2012年4月 4日 (水)

「公正なる会計慣行」と古田最高裁判事の補足意見

本日は、頭出し程度のエントリーにすぎませんが、先日大阪弁護士会と日本公認会計士協会近畿会共催によるシンポ「公正なる会計慣行を考える」を開催したことをお伝えしました。弥永教授や松本教授も交えて、非常に活発な意見交換がなされたもので、終了後には数名の方からご意見を頂戴し、私自身も勉強させていただきました。

このシンポの準備会は合計7回に及んだのでありますが、実は長銀事件、日債銀事件の最高裁判決を関係者で検討する際、とても興味深い出来事がありました。それは、

「最高裁判事のなかで、本当に会計のことがわかっているのは補足意見を書いておられる古田さんくらいではないか?」

とのご意見が、数名の会計士、会計学者の方から出たことであります。

私はとても意外でした。私の理解では、もっと単純に

「古田裁判官は検察出身だから、自分の出身母体に恥をかかせないように(検察のプライドを守るために)リップサービスで補足意見を出したのではないか」

というものでした(古田裁判官には、たいへん失礼な物言いでありますが、正直、そのような印象だったのです)。

しかし、感覚的とはいえ、会計の専門家の方が、真剣に最高裁判決を読んだ結論として、上記のような意見が出た、というのは、少し検討する必要があると思い、いろいろと思い悩んでおります。また、さきのエントリーに藤野先生(公認会計士)がおっしゃっているご意見なども拝見しておりますと、「公正なる会計慣行」の中身をどのように考えるのか、そこには法律家と会計専門家との間で大きなミゾがあるのではないか、と考えるようになりました。投資家に対してその判断に必要な範囲で有益な意見を出す(保証行為を行う)会計専門家の考え方と、社会秩序を維持するために、具体的な紛争の解決を図ることを目的とする法律家の考え方の違いが大きくでるのが「公正なる会計慣行」の中身の理解である、ということが、ほんの少しばかり見えてきたように思います。

そこで、古田最高裁判事の長銀事件判決および日債銀事件判決における補足意見を検討しながら、続きのエントリーでこの差を検証していきたいと思います。続き、と申しましても、いまは公認会計士の方々の繁忙期ですので、本ブログを読んでいただけそうな、もう少し先になりますが。。。

基本的には、ザックリと会計監査人設置会社(もしくは有価証券報告書提出会社)とそうでない会社について、理路整然と「公正なる会計慣行」の意味を捉えることを重視するか、そのような分け方を意識せずに、個々の企業の規模、業界、業績、事業モデル等を斟酌して、会計基準の選択と、その適用方法まで含めて「公正なる会計慣行」として捉えるのか、というアプローチの違いから出発しているように思われます。そのあたりを整理してみたいところです。

4月 4, 2012 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年12月 8日 (火)

日債銀事件判決にみる「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方

昨年7月18日の旧長銀最高裁判決に続き、本日(12月7日)日債銀事件(虚偽記載有価証券報告書提出罪被告事件)でも原判決を破棄する最高裁判決が出ました。平成10年3月期に係る有価証券報告書の提出につき、これまで「公正なる会計慣行」として行われてきた税法基準の考え方によったことが違法とは言えないとして、同銀行の頭取らに対する虚偽記載有価証券報告書提出罪の成否につき、破棄差し戻しを命じる判決であります。すでに最高裁判所のWEBページにて判決全文が公開されておりますので、とりあえず一読いたしました。(なお、一般に「公正なる会計慣行」なる概念は、旧商法および会社法上の概念であり、なぜ金商法上の「虚偽記載有価証券報告書提出罪」の構成要件該当性を判断する際にも適用されるのか?といった問題がありますが、ここではあまり深入りはしません)

