当ブログにお越しの皆様方はすでにご承知のことと存じますが、5月24日(土曜日)の日経朝刊におきまして「内部統制に問題が判明しても、即時の開示を求めることはしない方針を(東証が)固めた」とのニュースが掲載されておりました。今年1月29日に東証からリリースされました「金融商品取引法における四半期報告制度の導入等に伴う上場制度の整備について」(パブコメ案)では、東証の意見として、
上場会社は以下に該当する場合には、直ちにその内容を開示すること
a 内部統制報告書において、「重要な欠陥」または「評価不実施」の記載を行うことを決定した場合
b 内部統制監査報告書において、「不適正意見」または「意見不表明」の記載が行われた場合
とされておりましたので、 「重要な欠陥あり」と評価した場合でも、適時開示の手続は不要、ということなんでしょうね。有価証券報告書提出と同時に内部統制報告書も提出することになりますから、上場企業における内部統制の有効性に関する経営者評価、監査意見については、それまでは開示されない、ということになるんでしょうか。市場の過剰反応を防ぐのが目的とありますが、以前も書きましたが「重要な欠陥」なるネーミングが影響しているのかもしれません。そもそも内部統制の有効性評価というものは、動的なプロセスを評価した結果を示すものですから、B/S的発想からくる「当該企業の生来的体質」を表現するのではなく、P/L的発想による「当該企業の運営成績」(みたいなもの)を表現するものですよね。「重要な欠陥」があるとされた企業にとって、頑張れば翌期には「有効」と評価されていいと思いますし、何年も「有効」だった内部統制について、「重要な欠陥」が認められる企業もあると思います。「改善を必要とする重要な課題」くらいのネーミングのほうが、投資家も過剰反応しないかもしれませんし、また経営者も素直に課題を「弱点」として認めて、前向きに取り組むようになる思うのですが。まぁネーミングはともかくとしまして、いずれにせよ市場の混乱を防ぐということが大きな目的であるとすれば、やはり「重要な欠陥とは何か?」もう少し具体的な判断基準を、関係者間で共有することが喫緊の課題のようであります。
(さて、ここからが本論でありますが)先週末あたり、財団法人日本証券経済研究所のHPに、金融庁(総務企画局)企業開示課長のM氏の講演録がアップされております。(金融資本市場法制等をめぐる最近の状況-開示を中心として-)講演内容は3本の柱から成り立っておりまして、①会計基準の国際的なコンバージェンス、②内部統制報告制度、③金融商品取引法の改正案等、いずれも金融庁の公式な見解に近いものとして、非常に参考になるところです。(なお講演日は4月2日。)とりわけ内部統制報告制度につきましては、米国SOX法における監査実務がなぜ、あのように厳格なものになってしまったのか、金商法24条の4の4はあくまでもディスクロージャー制度として規程したものにすぎず、内部統制構築義務とは無関係であること、内部統制報告制度に関する11の誤解の「説明」、今後も追加Q&Aを公表する予定であることなどが述べられておりまして、制度の根幹を再確認する参考になると思われます。
以下、若干興味を持ちましたM課長の講演内容について、引用させていただきますと(M課長いわく)
「ストレートに言いますと、『内部統制は一切やる気がないので整備しませんでした。したがって内部統制には重大な欠陥があります。なぜなら、当社は上場したばかりで、コストもかかるし、赤字になって、会社にとってはマイナスだ。自分の営業スタイルは、こうすることによって粉飾決算を防ぐことができます』、こういうことが宣言できれば、そのとおりありのままに書けば、内部統制報告としては合格でございます。」
「気をつけていただくのは、その場合、内部統制には欠陥があるので、財務諸表が正しいかどうかというのは別途考えなければいけないので、『財務諸表には粉飾がありません。正しいんです。』ということは、経営者はどこかで説明をしないと、みんなは納得しないでしょう。その意味で経営者は必ず内部統制を整備すると思います。ただし、そのことと金商法24条の4の4とは法律的には別のことです。」(講義録22頁~23頁)
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「11の誤解」に沿ったご発言内容だとは思いますが、たしかに、金融商品取引法24条の4の4から「内部統制構築義務」が導かれないことは、すでにいろいろなところで議論されており、ほぼ現時点での通説かと思われます。(経営者に課せられるのは、内部統制評価、報告義務と監査を受ける義務)しかしながら、このM課長が言われるように「重要な欠陥があるけど、財務諸表は正しいです」と説明しなければ投資家、株主は納得しないのはわかりますが、そうであるならば、「重要な欠陥」があっても、説明責任さえ尽くせば法的義務はない、と素直に考えてよろしいのでしょうか?投資家が納得しないのが怖くて「内部統制を整備する」というのは、いわば経営者が財務報告にかかる内部統制を構築するかどうかはソフトローの世界の話であって、放置していてもなんら法的責任がないことが前提となるお話だということなんでしょうか。
