大川原化工機冤罪事件と「裁判官の独立」
週末、妻は映画「国宝」を大きな映画館で堪能していましたが、私は映画「桐島です」を十三(じゅうそう)の小さな映画館で観てきました(もちろんシニア割引1,300円)。ガンで倒れるまで居住していた劇中のアパートは、実際に彼が居住していたアパート(藤沢市)よりも数段キレイでしたね。それにしても、あれだけ全国に指名手配の写真が貼られているにもかかわらず、小さな工務店に普通に勤めていて、ライブハウスの常連として友達も(恋人候補も?)いて、どうして50年近くも捕まらなかったのか。そしてなぜ亡くなる間際に「東アジア反日武装戦線の桐島です」と名乗ったのか、正直映画を観ても釈然としませんでした。ただ、そのような謎多き桐島聡を毎熊克哉が好演していました。
さて、8月25日、大川原化工機冤罪事件で、警視庁と検察の幹部が、逮捕・起訴後に体調が悪化し、保釈が認められないまま72歳で亡くなった同社元顧問の相嶋静夫さんの墓を訪れて、遺族に謝罪をされたそうです(たとえば読売新聞ニュースはこちら)。警視庁と最高検が今月7日に捜査の検証報告書を公表したことを踏まえ、謝罪が決まったとのこと。
最高検の検証報告書は(踏み込み不足との批判はあるものの)一連の対応を「深く反省しなければならない」とした一方で、最終的に保釈を認めるかどうかを判断した裁判所は、その是非を検証しようとはしないようで、裁判所当局が検証しない背景は、憲法が定める「裁判官の独立」を脅かしかねないとの考えがあるからだと解説されていますね。もちろん、ひとりひとりの裁判官の責任追及につながるような検証作業については憲法が保障する「裁判官の独立」を侵害する可能性はあると思いますが、裁判所という組織の構造的不備に光を当てた検証であればとくに問題ないはず。
我々が第三者委員会の調査を行う際にも、役員個人の責任には触れずに、組織に横たわる構造的問題を掘り下げて「不適切」と判断することも多いので、そのような検証作業を最高裁も行うべきではないでしょうか。当ブログでは過去から「法人処罰の必要性」について何度もエントリーに書かせていただきましたが(たとえば2017年のこちらのエントリー)、裁判所が(両罰規定を経由することなく)法人自身の刑事責任を認める時代が到来しないと、こういった裁判所の自己検証にも前向きにならないような気がいたします。