ニュースですでに報じられているとおり、昨年の長銀事件判決は高裁判断を覆したうえで最高裁自身が無罪判決を出しておりましたが、この日債銀事件判決は高裁判決を破棄したうえで東京高裁に差し戻す(さらに審理を尽くさせる)・・・という判決であります。つまり税法基準の考え方によって貸付金評価を行うことが公正なる会計慣行に従ったものであったとしても、その方法等が税法基準の趣旨に沿った適切なものであったのかどうかは、もう少し審理をしてみないとわからない・・・ということで差戻しの判断に至ったものであります。(長銀の場合には、問題となった貸付先が関連ノンバンクであり、原則として当時の母体行主義によって「事業好転の見通しがない」とはいえないのに対し、日債銀の貸出先については一部ノンバンク以外の問題法人があり、そのような貸付先については本当に「事業好転の見通しがない」とすることが妥当なのかどうか、更に審理してみないとわからない、ということであります。検察側は訴因変更を余儀なくされるのでしょうか?)

原審が改正後の決算経理基準のみを公正なる会計慣行であった、と判断したことに対して、それ以前の税法基準に従った処理を行うことも「違法ではない」と最高裁は判断したわけでして、基本的な考え方については長銀事件と今回の判決とでは同一であります。しかしながら、日債銀事件で「破棄差し戻し」(更なる審理を尽くすべき)とした判決理由から、「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方がさらに深く理解できるように思われます。ひとつは会計慣行の「法規範性」に関する論点、そしてもうひとつは会計慣行の「唯一性」に関する論点に関する理解であります。

昨年の長銀事件判決では、最高裁は決算経理基準に従わないことが「違法とはいえない」ということで無罪の結論を導きだしており、旧来の税法基準が当時どのような位置づけだったのかは不明でありました。(自ら無罪の判定を下すわけですから、構成要件該当性なし、もしくは違法性なし、とだけ理由付けをすれば足りるわけであります)しかし、このたびの日債銀事件最高裁判決では、この当時明確に税法基準が公正なる会計慣行であった(もしくは税法基準に従った会計処理が公正なる会計慣行であった)ことが判断の前提とされております。(この前提が認められませんと、差戻しで審理されるべき問題-税法基準に基づいて、その基準の趣旨に沿った会計処理がなされているか-が出てこないことになります。差戻し審においては、税法基準に従って、貸付先の資産査定が適切に行われたことが「公正なる会計慣行」に従ったものかどうかが争われることになります。)つまり、当時新しい決算経理基準に沿った資産査定を行った場合、それ自体も公正なる会計慣行に従ったものと評価されるものと思われますので、同一の時期に公正なる会計慣行は唯一のものではなくて、併存しうるものである(もしくは複数の会計処理方針の選択が許容されるほどの相当な幅をもつ概念である)・・・ということが今回の最高裁判断で明らかにされたものと思われます。

そしてもうひとつ重要な点は、会計慣行の法規範性に関する問題であります。会計慣行が併存しうるとした場合、同一の会計事象に対して複数の会計処理方針の選択が「許容される」ことになるわけでありますが(その意味において、公正なる会計慣行に従う・・・ということはかなり幅のある概念ともいえそうでありますが)、複数の会計処理方針が許容されない、つまり「公正なる会計慣行」について、会計処理方針の選択の幅がないといった場合には、そこに法規範に準じるような要件を必要とする、ということであります。そこでは、これまでのオーソドックスな裁判所の考え方が支配しており、①周知性(その会計処理方針が広く関係者に知れ渡っているか)、②通用性(現実の社会ですでにルールとして適用されているか)、③明確性(守らないと罰則を受けるようなルールの内容が一般人でもわかる程度に内容がはっきりしているか)が具備されてこそ、ある会計処理基準にのみ従うことが「公正なる会計慣行」である(もしくは会計慣行の唯一性を認めることである)と言えるのではないでしょうか。そして、以上のような考え方からしますと、単純に「公正なる会計慣行」は法規範に準じるものである、と捉えることは妥当ではなく、企業会計原則における相対的真実主義を法が認めたものといえそうであります。つまり会社の真実を映し出す鏡はいくつかあり、どれもいちおうは真実であって、虚偽ではない、しかしながら政策的な理由で「この鏡を使いなさい」と言われ、それが周知徹底され強制通用力をもったと認定される場合には、慣習法に準じるような力を持つルールになる・・・そんなイメージで考えるのが妥当であるように思います。

