日産・金商法違反事件-会計実務家の常識的判断を尊重せよ(その3)
逮捕から1か月が経過した日産前会長・金商法違反事件でありますが、当ブログでも関心が薄れるどころかますます高まりをみせておりまして興味が尽きません。ルノーが日産に対して臨時株主総会の開催を要求していることが報じられ、マスコミの関心は日産vsルノーの支配権争いのほうへ移りつつあるようですが、私的にはまだまだゴーン氏・ケリー氏の立件の可否に関心を抱いております。
ところで、マスコミから聞こえてくる被告人(弁護人)サイドの反論については、「後払い報酬」の確定を否定するところがメインのようです。覚書や合意書など、複数の後払い報酬を確約する書面が出てきたところで、「日産の内規では、(報酬額の)最終確定のためには3名の代表取締役の協議が必要とされているのであるから、3名の署名がない以上は未確定と言わざるを得ない」という点が強調されているようです。優秀な方々が弁護人としてお付きになっておられるので、検察への反論としてはもっとも効果的と思料されます。
ただ、「確定」か「未確定」かで勝負をする場合、どうも検察の作った舞台で踊らされているようで、法的手続きを経ていない点を強調して無罪を主張したとしても裁判所を説得するのはむずかしいような気もいたします。たとえばインサイダー取引規制の対象となる「重要事実」のひとつとして、企業の「決定事実」が挙げられますが、この決定事実というのは取締役会等の会社法上で決定権限のある機関で決議がなされたような場合(法的に決定があったとされる場合)だけでなく、実質的に会社の意思決定と同視されるような意思決定を行うことのできる機関によるものであれば足りる、というのが最高裁判例の立場です。金商法違反の世界に「確定」「不確定」という概念を持ち出すとすれば、たとえ法的手続きは未了であったとしても、実質的なワンマン経営者が「最終」として決めた文書がある以上は「確定した」といえるとの解釈が裁判所で通用するのではないでしょうか。
ここからは(私の個人的な意見であり、もちろん賛同者は少ないかもしれませんが)金商法違反で起訴している以上は(あらためて考えても)会計実務家の常識的な判断が尊重されるべき事案ではないか、と思います。以下、私の考えを図表に示したいと思います。
基本的には(その2)のエントリーで示したところと変わりはありませんが、そもそも金商法の解釈に(会社法の条文にある)「確定」「未確定」なる概念を持ち出す必要はないわけで、素直に金商法および開示府令の解釈問題と捉えれば足りると考えます。
最も「確定」という概念を使いたくなるのは開示義務が発生する要件として(後払いといえどもすでに報酬が確定しているのであれば)「当事業年度に係る報酬等」に該当する、という開示府令の解釈です。しかし、前にも述べたとおり、この解釈は、存在が確認されている3文書の文言内容と矛盾します(報酬と言いながら、支払方法合意書では「競業避止承諾料」や「顧問料」とされている。現にケリー被告人はこの主張を貫いています)し、機関決定がまったくなされていない点を全く無視することも問題となります。
そこで、次に「確定している」と主張するメリットのある解釈としては「当事業年度において受ける見込額が明らかとなったもの」に該当する、というものです。この解釈であれば「カリスマ経営者の実質支配状況、および開示に消極的な姿勢を総合判断して」「将来的に受ける報酬見込額は明らかになっていた」といえそうな気もいたします。ただ、この解釈だと先のエントリーでも述べたように、金融庁の考え方としては開示府令の解釈に会計処理方法を参照にしながら考えてよいことになっています。したがって会計の実務慣行がどうなっているのか・・・というところを解釈の指針とすることも十分に考えられると思います。
なお、有価証券報告書の役員報酬欄は会計監査の対象ではないので、会計慣行は問題にはならないのでは?とのご意見もあると思います。しかし、ここで問題としているのは「監査」対象としての有報ではなく、会計の実務慣行であり、報告書を作成する側の問題です。報告書を作成するにあたって、金融庁は「会計処理方針を参考にしてもよい」と述べているのですから、これを活用して、「解釈はこれしかない」と言うのではなく「解釈としてはこれもあるよ」と被告人側は述べればよいと思います。
したがいまして、別に被告人側は検察の「確定」「未確定」なる(評価に関する)主張が正しいものでも間違いでも構わないわけで、被告人側の(金商法の解釈としての)主張立証を粛々と行い、「これも解釈としては間違いではない」という心証形成に努めれば構成要件該当性もしくは違法性の認識のいずれかの争点で戦うことができるのではないでしょうか。〇か×か・・という論争は検察の舞台(アウェイ)での戦いであり、どっちも〇という相対的真実の世界(ホーム)で戦うことが得策ではないのか・・・と考えます(これこそ10年前の長銀最高裁判決からの教訓と思うのですが・・・)。
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