「社内の常識と社外(世間)の常識との乖離」というけれど・・・
企業不祥事の根本原因を考える際、よく「社内の常識と社外(世間)の常識が著しく食い違っていた」「社内の常識は世間の非常識」と指摘されることがあります。不祥事が長い間放置されていたり、不正を不正だと認識せずに不適切な行為を続けていたときに用いられるフレーズですが、最近ちょっと違和感を抱くことがあります。
世間で叩かれて、組織の信用が毀損されてしまった後にに「後出しじゃんけん」のように使われることが多いのですが、そんな簡単に「世間の常識はこうだ」と評価できるものなのでしょうか。それは単に「社会(世間)の常識」といいながら、実は指摘している本人の主観的な常識(と思っているもの)にすぎないのではないでしょうか。
「社内の常識」と比較する「社外(世間)の常識」というものは、当該組織の置かれた経済環境において、さらに組織における歴史的な文脈で考察しないと出てこない評価であり、そこそこ当該組織の社内事情に精通していないと判断できないものと思います。これはなにも企業不祥事の防止といったことに限らず、ビジネスを前に進めるための戦術を検討する際の判断とも通じるところかと(他社でうまくいったビジネスが自社でもうまくいくとは限らないのは当然ですよね)。
KDDI子会社の架空循環取引は、親会社トップが「おかしい」と声を上げたことで発覚したわけですが、結局のところ、ビジネスを前に進めることに有用な意見を述べることができる人が、不祥事の予防や早期発見にも寄与しうるわけで、とりわけ取締役会のスキルマトリクスには(少なくともコンプライアンスという視点からは)あまり意味がないように思うのは私だけでしょうか。
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コメント
先生の言われる通り、これは「常識の衝突」ではなく、「正義の衝突」の問題だと考えます。企業倫理という普遍的な正義と企業の利益追求という特殊な正義との狭間で苦悶していたであろう不正行為者の置かれた環境を理解すべきですかね。
投稿: Qちゃん | 2026年5月11日 (月) 13時12分