さて、以上はルールベースの会計基準が事実上強制通用力を持つ時代の話でありますが、プリンシプルベース(原則主義)のIFRS(国際財務報告基準)の時代にも同じことが言えるのでしょうか。粉飾決算につき法人や役員に対する金商法上の刑事罰や行政上の課徴金処分が待ち受ける以上、公正なる会計慣行とIFRS問題は、法と会計の狭間に横たわる今後の大きな課題であります。

12月 8, 2009 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年11月10日 (火)

日債銀事件最高裁判断と「公正ナル会計慣行」

当ブログでは長銀事件(違法配当、虚偽記載有価証券報告書提出罪)に関連するエントリーは数え切れないほどアップしてきました(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件、なるカテゴリを選択していただければ、過去のエントリーがほとんど閲覧できます)が、いよいよ日債銀粉飾決算事件につきましても、本日(9日)最高裁で口頭弁論が開かれ、判決が言い渡される見込みとなったようであります。(ただし判決期日は未定)いろいろなニュースでも報道されているとおり、最高裁で弁論が開かれる・・・というのは、原審である高裁の判断が覆される可能性が高いことを示しております。いくら裁判長が元検事でいらっしゃる方であっても、また、その方が長銀事件最高裁判決において補足意見を述べておられる方だとしても、事件の筋および長銀最高裁判決の内容からみて、大方の予想どおり、日債銀の元経営陣の方々の逆転無罪はほぼ間違いないところではないでしょうか。

日債銀元経営陣の弁護人の弁論内容からみても、争点はほぼ長銀事件と同様であります。日債銀の元経営陣にとって、資産査定通達及び改正後の決算経理基準に従った会計処理を行うことが、平成10年3月期決算時において唯一の「公正なる会計慣行」だったのか否か、という点でありまして、改正前の決算経理基準である税法基準による会計処理が、公正なる会計慣行に従ったものとはいえない・・・というのが高裁判断であります。ところで長銀事件も、この日債銀事件も、おもに商法関係の学者の先生方や企業実務家の方々による論評をみかけますが、見方を変えまして「刑法学的な視点」から眺めてみますと、けっこうオモシロイのではないでしょうか?たとえば長銀事件の最高裁判決が被告人らを無罪としたのは、①商法および証券取引法上の構成要件該当性がないとしたのか、②(構成要件には該当するが)違法性阻却事由があるから、としたのか、③主観的な違法要素に欠ける(故意が認められない)、としたのか、そのあたりはきちんと整理されているのかどうか、興味のわくところであります。こういった刑法学的な視点から、再度長銀事件の最高裁判決を眺めてみますと、護送船団方式による事前規制型の金融行政から事後規制手法による金融行政へと転換する時期における金融機関の迷いのようなものや、そのような時期において(ノンバンク救済のための)母体行主義が当然とされるなかでの経営陣の経営判断原則を刑事事件でどのように理解するか、そして金融機関自体に大きな責任があることは当然のこととして、その責任を刑事事件のなかで、ひたすら後始末役を仰せつかった経営陣の個人責任だけに集約しても良いのかどうか、といったあたりの問題点が浮かび上がってくることに気付きます。

さて、迷える会計士さんがご紹介されているとおり、私事になりますが、11月18日に日本証券アナリスト協会主催の講演会でお話をさせていただくことになっておりまして、タイトルも「ますます重要性を増す『公正なる会計慣行』の理解~法と会計の共通認識の形成に向けて~」。話の内容は上記のような法マターの問題ではございません。今後のIFRS導入を前提として、会計基準の原則主義化、価値判断化が必至の状況でありますが、このような状況におきまして、何が「公正なる会計慣行」なのか、会社法431条の「公正妥当な企業会計の慣行」と連結財務諸表規則上の「公正妥当な企業会計の基準」とはどのような関係にあるのか、等の問題点を十分に理解しておきませんと、後出しじゃんけん的な第三者の判断によって経営者、監査人らが法的責任を問われる可能性が高まってくるのではないか・・・という問題意識のもと、その解決のための具体的な提言をお話する、というものであります。質疑応答含め、わずか1時間半という短い時間ではございますが、あまりこれまでセミナーなどで語られてこなかった話題ですし、本当に法と会計の狭間の領域に、長年横たわっている渋めの問題なので、おそらく新鮮な論点だと思います。アナリスト協会の会員でない方も、参加可能とのことですし、まだ11日まで聴講を受け付けていらっしゃるそうですので、ご興味のある方はぜひ東証の会議室までお越しくださいませ。

