少し前までは「もはやコンプライアンスは『法令遵守』の時代ではない。社会からの要請への適切な対応こそコンプライアンスの要諦である」と語られていました。そして、その「社会からの要請」への不適切な対応は企業の社会的評価(レピュテーション)を毀損する、ということで、レピュテーションリスクへの対応こそコンプライアンス経営の神髄であると言われていました。
もちろん、これは間違いではありません。しかしながら「では、いったい何が企業にとっての『レピュテーションリスク』なのか」というと、たとえば1990年代に「企業の業績悪化の理由」として語られていた「バブルがはじけて・・・」というフレーズと同様、中身がフワッとしていて、世の中が移ろいゆく中で、意味が変遷しうるようなあいまいな概念です。私の関心分野で申し上げるならば、企業のレピュテーションを毀損する原因は「企業不祥事の発生」なのか「発生した不祥事の発覚」なのか「不祥事隠ぺい」なのか、それとも「不祥事隠ぺいが経営者を含んだ組織ぐるみであること」なのか。「レピュテーションリスク」なる言葉を用いると、語る人によって意味するところはマチマチなのです。
ただ、ポストコロナに向けて、コンプライアンス経営を語るにあたっては、そのようなフワッとした「レピュテーションリスク」なる言葉で説明できる時代ではなくなってきました。5月23日の日経朝刊「文化時評」の特集記事では「企業広告は政治を語るべきか-企業が自らを守るには表現することが必要。その根底にあるべきは自律した倫理観だ」との見出しで、これからの企業のリスクマネジメントの姿勢について語られています。私も「政治を語るべき」とは言いませんが、議論の方向性についてはそのとおりであり、「企業は自らのビジネスにおける哲学を語ること」がコンプライアンス経営にとって不可欠になると考えています。
まず、「ガバナンス・コード」(企業統治指針)の浸透です。comply or explainは「事実上の行動規範の強制」だと言われてきましたが、今年の改訂内容をみれば、上場企業にとって粛々と従うには相当ハードルが高くなったと言わざるを得ないでしょう。粛々と従うのではなく、「無理なものは無理」「従いたくないことは従わない」とハッキリ明言しなければ企業価値を失ってしまう企業も出てくるはずです。もちろんコードを策定する側からすれば、市場全体での資本の最適配分が実現すればよいわけですから「労働の流動性及びM&A法制さえ確保されていれば、そもそもつぶれてしかるべき企業はつぶれてもよい」という思いはあるはず。しかし個々の企業にとってはたまったものではありません。そこで、企業はきちんと自社のモノサシを明示して、そこから逸脱するものは従わない、という姿勢を示す必要があります。
つぎに「共助の精神」の必要性です。近時「ビジネスと人権」について語られる機会が増えたことは皆様ご承知のとおりです。そもそもグローバルな視点でみても、「人権」を擁護するのは原則として政府の役割であり、私益を追求すべき企業の役割ではありません。しかしながら、政府よりも強大な権限によって人権を制限しうる巨大企業、一国の主権だけで自国民の人権を擁護しえない(または課税の公平性を実現できない)ようなグローバル企業が登場したことから、企業は政府の仕事の一端を担う必要がある、といった思想が、各国政府で共有されるようになりました。
日本国内において、この5月から「誹謗中傷動画の削除」に向けて法務省とグーグルが官民連携で対策を練ることになりましたが、これは典型例だと思いますし、官民連携だけでなく、大企業がサプライチェーン全体の人権侵害の排除に取り組むことなども民民連携として不可欠になります。官民連携に積極的に取り組む企業としては、今後ルールメイキング、ロビー活動、ペナルティ付与等において、他社とは異なるアドバンテージを持つわけで、もはやコンプライアンス経営は「守りの経営」ではなく「攻めの経営」と親和性を持つことになります。「共助の精神」を発揮するためには、当然のことながら社内外への御社の企業哲学を発信し、共感してもらうことが必要となります。
そして最後が「経済安保への向き合い方」です。上記日経「文化時評」で取り上げられたテーマです。御社は欧米のほうに向いて事業を展開するのか、それとも中国、ロシアのほうに向いて展開するのか。沈黙は許されず、きちんと企業としての方針を明示しなければならない時代になった、ということでしょう。どのような発言をしてもレピュテーションは毀損されるのですから、たとえ毀損したとしても、御社の長期的な企業価値を向上させるためには、あえてレピュテーションリスクをとりにいかなければならないと思います。
たとえば私が日本企業にとって来年、再来年あたりに直面するコンプライアンス問題として「ワクチン接種」の課題を想定しています。上司Aが部下Bに対してワクチン接種を推奨し、もし接種を拒否した場合には同じチームからはずす、と申し向けた場合、会社はどう対応すべきか、かりに部下Bが女性社員であり「ワクチンの母性に及ぼす影響がある程度判明する2年後までは接種は控える」と言われた場合はどうか。海外のグループ会社の現地社員の場合はどうか。消費者の安全に配慮して「お客様と接触する当社社員は、全員ワクチン接種を済ませております」との広告を打った場合、この表現には世間がどう反応するか。世界の多くの企業で既に発生している難問ですが、御社としての企業哲学をきちんと示さなければ、日本国内のみならず、世界のNPO団体等から「ブラック企業」「ESGに後ろ向きの企業」と名指しで攻撃されるかもしれません。
これまでレピュテーションリスクを低減するためには「沈黙は金」としていたかもしれません。しかし、沈黙はレピュテーションリスクを顕在化させる時代となりそうです。企業哲学を語れるCEO、またはCEOの傍らで企業哲学を語れる人材が「攻めの経営」にとって必要な時代になると考えます。