2017年4月18日 (火)

企業統治改革を後退させる機関投資家の「費用対効果の壁」

本日(4月17日)の日経法務面では、「取締役会の監督機能の引き上げへ-『社外』明確な役割求める」と題するガバナンス改革関連の記事が掲載されていました。とりわけ経産省研究会による会社法解釈指針に沿った内容で、ガバナンス改革に関心を持つ「法律家」の皆様には(その解釈を正しいとみるかどうかは別として)わかりやすい内容だったと思います。

ただ、私的に関心を抱いたのは昨日(4月16日)の日経日曜版の一面記事「株指数運用、市場を席巻-低コスト強み、投信の8割、企業選別する機能衰えも」と題する特集です。アメリカと異なり、日本の市場ではインデックス運用は増えないだろうとの読みがはずれて、日本株市場では投資信託の8割、年金運用の7割までがインデックス運用に席巻されているそうです。それに加えて「超高速取引」が日本株売買の7割に達するとなると、結局のところ、企業との対話によって銘柄を選別したり、中長期で保有を継続するといったことは「費用対効果」の面において労多くて益なし、と判断される傾向が進んでいるようです。

2016年夏季「大和総研調査季報」には、金融調査部の方による「企業ガバナンス改革の実は結ぶか」と題するご論稿が掲載されていますが(ネット上で閲覧可)、株主と企業との建設的対話の「厳しい現実」が機関投資家アンケート調査結果として公表されています。日本株を保有する投資顧問業者の対話関心事で圧倒的に多いのが「企業戦略」「株主還元策」「企業業績及び長期見通し」。逆に「社外取締役の有無、役割」「取締役報酬」「社会・環境問題」「社長後継計画」などはいずれも10%未満。「株式の政策保有」などはまったく回答もされていません。「そもそもコスト以上のベネフィットが期待できなければ、対話は行われない」とされ、よほど資金規模が大きなところでなけえばインデックス運用をしている投資業者は対話はしないだろうと見込んでおられます。

投資先企業に何か目立った動き(企業不祥事が発生、業績の悪化等)があれば、機関投資家としてもリスク・アプローチによって対話を図るとは思いますが、これもやはり費用対効果を考えての行動かと思われます。どうも「政府の常識」と「市場の常識」とが空回りになっているように思います。日本株市場でもインデックス運用の割合がここまで高くなりますと、(上記日経記事でも懸念されているとおり)ガバナンス改革の流れには今後閉塞感が漂うのではないでしょうか。さらにいえば、今月から始まる法務省法制審議会での会社法改正の審議においても、あまり「ガバナンス改革」の流れを重視した性急な改正論議は避けたほうが望ましいように思います。

私が知る限り、社外取締役の方々も、取締役会に出席するために月1回出社する方もいれば、業務執行に積極的に参加して週2~3回はいろいろな会議に出席してアドバイスを提供する方もいらっしゃいます。監査役さんと意見交換をする方もいれば、従業員の方々と意見交換をする方もいらっしゃいます。したがって社外取締役の役割を一律明確にすることは困難ですし、報酬の決め方にしても各社各様で合理性があると考えます。機関投資家の方々があまりモノサシとして関心を持っていない以上、外向きではなく、内向きにガバナンス改革を自社の戦略に活かす道を模索すべきです。

ガバナンス・コードのような「行動規範」が策定されることについては私は反対しませんが、これを遵守することにはむしろ違和感を覚えます。ウチは遵守しないと宣言しながら、当社のガバナンス(そして、そのガバナンスが企業価値の中長期的向上につながるストーリー)を開示することが大切ですし、インデックス運用の評価要素程度に投資家に活用してもらえればよいのではないかと。「コンプライ」は担当者でも判断できますが、「エクスプレイン」は社長でなければ判断できません。私はむしろそこに目を向けるほうが企業のガバナンス改革への姿勢を見抜くことができると思います。

4月 18, 2017 コーポレートガバナンス関連 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月22日 (水)

