月刊「世界」2023年11月号の記事「座談会-【芸能と人権】 ジャニーズ問題のゆくえ」を読みました。SMILE-UP(旧ジャニーズ事務所)問題に長く関わってこられた方々によるお話は、やはり深みがあります。日本で放映されたBBCの喜多川氏性加害に関する番組は、5年も前から取材が開始されていたのですね。おそらくBBCの元人気司会者やアメリカの元映画プロデューサーの性加害事件を契機に「日本でも同様の問題があるのではないか、日本はこの問題にどう対処しているのか」という疑問からジャニーズ事務所関係者への取材が開始されたものと推測します(思うに、このBBCの取材は番組がNHKに取り上げられるまで、関係者は知らなかったのでしょうか)。
まず上記「世界」の記事を読んで思ったことは、私が想像していたよりも「被害者への法を超えた救済」には時間を要するのではないか、ということです。そもそも被害者とされる方々の確定作業に時間を要することはすでに報じられているところですが、「法を超えた救済」とは①法的に消滅時効の要件に該当する賠償請求権についてもSMILE-UPは時効を援用しないこと、②不法行為請求権の要件事実に関する主張・立証責任を転換すること(要件該当性がないことはSMILE-UP側が立証しなければならないこと)、③金銭賠償以外の救済措置、たとえば(被害者からの希望があれば)ハラスメント被害回復のためのカウンセリングを行うことと理解しております。そうなると、おそらく5年から10年くらいは被害救済のための時間が必要となるはずであり、SMILE-UP社はステークホルダーに対して継続的に「法を超えた救済」の進捗状況について開示しなければならない、ということになります。まず、メディアをはじめステークホルダー企業については、このSMILE-UP社の被害救済の状況を長きにわたりモニタリングしなければなりません。
つぎに(まだ名称は不明ですが)旧ジャニーズ事務所の事業運営を引き継ぐ新会社については、もし各ステークホルダーが取引を再開するのであれば「性加害を容認してきた企業の利益に貢献している」と評価される事態は避けなければならないので、その取引再開にあたっては「タレント本人の収益にのみ寄与している」と説明できるだけの合理的な理由が必要となります。その合理的な理由を判断するために新会社へのモニタリングが必要となります。
たとえば広告に出演しているタレントは新会社とマネジメント契約ではなくエージェント契約を締結しているから、というだけでは合理的な理由にはなりえません。形のうえでは「エージェント契約」であったとしても、実際に雇用契約なのか、請負契約なのか、本当にエージェント契約なのかは、そのタレントと事務所との実体から判断されるからです(少なくとも司法判断ではそのような実務です)。税務上の取扱い、専属性の有無、諸経費の負担、業務における裁量権の幅、社会保険の有無等をきちんと確認したうえで、「事務所はタレントから手数料を受領しているだけであり、あくまでも代理人に過ぎない」と評価することが求められるでしょう。
なお、タレントによっては新会社とマネジメント契約(雇用契約、請負契約)を締結している場合もあるかもしれませんが、今後発表される新会社のガバナンスや株主構成が大きく変わらない限りは「喜多川氏が亡くなるまで、性加害を容認してきた企業への収益貢献企業」と評価される可能性はあると考えます。つい先日、アメリカにおいて性加害を繰り返していた元映画プロデューサーに資金支援をしていたとして、ドイツ銀行やJPモルガン銀行が100億、300億(いずれも日本円)の損害賠償金を支払った集団訴訟が終結しています。今回の性加害事件の動向は海外からも注目されているので、各企業とも新たなレピュテーションリスクの顕在化だけは回避したいところです。
また、上記「世界」の記事で初めて知りましたが、ジャニーズ事務所は日本音楽事業者協会には所属をしていなかったのですね。つまりエンタメ業界における自主規制の網からはずれていたので、ガバナンスについても監視の目が届いていなかったようです(たとえば取締役会が全く開催されていなかった等)。まずは新会社が設立された場合には、この協会にきちんと所属することを、取引企業としては要請することになると思います。このような協会に苦情処理システムがあるのかどうかは不明ですが、ハラスメントに特化した通報窓口が自主規制組織に存在するのであれば、少しは事務所とタレントとの対等性が高まるのではないでしょうか。
さらに新会社の設立計画が明らかになれば(たとえば知的財産権の帰属、取締役会構成員、株主の属性及びファイナンスの手法)、新会社とタレントもしくはタレントが経営する会社との関係でさらに検討すべき問題が出てきます。今後、新会社となんらかの関係を有するタレントを起用するにあたり、取引企業がリスクマネジメントとして対応を検討するのであれば「横並び」「様子見」の精神で対応することも考えられますが、「ビジネスと人権」に基づく企業方針に従った対応を検討するのであれば、これまで述べてきたような厳しい姿勢が今後も求められるものと考えます。