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2020年11月16日 (月)

日本企業のESG-なぜGはE・Sと並んでいるのか?

さて、先週月曜日に続いてESG経営に関するお話です。ESGへの取り組みは本当に企業価値向上につながるのか?等、世界的にも議論の対象になっているESG投資ではありますが、日本では投資総額が急増していることは間違いありません。そこで、賛否両論はあるものの、第三者機関によるESG評価基準にも関心が寄せられるようになりました。

ただ、私はずいぶん前から「なぜ、環境、社会(人権)と並んでガバナンスが評価対象となるのか」ということについては素朴な疑問を持っておりました。ただ、最近は国内外の機関投資家の方々と意見交換を行う中で、「なるほど」と思うところがありました。そこで「環境」「社会」とならんで、なぜ「ガバナンス」が評価対象とされているのか、という点について私見を述べておきます。

「ガバナンス」への評価といえば、取締役会の実効性評価、つまり多様性だったり、モニタリングモデルだったり、社外役員の数だったりが評価の対象になることが想定されます。ただ、非財務情報であったとしても、環境関連財務情報であったとしても、「ガバナンス」自体が独立して評価される、ということではないように思います。

地球環境の変動や世界的な人権・社会問題に企業がどのような影響を及ぼすのか(リスクと機会を把握することが前提ですが)、各企業はその実体面について定性的もしくは定量的なコミットメントを行う必要がありますが、では、本当に実行できるのかどうか。その実行可能性は各企業の実施プロセスが明確にならないと判断できないわけで、このプロセスを説明する基準が「ガバナンス」だと理解する必要があるのではないでしょうか。

たとえば英国のESG評価機関が採用している「ガバナンス」の評価基準は、単なる「企業統治システム」だけでなく、リスクマネジメント能力、課税コンプライアンス、腐敗防止(品質偽装や外国公務員贈賄)、競争コンプライアンス(カルテル防止や優越的地位の濫用防止)といった評価項目が含まれており、つまり社会(人権)への取り組みを進めるための経営陣のコンプライアンス意識の高さがあって、はじめて「E」への配慮に信用性が付与されるものと理解されます。

また、米国のパリ協定復帰で注目される「TCFG」ですが、企業が気候変動に向き合う姿勢(脱炭素化に伴うリスクと機会に関する課題、及びその課題解決策の実施手法)を財務数値で説明するとしても、課題解決のプロセスを示すモノサシのひとつが「ガバナンス」です。経営陣が開示している将来目標を達成するための途中経過を理解できるだけの構成員がそろっているか(環境経営に関する知見の保有)、もし不十分であるならば、将来目標を達成しうる取締役会を構成できるか(監査と監督)、といったところがガバナンスの評価項目になるものと思われます。

そして、ガバナンスの開示にあたって大切なことは、そのようなプロセス(ガバナンス)の実効性が高いことを、エピソード等でストーリーとして対外的に示すことだと考えます。おそらくESG経営への取り組みにおいて、もっとも難しいのは、この点ではないかと。こうやって私見を書いてみますと、やはりESGに熱心な会社とそうでない会社とでは、開示情報に大きな差が生じることになるように思います。もしESGに前向きに取り組むのであれば、上記のような点に配慮することが求められるのではないでしょうか。

 

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コメント

(山口先生の本エントリー:ご主旨とは、やや外れるかも知れませんが)

今朝(11月16日)の読売新聞をはじめ、生保各社の「ESG投資」が加速している事が各方面/報道等で発信されています。
JAPANの大手生保の一角:第一生命社も然り。上記紙面には、ESG専門のアナリストが、第一生命が行う「投資先の分析」に加わった…とか。
山口先生の前回エントリーで触れられた今の第一生命社・・・社の機関投資部門とは異なるものの、顧客から20億円近い不正取得を、業務命令では無かったものの(?)営業職員にさせていた会社が、そもそも、国内企業の大株主という顔も含め、ESG展開する優等生/模範的立場などと、ふるまえて良いのでしょうか?と疑問視する様になっています。

三省堂の某サイト上の「コーポレートガバナンス(企業統治)」を説明する文面中でガバナンスとは、企業の不祥事を防ぐ事を目的…と記されています。
こじつけ的で恐縮ですが、一営業職員が行なった不正とは言え、第一生命社には一時的に、顧客視点で、悪者(営業職員の不正)と良者(本業及び、CSRなど)の相反二面性が働いていた事になります。ガバナンスの機能不全状態だった訳です。

”E”に反する環境破壊、”S"に反する様々なハラスメント等を積極的に自浄展開し、それに良い評価が下る意味で「投資」を受け、投資先は地球と人にやさしい展開をする…。どんな組織であれ「きれい事だけでは成り立たない!」と唱える勢力は、昔も今も(そして将来も)無くなる事は難しい。けれど減衰させる事はできます。だからこそ、G=ガバナンスのインテグリティな存在/強固な牽引力が不可欠かと。

ただ、コロナウィルスの様に、立派な経営者層だけでは解決出来ない事も、自然界にありますし…(日本生命社を贔屓する訳ではありませんが、数ヶ月前に私が懸念していた「サバクトビバッタ被害」も、ニッセイ基研レポートでは、沈静の様子らしいので少し安堵)

とまれ…一体いつ、どこのどなたが「 ESG 」という語呂合わせを始めたのか存じませんが…G(ガバナンス)for E(自然環境保全)& S(人権尊重、社会規範)と並べた方が、理解されやすいのでは?と秋の夜長に思っています・・・。

投稿: にこらうす | 2020年11月16日 (月) 18時58分

いつもありがとうございます。私もまったく同感です。今朝の日経5面にミキハウスのサプライチェーン・コンプライアンスの取組みが紹介されていましたが、あのような取組を模倣ではなく、自社で推進する姿勢こそ、ガバナンスとして評価されるべき、と考えます。
「ガバナンスは企業価値向上に役にたつか」といった抽象的な議論をしているだけでは、とうていESG投資の対象からははずされてしまうように思います。攻めでも守りでもどうでも良いので、自社のコミットメントを果たせる企業なのかどうか、そこにガバナンスを評価する実益があると考えています。

投稿: toshi | 2020年11月16日 (月) 19時13分

山口先生のおっしゃる「コミットメント」、を守ろうという意識が企業には無いのだと思います。
「コミットメント」は、にこらうすさんのおっしゃる「きれい事」であって、「守らなくても許される」という意識が強い。
社外役員含めた経営陣が「ガバナンスが機能しなくて問題無し」と判断して経営を進め、政府や経団連も「メスを入れにくい」と判断されると、GだけでなくEもSもダメになると思います。
「経営陣のガバナンスの問題」にも対応できる、気概のあるコンプライアンス部門やホットラインはいないような気がします。
経団連の中に、「会員企業に関する通報窓口」があって然るべきと、2014年から当時の榊原会長等に要請しました。
この年、森まさこ消費者担当大臣時代から、消費者庁で「公益通報者保護制度の実効性の向上」検討が始まりました(山口先生、御存じすぎる)。

投稿: 試行錯誤者 | 2020年11月17日 (火) 12時23分

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