11月 10, 2009 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年7月10日 (金)

日債銀粉飾事件・最高裁判断への展望と「公正なる会計慣行」

平成9年3月当時における銀行貸出金について、貸倒引当金の計上基準は大蔵省銀行局通達および法人税基本通達によるべきであるとされ、これに従って貸倒引当金を計上すべきであるにもかかわらず、計上しなかった日債銀について、これまで原審(高裁判決)、第一審では、経営陣に有価証券虚偽記載罪が適用され有罪とされておりました。その事件の最高裁弁論が開かれるそうであります。(朝日ニュースはこちら)つまり昨年7月の長銀事件同様、日債銀事件も最高裁で逆転無罪判決が出される可能性が高まった、ということになります。なお、長銀事件のケースでは、判断が分かれておりました刑事事件、民事事件につきまして、いずれも上告され統一的な判断が下されたことになりましたが、日債銀事件でも刑事と民事では判断が分かれていたものの、こちらは民事事件が高裁判断で確定しております。したがいまして刑事事件だけが純粋に判断される・・・ということになります。

ところで7月8日の日経新聞朝刊に記事が掲載されておりましたが、私もメンバーとして参加させていただいておりました会計制度監視機構が「公正なる会計慣行とは何か?」という報告書をリリースしておりまして、よろしければ提言要旨だけでもお読みいただけましたら幸いです。実はこの報告書の7ページの注22において、日債銀損害賠償請求控訴事件(大阪高裁の判決)の判決内容に触れておりまして、この監視機構の提言内容に最も近い判断をした裁判例として紹介をしております。平たく言えば、公正なる会計慣行と会計基準との関係につきまして、ある企業において、公正なる会計慣行というものは、それに妥当する会計基準が二つ以上併存する場合もありうるのであって、会計処理方針の適用方法まで含めて「公正なる会計慣行」として包摂する概念であることを判決は示しております。つまり「公正なる会計慣行」なる概念はある程度幅のある概念でありまして、ゆえに「唯一の会計慣行」とか「公正なる会計慣行と罪刑法定主義」とか「公正なる会計慣行が二つ以上併存する」といったところが誤解にすぎないのではないか、といった議論へと発展するわけであります。(このあたりは企業会計法に詳しい法律家の先生方のご意見、ご異論が多数出されることを大いに期待したいところであります。)来年にも出されるであろう日債銀事件の最高裁判断は刑事事件に関するものではありますが、昨年の長銀事件以上に踏み込んだ判断をしていただき、この「公正なる会計慣行」の概念を法律の世界がどう受けとめるのか、明確に示されることに大いに期待をしております。

7月 10, 2009 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木)

長銀粉飾事件は最高裁判決で終結したのか?(巨大銀行の消滅)

Kyodaiginkou001 当ブログでずっと関心を抱いてきました長銀粉飾決算事件でありますが、昨年7月の最高裁判決(被告人無罪判決)をもって、事件そのものは終了したような気になっておりました。しかしながら、この本を拝読いたしまして、まだまだ長銀事件は終わっていないことを確信いたしました。

巨大銀行の消滅~長銀「最後の頭取」10年目の証言~(東洋経済新報社 鈴木恒男著 1900円)