ここから先は会社法と金商法の交錯する場面の問題かと思いますが、金商法および関連規則も取締役が遵守すべき「法令」に該当することから、これを遵守することも取締役の善管注意義務にあたるといわれることが多いですよね。(これが財務報告の信頼性確保のための内部統制システムの構築義務を根拠付けるものである、と。)しかし「金商法を遵守する」といいましても、上述のとおり、内部統制の整備義務自体が金商法から導かれないのであれば(つまり取締役が整備するのは、ソフトローの効果に期待するということであれば)、やはり善管注意義務違反もしくは任務懈怠と評価することとは、ダイレクトには結びつかないように思います。また、取締役が構築すべき財務報告内部統制のレベルを決めるのに「重要な欠陥」概念で判断する、というのも、果たして裁判規範としてみた場合に妥当なものと言えるのでしょうか?「重要な欠陥」があるかどうかは、そもそも会計監査の世界にかなり近いモノサシを使って考えるわけで、「合理的保証」とか「重要性」の基準からみて、その是非を判定することになるはずです。こうなりますと、重要な欠陥の有無は判断する人によってかなりバラツキがあると思いますし、取締役の法的責任を判断する基準としてはあまりにも漠然としたものになってしまうのではないでしょうか。つまり「重要な欠陥」という概念は、あくまでも企業情報開示制度と親和性を持つものにすぎず、取締役の法的義務の範囲を定めることとの親和性は薄いものと考えられます。また、かりに「重要な欠陥」の概念にはこだわらず、ともかく上場企業の取締役には、財務諸表の信頼性を向上させるための内部統制構築義務があるのだ、といった前提に立ったとしても、それでは一体、どの程度の構築義務があるかという点も、「重要な欠陥」概念を用いる場合以上にあいまいなものであると思われます。このあたりが、私にはいまだ混沌としておりまして、明確な回答を持ち合わせていないところであります。
ただ、こうは考えられないでしょうか?たしかに会社法は上場企業だけでなく、非上場の会社にも適用されるものなので、財務報告の信頼性確保のための内部統制構築義務というものは、直接的には導かれるものではないものの、やはり、(会社法上で取締役の善管注意義務のひとつとされている)法令遵守義務と金融商品取引法とを結びつけて善管注意義務のひとつと捉えたいところであります。ただ、金商法24条の4の4をもって、直ちに内部統制構築義務の根拠法令とすることにも疑義が残る・・・
そこで、取締役の財務報告に係る内部統制の整備構築義務というものを、金商法全体の趣旨から、捉えることはできないものでしょうか。たとえば内部統制報告制度は、はじめて経営者評価の基準を定立して、内部統制の評価というものを法的に意味あるものにしたわけでして、これは、日本の会計制度において、監査人だけに頼るのではなく、経営者もより健全な開示制度のために協力する必要があることを示しております。なぜなら会計基準の国際的なコンバージェンスへ向けた取組みや、会計基準が複雑化、高度化するなかで、正確な企業情報開示のためには、企業側の努力が必要だからであります。その努力の具体的な内容は、経営者自身が会計方針を決定したり、レベルの高い経理担当者を置いたり、内部統制の評価や改善に資する内部監査人を置くことが要請されるところであります。そういった企業側の努力は、開示制度のなかでも活用されてしかるべきだと思いますが、内部統制評価報告制度自体が、「ありのままの報告」で合格点であるならば、努力は報われないことになってしまいますよね。そこで当然のことながら「確認書」制度のなかで活用されることが期待されます。内部統制の有効性を評価できる企業であれば、これに依拠して確認手続をとることができるでしょうし、内部統制に重要な欠陥がある企業であれば、確認書を出すまでの経緯については投資家が納得できるような説明を尽くすことが要求されることになります。ということで、これまで有価証券報告書の添付書類として、任意の制度だった確認書を義務化されたことは、経営者が財務諸表の正確性について、合理的な理由をもって説明できることが前提となっているわけでありますので、そこに財務報告に係る内部統制の整備義務を根拠つけることができるのではないでしょうか。そもそも平成19年2月15日に公表されました財務報告に係る内部統制意見書の前文(審議の背景)におきましても、「我が国では、平成16年3月期決算から、会社代表者による有価証券報告書の記載内容の適正性に関する確認書が任意の制度として導入され、その中で財務報告に係る内部統制システムが有効に機能していたかの確認が求められてきたが・・・」とあります。この前文の記述からも明らかなとおり、財務報告に係る内部統制の有効性評価と確認書の提出制度は(ともに財務諸表の信頼性を確保することを補完するものとして)密接な関係にあり、この確認書の提出が、独立して法定化(義務化)されたことは、まさに経営者における財務報告の信頼性確保のための内部統制システム構築を通じて、財務諸表の数字の適正性を保証することを、各上場企業に求めているものと言えるのではないかと思います。
このような理解は、「内部統制を整備しない経営者が、財務諸表の正確性を説明できれば(法的には)それでいい」とするM課長の話との整合性について疑問が残るかもしれません。たしかに、何年も内部統制が有効と評価されている会社どうしが合併した場合のように、たまたまその年度においては会計処理システムの有効性が十分検証できずに「重要な欠陥」があるとされる場合があっても、経営者は、これまでの合併当事会社の内部統制評価の結果からみて、連結財務諸表の正確性は説明できる場合もあるでしょうし、構築義務違反=取締役の任務懈怠とはならないケースもあるとは思います。ただ、それは構築義務を尽くさなかったとしても財務諸表の正確性が合理的な範囲で担保されているような、相当な理由がある場合に限られるわけでして、やはり、原則は金商法の制度趣旨からみて取締役に構築義務を認めていいのではないでしょうか。あくまでも開示制度を充実させる範囲での内部統制構築義務を取締役に認めるわけですから、この義務を認めるとしても、経営者におけるリスク評価、内部統制の整備、運用において広い裁量権があると考えていいと思います。
企業は新株予約権や種類株式を活用しながら、直接金融、企業再編、事業承継を行う自由度が増したわけであり、また市場もいま、その仕組みを作りつつあるわけであります。自由を持つ裏にはその責任も伴うものであり、市場の健全性を確保する責任の一端を、発行体企業自身も負担する必要があるわけで、複雑化していく会計制度の透明性、公正性を監査人だけに委ねるのではなく、協働作業によって維持することが、すくなくとも上場企業の場合には、金融商品取引法を通じて要請されているものとみるべきではないでしょうか。