二つの内部統制理論(再考編その2)
皆様ご承知のとおり、5月17日付けにて金融商品取引法上の財務報告に係る内部統制報告制度に関する新設の内閣府令案が公表されております。(金融庁のHPよりご覧になれます。ご意見は6月18日午後5時までに提出とのこと)各企業におかれましては、この報告書の開示手続におきましては、担当役員の方々の「業務プロセスの内部統制が有効と評価できる」との確認書をとりまとめて、代表者の方が最終的に内部統制報告書を作成する、といった社内のプロセスまでの基本事項は出来上がりつつあると拝察いたしますが、あとはこういった内閣府令に基づき、報告書の様式(1号様式)の具体的な記載方法の検討ということになろうかと思われます。(しかし、この記載方式ですと、ひな型どおり・・・ということになるのでしょうか)私も、もう少し時間をかけて府令内容を検討してみます。
さて、二つの内部統制理論再考シリーズの続きでありますが、金融庁主導の金融商品取引法における財務報告内部統制と法務省主導の会社法における内部統制という二つの理論の関係について、少しずつではありますが、私見を述べさせていただくと同時に、今後の内部統制に関する理論の進展を予想してみたいと考えております。といいましても、具体的に整理できるほどの能力も持ち合わせておりませんので、とりあえず現状を前提として疑問点を検討してみようと思います。
1 一般法と特別法の関係に立つのか?
これは一元説、二元説といったほうが正確かもしれません。たとえば上場企業の取締役の会社法上の内部統制構築義務と、金商法上の内部統制報告制度について、これらの関係は異質なものなのか、同質なものなのか、といった問題点です。いよいよ2年目に入りました日本取締役協会の内部統制研究会(私は単に参加させていただいているだけですが)も、この二つの内部統制をいかに統一的に理解すべきか?といったことが中心課題となっているようですので、企業実務におきましても、議論のスタートとなる論点であります。著名な学者の先生方の間で結論が分かれている問題のようですし、私などは単なる感想じみたことしか申し上げることはできませんが、もし同質のものであるとするならば、内部統制を評価する者、内部でモニタリングする者、外部第三者として監査する者、この三者での複雑な法律関係を、どのように整理するのか、そのあたりの合理的な説明が必要ではないでしょうか。
このブログでは過去に何度か採り上げましたが、三者間では以下のような指揮監督関係が成り立つように思われます。(これが全てかどうかはわかりませんが)
①代表者は金商法上の内部統制報告制度の一貫として、全社的内部統制評価のために監査役の能力、監査役と会計監査人との業務内容(連携)が適正であるかどうかを評価する(意見書添付の参考1「財務報告にかかる全社的な内部統制に関する評価項目の例」の統制環境に関する項目をご参照ください) ②監査役(監査役会)は、会社法上、事業報告の対象たる内部統制システムの整備運用(構築運用)状況の相当性について判断をする、また会社法上は監査法人の内部統制監査を通じて会計監査人の適正について判断する ③会計監査人(制度上、同一人とされる金商法上の内部統制監査人)は、金商法上の内部統制報告制度における経営者評価への監査業務を通じて、監査役の適格性を評価することも可能であるし、また統制環境の一貫としてのモニタリングシステムが有効であるかどうかを判断することも可能である。 |
たしかに、会社法上の内部統制システム整備への期待というものは、企業の効率性確保、コンプライアンス経営といったところまでの拡がりのあるものであり、財務報告の信頼性確保を目的とする金商法上の内部統制構築とは目的が異なると思われますが、それぞれの目的は完全に分離することはできず、有機的に関連しているとみるのが素直でしょうし、そう考えますと上記のような指揮監督関係については誰が最終の責任者と考えるべきなのか、たいへん悩ましい問題にぶつかってしまうように思われます。たとえば、ある学者の方は、米国SOX法404条適用とは異なり、日本がダイレクトレポーティングを採用しなかったのは、日本には監査役制度があって、日常の監査業務のなかで、監査役にダイレクトな監査を期待できるからである(現実に、その機能が発揮されているかどうかは別として)・・・とおっしゃっておられましたが、もし内部統制監査人が監査役のモニタリングに期待するとしても、経営者から「あの監査役は内部統制を理解する能力が不十分であり、その実行力に不備があった」といわれてしまった場合、それでも監査役監査に依拠して経営者評価に関する意見を述べることは可能なのでしょうか。
2 金商法上の内部統制構築義務違反と取締役の善管注意義務との関係
昭和48年の最高裁判決(取締役の監視義務違反が初めて認められたもの)の射程範囲を限定することで、取締役の行動の萎縮的効果を限定的なものにしようとされた神崎克郎先生の内部管理体制に関する論文に始まる会社法上の歴史、そして「内部統制は経営管理そのもの。法律にはなじまない」とされていた会計学、監査論上の研究対象が、エンロン事件をきっかけとして、米国SOX法、そして日本の法律にも導入されるに至った金商法上の内部統制の歴史とを比較しますと、どちらも企業価値の向上を理想とするシステムであること、現実には企業不祥事防止を期待して導入されたものであることには共通点はあるにせよ、実際の運用には大きな隔たりがあると思われますし、一元的に捉える(同質なものとして捉える)には、かなり無理があるのではないか・・・というのが私の感想であります。(そもそも、金商法上の内部統制報告制度と、取締役の善管注意義務違反との関係については、これまであまり議論されていないのではないでしょうか。果たして、金商法上の内部統制構築が取締役の責任と結びつくものなのかどうか、といった問題であります。取締役の責任と結びつくのは、おそらく報告書の提出義務違反とか、虚偽記載などに関するものであって、「構築義務違反」とは結びつかないのではないでしょうか?「重要な欠陥」という用語は法律上の規範的要素を含まない、いわば会社の客観的な状況を会計ルールとの関係で示す用語でしょうから、単に重要な欠陥があったからといって、取締役の法的責任に結びつくとは思えません。もちろん代表者がこれを認識しつつ、長期にわたって放置していた・・・ということであればまた別かもしれませんが。このあたりは未だ思いつきの領域ですので、今後も再考してみたいと思っておりますが・・・)なお、これを議論する実益としましては、準備すべき一般事業会社の構築運用上の便宜が挙げられると思われますが、むしろ両社はまったく異質なものと捉えたうえで、最大公約数的に共通項を選択して、双方に資するシステムをめざすことで足りるのではないかと考えております。
なお、この「二つの内部統制理論」シリーズですが、今後の予定としましては、「確認書+内部統制報告書」の持つ意味、内部統制限界論と経営判断法理の関係、本当に「知らなかったではすまない制度」なのか?(知らなかったらやっぱりこれかれも免責されるのではないか?)などの論点から、金商法上の内部統制報告制度と会社法上の制度との差異を検討していきたいと考えております。
(21日お昼 追記)いくつかメールで有益なご示唆を頂戴いたしました。(コメントでなく、個人的なメールで頂戴したものですから、ご紹介できずに申し訳ありません)いただいたメールの内容につきましては、私のほうで整理させていただき、また次のエントリーの際に参考にさせていただこうかと思っております。本当にどうもありがとうございました。(主に金商法上の内部統制と会社法上の内部統制を統合的に理解することの実益のあたりに関する問題であります。)
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