著者である鈴木恒男氏は副題のとおり、長銀最後の頭取であり、民事賠償請求訴訟の被告のおひとりでもあった方です。(刑事事件の被告人からは免れた方であります)上記刑事最高裁判決の日、同じ最高裁小法廷において、民事事件についても上告棄却の決定が下りておりましたので、まさに著者にとっても前同日「無罪確定」となったわけであります。本書は、「10年目の証言」とありますが、長銀の元経営陣ら3名が逮捕されて以来の捜査や裁判の経過を記述したところは最後の一章だけでありまして、「なぜ元経営陣らの責任追及で長銀事件を終わらせようとしたのか」という点にもっとも大きな焦点があてられております。以前共同通信社から発売された「崩壊連鎖(長銀・日債銀粉飾決算事件)」も、大蔵省や日銀、政治家らの行動に焦点をあてて、たいへん興味深く読ませていただきましたが、本書はなんといっても、長銀とともに歩んでこられた著者が、バブル以前からバブル崩壊、ノンバンク処理、そして長銀崩壊に至るまでの内情 事実経過を余すところなく克明に記述されており、「これからの長銀事件」を語るには必須の一冊であります。また、コンプライアンスという観点から、どうしても知りたかった長銀幹部とノンバンク幹部(長銀頭取候補者が泣く泣くノンバンクの経営トップへ異動した事情も含めて)の人間関係について、「頭取」という地位にいらっしゃったからこそ、冷静に記述されているところが非常に興味深いところであります。(著者は、このような異動に関する人間関係が、長銀特有の「企業風土」を形成した、とまで明言されておられます)また「ノンバンク」と一口に言いましても、IPOをさかんに勧める証券会社の思惑も含め、本書を読むとそれぞれに特有の事情があったことも理解できます。

昨日のエントリーでは柳田邦男氏の高裁判決見直し要望書をとりあげ、「特定個人への責任追及によって事件を終結させ、失敗の本質を見失っては、本当の企業不祥事再発防止策は見出し得ない」という柳田氏の見解に賛同いたしましたが、本書で鈴木元頭取が指摘されている点もまさに柳田氏と同じであります。最高裁判決を経て、3人の被告人の無罪は確定したわけでありますが、100人を超える長銀関係者が連日警察、検察庁の取り調べを受け、主導権をめぐって警察と検察との対立抗争が発生し、破たん責任の真相解明に期待をしていた内部調査委員会の委員の方からは旧経営陣が民事賠償請求を受けるような事態のなかで、いったい長銀破たんに責任があるとすれば、どこにあったのか、いまだ判明していないのではなかろうか、最高裁判決は、とりあえず個人である旧経営陣には、その責任を問えないことを明らかにしたにすぎず、本当の問題分析はこれからではないのか?といった疑問が湧いてきます。もちろん鈴木氏自身の見解も述べてはいらっしゃいますが、その本当の原因究明の資料を残すべく、本書において「裸の長銀」を昭和50年代にさかのぼって記述し、読者による問題解明への議論に期待をしておられるのではないでしょうか。(また著者の抱いておられる「司法への不信」という点につきましては、あの細野祐二氏の「公認会計士VS特捜検察」を想起させるところであります)

なお、法律家として興味深いのは、著者が長銀粉飾民事事件における控訴審判決(東京高裁平成18年11月29日)の一部を引用している箇所であります。もし、私の勘違いでなければ、民事控訴審判決はこれまで判例を紹介した雑誌等もなく、おそらく内容をご存じの方も少ないのではないかと推測いたします。(第一審判決は判例時報1900号に掲載されているので、もう何度も長文を読み返しておりますが・・・)引用された箇所のみご紹介いたしますと、

「一審原告(旧長銀)の経営破たんの原因を分析してみれば、経営責任者であった被控訴人ら(旧長銀の経営陣)のいわゆる護送船団と言われた国家的な保護の下での安閑とした経営姿勢、あるいは定見のないままバブル崩壊を推進した無責任な経営姿勢等を指摘することはできようが、それはひとり被控訴人らだけに向けられるべきものではないし、従前の金融政策、金融行政の在り方にも深く関係する性質の問題でもあるのであり、個人責任を問う本件の損害賠償請求の成立要件としての違法評価とは性質、領域を異にするものであるというべきである。このような点も見てみれば、歴史的にも特記に値する金融危機の打開策として、問題を抱えながら発出された新基準に適合しない会計処理があったことをもって直ちにこれを商法違反であるとしたうえで、被控訴人らを損害賠償という形で個人的に断罪するのは、法の解釈・適用の在り方の基本部分に疑問が残り、肯認できないものである」

