五輪汚職-KADOKAWAになくて講談社にあったもの
11月9日に五輪組織委員会元理事の捜査は終結したことで、10日以降、朝日や読売の特集記事が連載されていました。なかでも11月11日の朝日新聞朝刊記事「五輪汚職 負のレガシー:中)すべてを一強が仕切った 電通に巨額報酬、かばった元理事」は読みごたえがありました。
企業のコンプライアンス経営の視点から、もっとも興味深いのは以下の部分です。少しだけ朝日の記事から引用させていただきますが、
いずれもトップが逮捕された出版大手「KADOKAWA」や広告大手「ADKホールディングス」では、社内で賄賂にあたる可能性が指摘されても、重視されることはなかった。一方、出版大手「講談社」は元理事から、KADOKAWAとセットでのスポンサー就任と手数料の支払いを持ちかけられたが、断った。講談社の関係者は「週刊誌という媒体を持つ嗅覚(きゅうかく)の差が判断を分けたのでは」と振り返る。
とのこと。これ、かなりリアルですよね。この「嗅覚」の差がレピュテーションリスクが顕在化するかどうかの分かれ目になることはよくあります。リクナビ事件のときも、日本の名だたる企業がリクルート社から「内定辞退者予測AIソフト」を購入して社名が公表されましたが、唯一三井住友銀行だけは「なんかおかしい」という判断で購入を見合わせ、行政指導の対象にはならなかったことがありました。
ただ、この嗅覚ですが、「気づくこと」はトレーニングを重ねることで進化させることはできるのですが、「伝えること」は企業の誠実性、いわば「カルチャー」に依拠するところが大きいですね。講談社の場合、Fridayや週刊現代で痛い目にあった経験がまさにカルチャー(組織風土)を形成しているのではないかと。不正予防の大切なところはお金をかけることではなくて、この「嗅覚」を誰が具備するか、というカルチャーの問題です。小さな失敗を繰り返すことは無形資産です。
あと、これはどなたも意見として述べておられませんが、収賄側も贈賄側も、そして電通さんも、なんとなく「これって違法ではないのか」といった意識を仮に持っていたとしても、これを正当化する理由があったのではないかと想像します。「国民の負担は1円でも減らさねばならない、我々は国民のためにできるだけ多くのスポンサー料を獲得するのだ」という使命感です。多少グレーな部分があったとしても、自分たちは国民のために頑張っているのだから批判される筋合いではないのだ、という意識がコンプライアンスを秤にかけてしまった原因ではないでしょうか。かつて「正義のため」に債権回収に躍起になっていた整理回収機構を某生命保険会社が厳しく追及した事件がありましたが、その構図に似ているように思いました。
万博はじめ、これから開催される国家的行事に税金が投入されるかぎり、関係者が「国民の負担を減らすことが我々の使命」と認識してしまいますと、どんなにプロセスの透明性を確保しても再発防止は困難です。不正行為の正当化根拠は存在することになり、同様の不正行為が起きる可能性は高いように思います。たとえ有罪立証に100%の自信がないとしても、司法当局が厳罰をもって事後規制手法(刑事罰)を機能させなければならない、ということになるのでしょう。
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