ダイバーシティ(D&I)とハラスメント対策は「セット」だと考える
土日も関係なく調査業務が続いており、なかなか時間がとれませんが、思うところをひとつだけ書かせていただきます。今週の日経ヴェリタスでは「ダイバーシティを買う 多様な人材、企業価値の源泉」という特集が組まれています。私は日経ニュースで紹介されている以上の中身については読んでおりませんが、もはやD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)は企業の社会貢献ではなく、企業価値の向上のためには必須の戦略だという内容のようです。
思想としては正論であり、また市場においても多様性を重視する銘柄で構成する指数が比較的好成績を上げていることも否定できない事実です。しかし、企業の不正調査をお手伝いしている者として(狭い視野ながらも)現実をみると、ダイバーシティの実践は現場のハラスメント、とりわけパワハラを助長する可能性も高めている(パワハラリスクを顕在化させる)ように思います。
ダイバーシティに「社会貢献」の色が濃い時代であれば現場での軋轢も少なかったのですが、「企業価値の向上に資する」ということで「多様な考え方を経営に取り入れる」のであれば、上司の部下に対する「考え方・働き方の強要」に由来する「個の侵害」事例が生じます。また、社内常識に反する考え方を持った上司に対して部下が共同して嫌がらせ行為に出て排除する行動(これも厚労省のパワハラの定義に含まれます)に出ることもあります。近時はインクルージョン(考え方の受容)という概念も普通に語られるようになりましたが、意味の取り方次第では「個の侵害」を正当化してしまうようにも思われます。
企業のハラスメント対策が「個(加害者)と個(被害者)の問題の解消」として捉えられていた10年ほど前までであれば、偶発的事故の後始末のような発想で、個々の紛争を処理していればよかったのかもしれません。。しかし、企業のハラスメントは「職場環境配慮の問題の解消」であり、放置することで「会社が辞めてほしくない優秀な人材から退職していってしまう」時代となりますと、ハラスメント対策こそダイバーシティを企業価値向上に結び付ける前提条件として考えるべきではないか、と思うようになりました。
たとえばダイバーシティは経営企画が担当し、ハラスメント対策は人事部が担当しています。まじめな企業ほど、それぞれの部門が熱心に業務を遂行していますが、ではそれぞれの部門の隙間で発生した問題はだれが解決するのでしょうか?(隙間で発生した問題の解決は、自らの人事評価には結び付きません)それぞれの部門が役割を果たした後に発生した問題の後始末は、これからも私のような弁護士が報酬をもらいながら場当たり的に担うのでしょうか?掛け声は素晴らしいのですが、担当役員より上の人たちが率先して隙間を埋めることに尽力しなければ、結局のところ「形だけ整えて、実質は伴わないD&I」に陥ってしまうように思います。
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コメント
渋沢栄一というJAPAN近代史における高名人物を取り上げた大河ドラマにおいて、先日=3月14日放映回のタイミングで、「悲憤慷慨」という台詞を盛り込んだ脚本/番組制作の意味を、東日本大震災発生10年の時間的節目に併せた物的被災と、心身的被災、そして「フクシマ」…国家規模の復興長期化という行政財政&経済的負担視点からも、深く考えさせられた翌日に、山口先生の本エントリーを拝読しています。
是非はともかく、原始時代の洞窟生活の様に、他の動物同様の「巣」生活と社会形成であれば、おそらく価値観は統一できて、年上を敬う上下関係等が、一定の機能を果たし、ある程度の円満性は維持出来たと思います。
人間社会の行動範囲比例的拡大と共に、自分の価値観との相違を認識し、相手を気遣う事の必要性を求められ実行する事が、時空を経て「情けは人の為ならず」という諺を生み出した(?)と思ったりしています。
山口先生の唱えるダイバーシティは、単なる多様性という意味より、(勝手な想像で恐縮ですが)「ダイバーシティ・マネジメント」に近い様な推測を抱いています。そこにハラスメント対策をも盛り込ませる…でしょうか。(欧州で芽生えた福祉政策概念と併せて)
(三菱電機社のパワハラ労災認定報道における、関西という地区の、言語表現を考えています…)
東西に二分した際に、「西日本」で生育し、「東日本」で仕事/生活もしてきた者の末席的考察で恐縮ですが、大阪に主拠点を置く吉本興業という一企業が発信してきた「お笑い文化」における、「ボケとツッコミ」の根本否定をするつもりではありませんが、
上司が部下を叱咤激励の意味で発した言動だとしても、受けた部下がその微妙なニュアンスを正しく受容出来るかの保証はなく、昨今の政界で多用されている「担保」を確保する事が、今のビジネス社会の会話現場で必要性が高まっている様にも思います。
上記パワハラ:労災認定報道では、職場の教育主任上司が、当時20代の新入社員男性に対し…「飛び降りるのにいい窓あるで。死んどいたほうがいいんちゃう」などと言われたと、パワハラ被害について記したメモを残して自殺しました。とのこと。
幾つかの仮説考察ですが、死亡した男性の出身地はどこで、高校〜大学(?)をどこで学び生活し、兵庫/尼崎の職場配属に至り、関西弁エリア=方言解釈の習熟度の有無を、教育主任上司が、きちんと把握しての発言だったのか?と考えさせられています。
加えて、学生時代は体育学系?文系?など。
(関西弁発信する傾向が高まる法曹界(否、放送界)…国営/民放番組にも深く浸食している、関西弁哲学を通す言動現状の功罪)
関西人社会にとっては当たり前なれど、北海道東北/関東甲信越/中部東海/中国四国/九州沖縄などの別地生活者に、正しくその発する言動のニュアンスが伝わっていないのでは?と危惧する場面が増加傾向に在る様に思っています。
(「馬鹿は、死ななきゃ、治らない」という誤認妄想を発信する事を禁止する法案を提出する必要が急務な時代到来?)