この高裁判決は、いわば長銀の破たん問題について、従来の金融政策、金融行政の在り方に深く関係する問題であって、適法・違法なる評価をもって判断することには疑問が残る・・・といった、とても「大人の判断」を示したものではないでしょうか。一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行とは何か?といった問題について、司法の謙抑性を示したものであり、私個人としては、少しうれしくなったような次第であります。(ひょっとすると、もう「第二の長銀粉飾事件」への道を、日本は歩み始めているのかもしれません。)

1月 29, 2009 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その8・有罪判決の時代背景)

今日は特別に「公正なる会計慣行」の内容について検討するものではありませんが、このたびの長銀粉飾決算事件の最高裁判決に関連して、有罪判決を出した原審当時の時代背景について少しだけ記述しておきます。裁判は、その判決当時の時代背景(ひょっとすると世論の流れ)に影響されることもあるかもしれません。なぜなら、裁判には紛争解決機能もあれば、政策形成機能もあるわけでして、後者を重視する刑事裁判官であれば、当時の「国民の声」に敏感に反応することも考えられるからであります。

1 長銀の検査忌避・検査妨害事件の影響について

今回の長銀最高裁無罪事件が出たことで、マスコミの論調は「法的には無罪が証明されたわけだが、当時の金融機関としての道義的責任まで晴れたわけではない」というものが多いようです。しかし、本当に今から10年前の長銀経営陣には、道義的責任は別として、法的責任はまったく残っていないと言い切っていいものでしょうか?

ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、長銀は平成10年7月から同年9月までの金融監督庁(現金融庁)による立入検査において、系列ノンバンクへの融資に関する資料を改ざんして金融監督庁に提出し、また「融資の資料は存在しない」などと虚偽の報告をして検査忌避・妨害を行ったとして、(長銀および旧経営陣は)平成11年9月に金融監督庁から長期信用銀行法違反として刑事告訴されております。そして東京地検は、旧経営陣が粉飾決算を隠ぺいするために、組織的な検査忌避・妨害を行ったものと認定したわけですが、平成12年3月、法人および担当者について起訴猶予処分としております。当時の新聞報道によりますと、起訴猶予処分とした理由は、すでに長銀自身が平成10年に破たんしてしまったために、すでに罰則を科する意味がなくなってしまったことと、旧経営陣らも、粉飾決算による証券取引法違反事件で起訴されたことから、とされております。

粉飾決算による証券取引法違反事件が無罪と確定した現時点において、もはや上記検査忌避・妨害事件の処分が復活する、ということはもちろんありませんが、東京地裁判決が下された平成14年当時において、この平成12年の起訴猶予処分の事実がなんらかの影響を及ぼしていたのではないか、という点は少しばかり検討しておくべきものではないでしょうか。「公正なる会計慣行とは何か?」といった論点に影響を及ぼしていたとまでは言えませんが、すくなくとも証券取引法違反の故意を立証するための有力な資料として用いられた可能性は高いものと推測されます。

2 長銀副頭取の死

平成11年5月6日、(東京地検特捜部による事情聴取の直後)平成10年3月期決算の作成を直接担当した長銀の副頭取の方が、妻に宛てた遺書を残して亡くなっておられます。長銀事件さえなければ、次期頭取と目されていた長銀のエース級の方のようでした。当時とくに醜聞も聞かなかったこの副頭取の方の死は、実質的には「経営陣による粉飾決算共謀の事実」が闇に葬られる可能性を高めたものといえるのでありまして、こういった事実は原審の判断にどような影響を及ぼしたのでしょうか。平成11年当時の「国民の声」そして内部調査委員会における厳格な責任追及の意見が飛び交うなかでの出来事であり、当時の裁判所としての判断において、この副頭取の死が、すくなからず旧経営陣の有罪の心証形成に与えた影響は否定できないのではないかと推測いたします。