企業の持続的成長と社内における「敗者復活戦」の効用

今週号の日経ビジネスの「 三越伊勢丹、社長辞任劇の深層 自壊の始まりか 」を読みました(日経WEBニュースの有料版でも「日経ビジネスセレクト」としてご覧になれますね)。 労組、中間幹部、経営陣の間で、いろんな思惑があったようで、取締役会内部でも前社長さんの更迭問題が冷徹に協議されていたそうです。ところで退任を余儀なくされた社長さんは、このまま三越伊勢丹から完全にリタイヤされるのでしょうか?「おまえ、今回は組の言うことを聞いて後ろに下がっていろ。とりあえずじっとしてろ」  といった説得は全くされなかったのでしょうか?通常、こういった説得は相談役とか顧問の方々が主導したりするわけですが。

先日、某社の企業不祥事対応に関与しておりましたが、同社では社内人事に「敗者復活戦」がありませんでした。幹部社員がリスクをとってチャレンジした結果が芳しくないと「あいつは終わった」と烙印を押されてしまう傾向が強いようです。したがって会社よりも部署の成績優先、情報の横断的な共有化が図られない風土が醸成されて、社内の不正が長期間明らかになりませんでした。社内不正を見逃してやることで貸しを作る文化もありました。一方、別の会社では公然と「敗者復活戦」があったので、誰もが正直にミスを報告し、また「俺では無理だ、助けてくれ」と平然と言える雰囲気がありました。したがって不正や重大事故が発生しても、早期に経営陣が知るところとなり、早期対応が可能でした。

巷間、中長期的な企業価値の向上を図るためのガバナンスが議論されていますが、このガバナンスは敗者復活戦があることを前提とした議論ではないかと疑問に思うときがあります。社長の交代を促すガバナンス、といっても、その社長さんが単純に経営者としての能力がない、というのではなく、会社のおかれた経営環境のもとでは「合わなかった」ということも多いと思うのです。良くも悪くも会社のおかれている環境が変われば、その社長さんの能力が必要とされるかもしれない。そういった敗者復活制度が暗黙の了解として組織に存在してこそ、企業はガバナンスの構築によって持続的成長を図ることができるのではないかと。

どうも日本企業の役員さんは「競争における負け方」が下手なように思います。社内慣行として、ここ一番の勝負に出て、失敗をすると会社を去るか、その後はずっと閑職に甘んじなければならないような雰囲気が漂っていませんかね?(すいません、このあたりはサラリーマンの経験がないので確信が持てません・・・)でも企業が持続的な成長を遂げるといっても、かならず浮き沈みはあるわけですから(ずっと「右肩上がり」なんて企業はありませんよね?)敗者復活戦は残しておくべきではないでしょうか。「潔い」という意味では立派かもしれませんが、企業にとっては大きな損失だと思います。

たとえ降格しても、そこで頑張っていればまだ経営トップに復活するチャンスはある、といった風土のある企業は「不祥事に強い組織」といった守りの部分だけでなく、長期的な業績向上といった攻めの部分でも強みを持っているのかもしれません。

3月 22, 2017 コーポレートガバナンス関連 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年3月 9日 (木)

三越伊勢丹HD社長退任騒動にみる従業員ガバナンスの真の力

三越伊勢丹HD社長さんの突然の退任について、今朝の日経では「大西改革、労組が反旗」との見出しで、従業員の方々による大きな力が社長交代の引き金となったことが報じられていました。また、日経MJでは一面でこの退任劇が詳細に報じされており、革新と人望によって上り詰めた社長さんも、最後は会長さんから「現場がもたない、辞めてくれ」と印籠を突き付けられたことが明らかにされています。退任劇直前には社内外で多数の怪文書が飛び交っていたそうですが、そういえばネット上でも社長さんにかなり批判的な記事が掲載されていましたね。次の社長候補者が決まらない段階で社長退任の事実が(複数のマスコミから)リークされたということの意味がようやくわかりました。

当ブログ2月3日付けエントリー「社長交代」を遂行できるのは経営者OBの社外取締役が適任(後編)でも、私は

社内の本当のガバナンスの力を持っているのは「従業員」です。株主ガバナンスと世間ではいわれていますが、経営経験者は組織を変える真の力を持った者は従業員だと知っています

