昨日は速報版ということで備忘録程度のエントリーでありましたが、控訴人代理人の方がWEB上に東京地裁判決、東京高裁判決(および時系列表)をアップしていらっしゃいますので、早速各判決全文を読ませていただきました。(ちなみに、東京地裁判決は取締役側が勝訴判決、東京高裁判決は株主側勝訴判決です)毎度申し上げることですが、おそらく本件判決は旬刊商事法務さんや、金融・商事判例さんなど、格調の高い法律雑誌に、これまた格調の高い法律学者(実務家)の先生方が判決全文掲載とともに小稿をお書きになると思いますので、あくまでも「田舎の弁護士」による感想程度とお読みいただければ結構であります。また、こんな田舎弁護士の感想でありましても、未だ確定していない事件について、どちらかの立場に有利に援用されるような論点についてブログで公表することは、いわば「エチケット違反」になりますので、本当に判決を読んだかぎりでの第一印象程度にとどめておきたいと思います。
本件株主代表訴訟は、アパマンショップHD(以下、ASHといいます)と、その母体企業であった某会社とのいろいろな紛争勃発の背景があって、その延長線上で某会社と関連のあるASHの株主の方々が提起した裁判のようでありまして、本件事案特有の背景事情もあるようですが、そういった背景事情にはあまり深入りせずに、オンブズマン株主さん方が提起するものと同じイメージでとらえておきたいと思います。(客観的な評価額が1万円の株式を、なぜ5万円で買取の申込をしたのか、という点も、本件の背景事情に起因するところが大きいように思いましたが、そのあたりは捨象しておきます)なお、最近刊行されました「経営判断ケースブック」(日本取締役協会編 商事法務)によりますと、株主代表訴訟も最近は裁判例が集積されてきたわけでありますが、取締役による「具体的な法令違反」型の類型においては役員敗訴の傾向が顕著ではあるものの、具体的な法令違反を伴わない、つまり純粋な「経営判断」型の類型においては、公開企業の役員が敗訴する事例は極めて例外的、とされております。(同書25頁参照)そして、私が地裁判決および高裁判決を読ませていただいたかぎりにおきましては、おそらく本件は経営陣の具体的な法令違反を問題とするものではない、つまり純粋な「経営判断」型の類型に属する代表訴訟でありまして、その意味では経営者が敗訴したこと自体が、極めて珍しいケースに該当するのではないでしょうか。
東京高裁の判断理由をみましても、まず通説的な経営判断原則に関する説明から始まるわけでありますが、
ASHが完全子会社を企図するアパマンショップマンスリー社(以下ASMといいます)の未公開株式の評価額を(中立的立場にあった監査法人さんが)1万円程度と算出しているにもかかわらず、5万円での買取りに応じる意向をASMの株主らに対して通知していることや、そういった買取通知の一方で、買取通知に応じないASMの株主に対しては、株式交換契約による株主の強制排除の手続きを進めており、その交換比率によるとASMの株式を1万円程度に算定(交換比率はASH:ASM=1:0.192)している事実、さらにASHは、もともと66.7%のASM株式を保有していたのであるから、とりわけ5万円での買取通知によって株主の応諾をとりつける必要はなかったのではないか、といった疑問点などを重視しながら、客観的な1万円という株価と、5万円での買取とのかい離について、合理的な根拠もしくは理由は示されておらず、結局のところ「取締役の経営上の判断として許された裁量の範囲を逸脱したものである」
と結論付けております。この東京高裁の判断過程は、まさに日本における「経営判断原則」に関する判例上の通説的な枠組みのなかで捉えられておりまして、上場企業の役員の法的責任につき、こういった枠組みのなかで判断される場合には、たしかに取締役には広範な裁量権がある、として取締役の善管注意義務違反の主張が否定されるケースがほとんどであったと思われます。そもそもリスクの高い状況のなかでの高度な判断が要求されるのが「経営判断」ですから、後付けの理由は許されず、判断時の状況を厳密に再現する必要があることは当然だと思います。しかしながら、そういった判断枠組みを利用してでもなお、本件では取締役らの経営判断は善管注意義務違反と評価されたわけでありますので、一定範囲においては裁判所も経営判断に介入する場合があることを明らかにしたものであり、その判断過程こそ、今後慎重に吟味しておく必要があろうかと思われます。