もちろん、いずれの上記推測も、単なる私見にすぎず、明確な根拠はございません。ただ、この最高裁判決までに10年を要した長銀事件の判決を「冷静に分析」する場合にあたり、時の流れとともに、原審判断時における当時の時代背景についても、きちんとわきまえたうえで検討することが、この事件に関係するすべての利害関係者(当事者)への私なりの礼儀ではないかと思った次第であります。

8月 5, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月19日 (土)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その7・無罪逆転判決)

皆様ご承知のとおり、7月18日長銀事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)の上告審判決が最高裁で出ましたね。過日、最高裁で口頭弁論が開かれましたので、予想どおり被告3名について無罪判決、つまり原審破棄自判の結果となっています。(なお、RCCが上告人である民事事件の上告についても棄却されたそうですので、約60名の長銀株主らによる損害賠償請求控訴事件以外は、ほぼ終結したようですね。なお株主集団訴訟のほうは、当時の監査人であった新日本有限責任監査法人も被告になっていますね)

とりあえず、さきほど最高裁のHPにて、判決全文を読んでみました。書きたいことは山ほどありますが、とてもブログという媒体では書ききれないので、読んだ感想(第一印象)だけに簡単に触れておきたいと思います。もしご関心をお持ちの方は、当最高裁判決と刑事原審判決(東京高裁平成17年6月21日 判例時報1912号135頁以下)および、当最高裁判決と民事第一審判決(東京地裁平成17年5月19日 判例時報1900号3頁以下)を対比しながら検討されることをお勧めいたします。

まず第一印象としましては、原審の東京高裁判決と比較して、この最高裁判決は、あくまでもこの長銀の粉飾事件という限られた事案の処理にかぎっての判断を示している ということであります。各被告の弁護人らの上告理由を「いずれも上告の理由にあたらない」と排斥したうえで、刑事訴訟法411条を用いて職権調査のうえで「このまま確定させてしまっては著しく正義に反する」として有罪→無罪の判断に至っております。新しい会計指針(資産査定通達+会計士協会の実務指針)が当時の世において「公正なる会計慣行」であったかどうか、といった一般的な議論をするのではなく、当時の長銀という特定の会社において、いったい公正なる会計慣行は何だったのか?という議論をしています。(ここが大きく原審と異なるポイントですね)

そもそも平成9年から10年当時、新しい会計指針が一般的抽象的に(どこの銀行にも通用するような)「公正なる会計慣行」になっていたかどうか?というところから議論を始めますと、原審のように「公正なる会計慣行が併存することなどありえない」とか、「唯一の会計慣行といえるための要件」とか「会計慣行と罪刑法定主義の関係」について議論することになりますが、最高裁はそういった議論はほとんど回避しています。

「そのようなことをいちいち議論しなくてもいいではないか。この長銀という銀行の会計処理方針をじっくりと眺めてみて、その当時に長銀という企業に妥当していた「公正な会計慣行」を探ればいいではないか。もし個別の会計処理が、長銀に妥当していた公正な会計慣行に反していればルール違反を問えばいいではないか」

といった姿勢ではないでしょうか。だからこそ、最高裁判決が職権調査によって掲示している事実を読みますと、新しい会計指針の制定経過を丹念に分析し、定量的な判断基準に乏しい当該会計指針を長銀という個別の銀行がどう受け止めていったか、という流れが克明に記されていることがわかります。

最高裁は徹底して「公正なる会計慣行は『法律』ではない」という視点ですね。原審のように個別の企業の事情とは区別して平成10年当時の新しい会計指針の「会計慣行」性について論じるのであれば、それは「法と同視する」姿勢であり、また通達によって会計慣行が変わることと罪刑法定主義との関係を論じるのも、まさに「法と同視する」姿勢のあらわれですよね。そういった姿勢を一切示していないところに最高裁の「こだわり」を感じました。まさに個々の会社にとっての「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」の内容を最終的に決定するのは裁判所の役割であり(江頭「株式会社法」第二版566ページ)、とくに会計慣行はその企業にとって「唯一」ではなくても、ほかに会計慣行があっても問題ない、といった考え方に立脚しているようです。こういった発想は、企業会計基準委員会の開発する会計基準については、ほとんどの上場企業が財務会計基準機構に加入しているわけですから、これを法的強制力があると一般的に考えることともなんら矛盾することはないのでしょうね。(会社法との関係ではそこまでは言えませんので、とりあえず会計慣行と推定される、ということになるのでしょうね)

