会計監査論からみた内部統制報告制度
GW(ゴールデン・ウィーク)の真っ只中でありますが、今週はロースクールの演習もお休みということもありまして、以前からきちんと時間をとって勉強をしておこうと思っておりました本を熱心に読み進めております。
会計監査論(山浦久司 著 中央経済社)の第5版でありますが、粉飾決算における監査人(監査法人、公認会計士)の会社もしくは第三者への法的責任論を理解するにあたっては、まず(法律を離れて)会計監査の世界におけるリスクアプローチについて、きちんと理解をしておく必要があると考えております。監査手続におきましては理論よりも現場感覚を知りたいところでありますが、監査計画の策定に至るところまでは現時点における監査理論をぜひ知っておきたいと痛感する次第であります。会計士試験などでのベストセラーなのかどうかはまったく存じ上げませんが、企業会計審議会監査部会長だった方の著書ということで、もっともポピュラーな考え方によって書かれたものではないかと思い、本書を選択いたしました。リンク先の目次をお読みになるとおわかりのとおり、内容はとてもわかりやすく、会計専門職の方ではなくても、現時点における監査実務について、かなり飛躍的に理解が進むものと思われます。この本を読んで考えてみたいことは二つありまして、ひとつは「財務諸表監査における内部統制の検証と内部統制報告制度との関係」についてであり、もうひとつは「会計監査からみた監査役制度」についてであります。
詳細はまた関連エントリーのなかで追って述べることといたしますが、山浦先生が内部統制報告制度をどのようにみているか・・・、という会計監査論からみた内部統制報告制度への意見が掲載されておりまして、これが実に興味深いところがあります。(この「第5版」において、はじめて「内部統制監査」なる章が「四半期レビュー」と同時に設けられたんですね)とりわけ新しく始まる内部統制監査につきましては、①内部統制の評価範囲については経営者と監査人が「協議」することになっているのだから、保証業務というよりも、合意された手続(agreed-upon procedures)に近いものではないか、②ダイレクト・レポーティングが採用されていないことから、経営者の報告と監査人の意見にねじれ現象が発生して読者に混乱を生じることになるのではないか、③内部統制監査と財務諸表監査とが同一の監査人によって一体的に行われることとなるので、「自己監査」の事態に陥る可能性を有するのではないか、等の意見が述べられております。いずれにしても、企業側の経済的負担を低減する目的で、いくつかの制度が採用されたことからみて、その運用次第では「形骸化」の芽ともなりかねず、注意が必要とされております。
ただ、財務諸表監査に伴う内部統制の検証のなかでは、あまり考えられてこなかった「全社的な内部統制の整備と運用状況の評価」や、「決算・財務報告の業務プロセスの評価」といったものが加わることについては大きな意義を認めておられるようですので、やはり内部統制報告制度においては、統制環境や財務・決算報告プロセスあたりの整備、運用評価がキモになってくることは間違いないと思われます。そもそも会計監査の専門の方々が中心となって内部統制報告制度を作ってこられたわけですから、今後の内部統制報告制度の行く末を検討するにあたっては、これまでの監査論発展の歴史を知ることも大切ですし、また財務諸表監査の本論と、内部統制報告制度では、どれだけ「異質」と受け取られているか、を知ることも重要な気がしております。
私的な関心としましては、内部統制報告制度が施行された後の粉飾決算事例における監査人の過失(法的評価としての)というものは、この新しい制度によって認められやすくなるのか、反対に認められにくくなるのか、といったところにあるのですが、まずこれを論じるにあたりましては、監査計画策定の前提条件となります虚偽表示リスクの評価と、内部統制監査制度とが、どのような関係に立つのか、そのあたりを法的評価を抜きにして常識的な意見による整理が必要になってくるものと考えております。そのうえで、法的評価を検討する際の論点としましては、①監査契約の目的論と内部統制報告制度(不正、誤謬の発見は、監査契約上では副次的な目的とされてきたいままでの判例理論は、内部統制報告制度によって変容を受けるか)②統制リスクに関する法的評価に内部統制報告制度はどのような影響を与えるか、③いわゆるクリーンハンド原則、過失相殺理論は、内部統制報告制度によって適用場面が変わるのか、④全社的内部統制の評価によって、監査人には信頼の抗弁が成り立つのか、といったところではないかと予想しております。(まだまだこのお話は続きます)
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