(10月27日午後 追記あります)
内部統制と企業情報開示に関するYOSHIさんやとくめいきぼうさんのご意見や、佐山教授の日経ネット論稿「M&Aと利益相反問題」、法律雑誌「ビジネス法務」12月号の中村直人先生のインタビュー記事、不正経理を原因としたユニココーポの会社更生、そして公募増資における引受審査の厳格化問題などなど、あまりに面白すぎてツッコミを是非させていただきたい論点がたくさんあるのですが、残念ながら私自身も本業の集中審理が重なっておりますので、やはり昨日のエントリーの続編のみを書かせていただきます。(ビジネス法務といいながら、路線が少し変わっておりますがご容赦願います)
さきほど毎日ネットニュースを読んでおりましたところ、すでに未履修問題を抱えた高校は35都道府県の244校にまで及んでいるとのことだそうです。ここまできますと、もはや一部の学校の問題として捉えることができず、学習指導要領の法的効力を検討しながら、どうやって大学受験を間近に控えた高校生や浪人の方々が安心して勉強に打ち込める環境を整えるか、その問題解決の糸口を探る必要がありそうです。
ところで学習指導要領というものは「法的効力」を有する、という言い方を昨日のエントリーでしておりましたが、判例をみますと、この言い方は少し不正確だったようです。学習指導要領の法的効力を争点とした判例といいますのは(ほかにもあるかもしれませんが)平成10年1月20日に大阪高裁で判決が言い渡された鯰江中学「日の丸」裁判の控訴審判決が代表的なものではないでしょうか。この大阪高裁の判決は、学習指導要領については行政法上の「告示」にあたるものとして、原則的には法的効力を有するものであるが、その告示内容の解釈によっては法的効力をもたない部分もある、とされております。この裁判につきましては、生徒や教職員の思想信条の自由と関係深い論点を扱っておりますが、そういった部分を捨象して純粋な法的論点として検討した場合でありましても、科目履修に関する指導基準といった部分は、(たとえそれが義務教育の範疇を超えている場合であったとしても)やはり教育基本法や施行規則などの法令解釈として法的効力はある、と判断される可能性が高いものと思います。
ただ、ここから先が問題であります。行政庁における「告示行為」に法的効力ある、としてもその名宛人は誰なのか、法的効力はどういった性質のものなのか、について検討する必要があろうかと思われます。学習指導要領といったものの名宛人は(このあたりは私は専門家ではないので誤解があるかもしれませんが)各学校の代表者、つまり学校の校長先生や学校法人の理事の方になるのではないでしょうか。(注記 なお、行政法上は法的効力を有する告示行為は名宛人のない行政行為のひとつ、と分類されていることが多いようです。ただし判例上では、その告示行為によって具体的に利害関係を有する者について訴えの利益を認めているものもあり、実質的に見ると名宛人が存在する場合もあるといえそうです)また、「法的効力の性質」ですが、この告示行為に反する行為に及んだ場合には、各学校がペナルティを受けるものであって、もしそのペナルティの結果、その学校のルールにしたがったために不利益を受ける生徒達につきましては法律上の「反射的不利益」(もしくは本来履修すべき科目を受講せずに大学受験が可能となった場合に受ける反射的利益)に過ぎないものと捉えることが可能ではないでしょうか。したがいまして、教育を受ける側にまで法的効力が及んでいるとは考えにくく、「学習指導要領に法的効力がある」→「生徒達は単位不足で卒業できない」とは法論理的にはつながらないと考えることができるものと思います。となりますと、学校側の義務違反状態が継続しておりましても、学校(もしくは教育委員会?)の裁量行為として卒業を認めることは可能であって、卒業の効力には影響が出ないと解釈することが妥当なのではないでしょうか。(注記 もちろん、私は学校側がそうすべき、と申し上げているのではなく、あくまでも法的にはこういった解釈も成り立つのではないか・・・という趣旨で記載しているものであります。)
ただ、ここで別の問題として、それでは大学側が、こういった未履修の状態で卒業した生徒達を既習の受験生と同等に扱わなければいけないのかどうか、という論点が出てまいります。これもムズカシイ問題でありますが、大学受験資格の設定というのも、おそらくは明確な法令違反による資格条件もしくは著しく不合理な資格条件を定めない限りは、大学側の自由裁量行為に属するものでしょうから、未履修者と既習者との平等をどう考えるかは、その大学ごとに決定すべき問題になってくるように思います。
このように考えますと、文部科学省としましては、大学側への即時対応や、指導要領違反に対する学校側への処分など、早期に対策を立てて、その内容を速やかに公表することが、これまでの裁判所の見解との整合性なども踏まえ、もっとも適切な判断となるのではないでしょうか。なお、こういった結論に対しましては、unkownさんが的確に指摘されているとおり、卒業もしくは受験において、既習者と未履修者との不平等問題が残ることは事実です。ただタテマエになるかもしれませんが、そもそもこれからの日本を背負う若い人に「世界史は必須」であると考えて指導要領ができあがっているわけですから、むしろ不利益を受けているのは未履修者であるともいえそうですし、受験だけを平等原則と対比して考えるのも少し筋が違うようにも思えます。このあたりはまた、今後の文部科学省や各都道府県の教育委員会の現実の対応などをみながら、また検討してみたいと思います。(普段あまり研究していない分野のことを記述しておりますので、赤面ものの誤解もあるかもしれません。そのあたりは「場末のブログ」として御容赦のほどお願いいたします。また忌憚のないご意見、叱咤激励をお待ちしております)
(追記)
文科省大臣から、コメントが出されております。(ニュースはこちら)卒業までに未履修者にはかならず履修してもらう、冬休みもあるし、放課後もある、とのこと。つまりは「卒業」を基準に考えた場合の「不公平」をもっとも重視した厳格な要請のようです。ただ、この方法だと、学校側のミスで不利益を被った(何を損害とみるか、というのはまた難しい問題ですが)生徒方から学校側は民事上の法的責任を問われる可能性があるのではないか、ということと、受験後の補修授業でも構わないとした場合に、やはり受験のうえでの不平等は解消されない、といった問題は残ってくるように思います。
それと、もうひとつよくわからないのが、この大臣の発言は既習者と未履修者のどっちが不公平な扱いを受けた生徒と捉えているのでしょうか。私は文部科学省が指導する科目を受けられなかった未履修者のほうが「文部科学省側からみれば」不公平な取扱を受けたほうだと思いますが、いかがでしょうか。もしそうだとすると、不公平をあえて甘受するほうが履修の利益を放棄すれば済む話です。また、既習者が不公平な扱いを受けたというのであれば、履修の時期は「年度内」という言い方は不平等が解消されませんので、不適切な発言になります。さらに、文部科学省が卒業認定の要件と定めているから、といった行政目的上の理由で未履修者への履修を要請するのであれば、そもそも「不公平」を持ち出すことは理由としては許されないはずですよね。このあたりはどう理屈がつくのでしょうか。
いずれにしましても、この問題はまだまだ大きな問題に発展していくようです。