう交渉するのか、といったビジネスモデルの在り方を見直すことが必要であり、これを「接待、贈答問題」に矮小化してしまってはならない、ということです。
しかし、原子力事業を何事もないかのように進めることができる人物こそ、社内で評価されトップへと昇格できる人なのでしょうね。だからこそ、原子力事業で苦労した役員には「裏報酬」(修正申告による納税分)を「顧問料」として支払い続けることが(社内的には)大事だったと思います。この組織風土をどう変えていけるのか・・・そこが課題ではないでしょうか(かなりむずかしい・・・)
ちなみにご存知の方も多いと思いますが、関電で失権した元副社長さんの証言は、朝日新聞「法と経済のジャーナル」(有料版)で、8回にわたってリリースされています(関西電力元副社長 内藤千百里の証言)。森山氏は関電を金品贈与によって「共犯」に仕立て上げたという文言はすでにここで書かれていますし、またフナクイムシ事件の真相も書かれています。
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コメント
ハーバード・ウィリアム・ハイリッヒ氏が提唱した「ハインリッヒの法則」は、労災現場の注意喚起などで用いられますが、日本の商習慣の歴史を辿るとしたら、「チョンマゲ商人」時代から、不祥事のDNAにも当てはまるかも?と思っています。
(どんな不祥事や重大な事故も決して突然に起こるものではなく、それに至るまでには小さな予兆の積み重ねがあり、それを放置すれば、取り返しのつかない事故や不正を誘発する…)
時代劇の1シーンでは悪代官と悪徳商人の「上層部密談」があり、先日報道された「水道機工社」の如く国家資格を不正に取得しての現場作業が国内随所で蔓延横行し、(間接的ながら)原発という「病巣」の建設及び運営維持の為に、頻繁に派遣される出張社員エンジニア達の宿泊や飲食で潤う立地地域の民宿や居酒屋などは、生計維持の為に原発推進派として役場:自治体と波長をを合わせる…という構図が形成されて来た様に感じます。
生粋の地元生まれの人が減少しているのに、不釣り合いな体育館が建設されたり、千人近い収容力のある音響施設、豪華な庁舎が建設されている自治体などは、原発誘立地同様の「上層部密談」という可能性があり、そこに起因する「重症の病巣」がその地域にまき散らす悪循環は、新型コロナウィルスより質が悪いのかも?と思ったりしています・・・。
投稿: にこらうす | 2020年3月18日 (水) 08時22分
原子力発電に限らず、地方の大小の「ボス」をなだめすかして地元対策をお願いしなければならない、という日本社会の不可思議な構図があります。漁業権とか水利権とか、都会に住んでいる人間には合理性があるような無いような「既得権」を持つ集団の合意を得なければ、物事が進まない‥‥ 既得権がからまなくても、「地元の合意」を取り付けなければ進まない‥‥ こういう事業が多数あります。いま、「環境アセスメント」が必要とされる事業はすべて該当します。
ふつうの私企業なら「面倒くさいから、やーめた」と言えるケースでも、電気、ガス、鉄道、、、といった公共インフラを担う企業は、撤退も簡単ではありません。そういった事業者の事業開発に際して、事業者側にだけ高いコンプライアンスを要求されている、という構図にも見えます。20世紀の、総会屋と会社の関係を思い出します。
地元のボスたち、およびそこにぶら下がって利益を得ようとする人たち、にもコンプライアンスを遵守させる仕組みが必要だと思うのですが、その良い手立てはないのでしょうか?
こういった、企業サイドと地元サイドのコンプライアンスに関する片務性、非対称性が続く限り、事件はなくならないと私は思っています。
投稿: しがない内部監査員 | 2020年3月18日 (水) 14時19分