「飛び降りるのにいい窓あるで。死んどいたほうがいいんちゃう」などと言われた…という部分からは、上司からすれば、入社間もない若手社員の言動に幻滅し、関西系によくありがちな、「(一旦)死んで、(蘇生し)生まれ変わってこいや!」という想いから来るかの如くの発言の一つかと。(発声トーンは?面と向かっての怒鳴り口調?若しくは目も直視せず冷めた口調で吐いた?)「死んどいたほうがいいんちゃう」…この部分は、死ぬ事を最終目的にしているのではなく、再起を促す気持ちも在りそう?
(あくまで想像ですが、言葉洒落的に「(一度死ぬ事で生まれ変われるという空想事例を用いて)我が社の利益に貢献するスキルを持って(自社に有益な職務遂行力を)欲しいという希望的観測も少しはあるかも?)
その為の手法として、生産技術センターのビルの窓から飛び降りる行為を促す例に挙げた…かも。(関連会社が建設したであろう、ビルを支持するかの如く:一種の「三菱」愛?)
肌の色や、容姿を茶化しても咎められなかった時代の「吉本新喜劇」や「ド突き漫才」を知る世代の一人ですが、一般的概念/常識から逸脱した様な言動をした際に「アホやなあ」と指摘されても、「(私は)アホやない!(くるくる)パーでんねん!」と返答出来る事を良しとする関西独特のノリの美化伝承等が、三菱電機社の社内教育マニュアルに記述されているかは存じませんが、関西エリアで人間社会形成する為のノウハウの一つ(?)
吉本興業社の構築して来たお笑い文化=営業を妨害するつもりは決してありません。けれど令和時代の若者世代は、昭和/平成時代を生きたガラパゴス的世代の上司などと接する際の「抗体力」的保身術を養う機会=社会システムが乏しいのも事実なのかも知れません。
関西弁はじめ、県知事リコール偽装で揺れる大都市の某市長が、頑に方言を駆使するのも、文化としての言語発信の範囲なら否定はしませんが、場所/タイミング:受け手をどこまで視野に入れての言動か?と疑わざるをえない場面の多発する現状は、従来の概念では通用しない時代だと…。
不幸な結末に遭われた方々のご冥福を祈りつつ…ですが、愚文考察を重ねました・・・恐縮です。
投稿: にこらうす | 2021年3月15日 (月) 11時13分
弁護士が「心の隙間」を埋める職業だとは思いません。
ただし、私もダイバーシティを標榜する社外取締役に不正通報してきましたが効果ありませんでした。
これはダイバーシティ云々ではなく、社外取締役の役割と本人の認識の問題だと思いますが、「仏作って魂入れず」という言葉には既に飽きてしまいました。
投稿: 試行錯誤者 | 2021年3月15日 (月) 21時00分
「ダイバーシティ(D&I)とハラスメント対策は「セット」だと考える」に賛成です。
以下のご指摘を読むと、この対策は企業風土を変える取り組みであるとの認識を経営者がしっかり持つ必要があると思います。
・ダイバーシティの実践は現場のハラスメント、とりわけパワハラを助長する可能性も高めている(パワハラリスクを顕在化させる)
・近時はインクルージョン(考え方の受容)という概念も普通に語られるようになりましたが、意味の取り方次第では「個の侵害」を正当化してしまう
・企業のハラスメントは「職場環境配慮の問題の解消」
投稿: 箱田順哉 | 2021年3月16日 (火) 07時44分