今回の高裁判決についての私的な意見はなるべく控えさせていただきますが、ただ脊髄反射的に素朴な疑問として頭に残っていることだけを書きとめておきます。まず、ひとつめは取締役の経営判断が許された裁量の範囲内にあるかどうかを検討するための認定事実については、地裁判決でも、高裁判決でも、いずれも「経営会議」における言動が問題となっておりまして、「取締役会」での審議内容についてはまったく考慮されていない、という点であります。「取締役の経営判断に合理的な根拠が認められる以上、どのような審議の場であってもいいのではないか」といった考え方が正しいのだろうとは思いますが、一般には「取締役会」での審議事項が問題となるケースが多いのではないでしょうか。そもそも3人の監査役による「判断形成過程」を審査する機会もないところで「経営判断原則」は適用される、というのも少し違和感をおぼえるところであります。
この点につきまして、被控訴人である取締役らのご主張としては、「この程度の判断はそもそも内規では社長の専権事項になっており、社長が独断で判断してもいいのであるが、念のために経営会議で審議をし、また顧問弁護士の意見も聴くことにした」とのことであります。地裁もほぼ同様の判断を前提にしていると思われますが、高裁は「ASH社の場合当期純利益が4億7900万円程度であるところに、ASM社の株式買取価格を1億5800万円とするのであるから、会社にとって大きな影響の出る金額である」としております。私などは頭が固いものですから、裁判所が経営判断の適法性について介入する場合には、その会社意思の形成過程(デュープロセス)にこそ踏み込むべきだ・・・といった印象を持っておりまして、だからこそ「取締役会でどのような資料が出され、どのような審理を経たのか」といったことの事実認定が不可欠だと思っておりました。しかし、こういった地裁と高裁の判断の違いをみますと、そもそもどのような意思形成過程をたどるべき問題なのか(たとえば社長の独断でいいのか、経営会議は必要なのか、それとも取締役会での審議が必要なのかといった問題)その「業務執行の重大性からみた意思形成過程の在り方」に関する議論もしなければならない・・・ということになるのでしょうね。そうなりますと、事案によってはずいぶんと裁判所が重たいものを背負うこともありうるのではないかと考えますが、いかがなものでしょうか。(たとえば重要な業務執行の一環として取締役会で審議しなければならないような経営判断について、内規により経営会議で審議すれば足りるとされているケースだと、経営判断原則の適用においてどのような影響が出てくるのでしょうか)
そしてもうひとつの疑問でありますが、上場企業たるASHの取締役3名は、完全子会社化を企図するASMの(株式交換契約当時の)取締役でもあったわけでして、そうなりますと、子会社であるASMの株主からみても、また親会社の一般株主からみても、ASMの株式買取交渉については利益相反関係に立つことになります。(株主との交渉につきましては、会社法上の利益相反取引ではありませんが)つまり、控訴人らからみて、被控訴人らはASHのために忠実に職務を執行することを期待できる立場にはなかったわけでありますが、ASHの取締役の方々が、こういった状況において経営判断を下す必要があることにつきまして、高裁でも地裁でもまったく問題にはされておりません。私は、こういった状況では取締役には広範な裁量権が認められているわけではなく、たとえば監査法人による未公開株式の公正価格が算定されているとするならば、そういった価格をかなり強く尊重すべき立場に立たされているのではないかと考えるのでありますが、このあたりはどうなんでしょうか。本件のような状況においては、そもそも判例で認められているような「経営判断の原則」が枠組みとして利用されるのかどうか、という問題点であります。
以上のような疑問点とは別に、本件高裁判決は、「弁護士の意見を聞いたから、といって意思形成過程に問題がなかったとは言えない。」として、これまた地裁判決とはかなり結論を異にしております。これも短絡的に経営判断原則と専門家意見聴取は別である、と一概には言えないと思いますが、本件ではかなり具体的に法律的観点からの弁護士意見が出されているようですが、こういった場合にも経営者の方々は免責されるものではない・・・ということについて、一石を投じた判決になるものと考えられます。(本件は、そのままでも司法試験の設問事例になりそうなほど、おもしろい論点が他にもありますが、とりあえず本日は個人的な疑問だけということで。)