と書きましたが、三越伊勢丹の著名な経営者OBでいらっしゃる三名の社外取締役の方々も、そのような社内の空気を察知して指名委員会で結論を出されたようです。やはりこのたびの三越伊勢丹社長交代劇も、従業員の方々のパワーによるものと言えそうです。ただ、従業員ガバナンスが機能するのは、本当に切羽詰まってからということで、すでに会社が有事になってからでないと機能を発揮できない、という限界があります。だからこそ、社外取締役は社内の空気を察知して、早め早めに社長交代に動くことが求められるわけでして、そのためにも社外取締役は(責任をもって組織を動かした経験のある)経営者OBが最適だと考えます。

和歌山大学経済学部長でいらっしゃる吉村典久教授のご著書「会社を支配するのは誰か-日本の企業統治」(2012年、講談社)によりますと、昭和50年代に起きた三越事件のときも、実際には経営幹部社員らのミドルパワー、労働組合が社長解任劇の原動力だったそうです(これは社長解任劇の中心におられた河村弁護士のご著書にも記載されています)。上記吉村教授のご著書では、ヤマハさん、セイコーインスツルさん等、ほかにも労働者主導による社長解任劇が紹介されており、吉村教授も従業員集団による企業統治について詳細に検証されておられます。

私自身法律家である以上、株主主権を前提としたガバナンス論を模索するべき立場にあることは重々承知しています。しかし、従業員ガバナンスを基礎において、そのうえで社外取締役が果たすべき役割を考えるというスタンスを重視するようになったのは、社外役員としての経験に基づくところもありますが、先日ご紹介した田中一弘教授の「良心から企業統治を考える-日本的経営の倫理」と、吉村教授の一連のご著書を拝読したところにも依拠しています。なんだかモヤモヤしていたところに、「ああ、やっぱり同じことを考えておられる先生もおられるのだ」と、とても腹落ちしたことを憶えています(あとは、私自身の社長解任事件に関与した経験ですが、そのあたりは守秘義務の関係で口が裂けてもお話できませんが)。

いくら経営者に対する規律付けとしてのガバナンスを議論しても、その決定された経営判断を実行に移すためには(経営幹部を中心とした)従業員の方々に何らかの動機付けがなければ困難です。それは理屈や正論ではなく、もっと情緒的なものだと思うのです。日本企業の労使慣行のもとではアメとムチだけでは通用せず、ガバナンスの議論だけでは中長期的な企業価値の向上は果たせない、というのが持論です。何が「動機付け」になるかといえば、それは創業家の力が強い企業であれば創業の文化・文明であったり、IPO企業であれば経営トップのカリスマ性であったり、サラリーマン社長さんの企業では強いメッセージの発信に特化して、全体最適を取り仕切るのは「番頭さん」に任せることだったりします。プロ経営者を招聘した企業であれば、社内外に新たな「空気を作る」といったことかもしれません。このあたりは個社それぞれであり、経営学を学んだこともない私にも最適解などわかりませんし、他社の成功例を真似できるようなものではないと思います。

今回の三越伊勢丹さんの退任劇ですが、もし2010年に亡くなられた前社長の(百貨店業界のカリスマと称された)武藤氏がご存命で、顧問・相談役として残っておられたらどうなっていたのでしょうか。また退任される社長さんに「番頭さん」がおられたとしたらどうでしょうか。二つの異なる文化を持つ百貨店が一つの組織になったわけですから、外野からあれこれ推測しても関係者に失礼なだけかもしれません。ただ、退任社長さんがここ数年実行されていた戦略から推察しますと、多角化戦略という改革を断行することは、まさにガバナンス改革のもとで理想(こうあるべき)とされていた社長像に近いのではないかと思います。いま、アベノミクスの成長戦略の一環として実現しつつあるガバナンス改革が、「形式から実質へ」と深化するにしたがって、業績向上につながる企業と、逆に自社の長所を見失って低迷してしまう企業に二極化していくのではないかと想像します。

 

 

3月 9, 2017 コーポレートガバナンス関連 | | コメント (3) | トラックバック (0)