こういった考え方からしますと、長銀事件では無罪判決が出たからといって、日債銀事件のほうでも同様の判決が出るかどうかはわかりませんよね。要は当時の税法基準と、新しい資産査定通達基準とを、日債銀はどう受け止めていたのか、という事案の内容によって、当時の日債銀に通用していた「公正なる会計慣行」がなんだったのかが、検討されることになるのでしょうね。(まぁ、実際には結論が変わる、ということはないと思われますが)とりあえず、第一印象はこのへんで。また(その8)で続きを書きたいと思っています。(ひさしぶりに読者の方々を無視してマニアックなエントリーに走ってしまいました。。。)

話がちょっと横道にそれますが、この最高裁判決で補足意見を述べておられる元検事の方ですが(補足意見を述べた真意がどこにあったのかは置いといて)、好きな作家が塩野七生さんと柳田邦男さんということで、私とまったく一緒なんです。世評がどうかは別として、私はこの方の裁判はとても気になっております。それと、長銀事件の被告人のおひとりについては刑事事件も民事事件も、現在最高裁判事になっておられる元弁護士の方が(弁護人および代理人として)ついておられたんですね(もちろん最高裁判事に任官されるまで)。やっぱり最高裁判事になられても、事件の帰趨は気にはなるでしょうね。こういった場合、もし憲法違反が議論されて大法廷が組まれる場合、元弁護人である裁判官は審理を忌避して14名の裁判官で構成されるのでしょうかね?

7月 19, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (12) | トラックバック (1)

2008年2月20日 (水)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その6)

すでにろじゃあさんのところでも話題になっておりますが、長銀粉飾事件の刑事事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)につきまして、来る4月21日に口頭弁論が開かれるそうであります。(読売ニュースはこちら)ご承知の方も多いとは思いますが、最高裁で上告(受理)事件に口頭弁論が開かれるということは、高裁での判断が覆る可能性が濃厚ということでありまして、そうなりますと元長銀トップの方々の有罪判決が無罪となる可能性が高まったと考えてよさそうであります。この長銀事件は、刑事と民事で結論が食い違っておりまして、しかも立証の程度(無罪推定原則)の関係からみまして、民事違法→刑事無罪ならまだわかりますが、民事適法→刑事有罪という、「まれにみる食い違い」が生じておりまして、最高裁の判断が注目されていたところでありました。なお、エントリー(その1)から(その5)までは、公正妥当な企業会計慣行と長銀事件のカテゴリーでまとめてお読みになれます。民事事件についてもRCC側から上告がなされており、また日債銀事件の結論にも影響を及ぼす可能性のある最高裁判断ですので、刑事上告事件とはいえ、争点についてはかなり明確な判断が出るのではないかと期待をしております。

証券取引法193条【現 金融商品取引法193条】による包括委任(つまり内閣府令)のない会計基準については、どのような場合に「公正なる会計慣行」といえるのか、またすでに会計慣行といえる会計基準が存在する場合において、どのような要件が具備されれば、新しい会計基準が「唯一の会計慣行」にあたる(つまり法規範性を有する)のか、といったところが最大の争点だと思われます。ただし、なんといいましても、すでに10年以上前の不良債権処理が開始される頃の時代背景がございますので、金融商品会計基準が施行されていない時代の事件であること、投資家や会社債権者に対して「高度の注意義務が課されている」金融機関の事件であること、また当事者が新旧の会計基準が存在しうることを認識しつつも、最終的には会計士(監査法人)の意見を参考にして旧基準(いわゆる税法基準によって補充された改正前決算経理基準)にしたがって貸付金の消却・引当を行ったこと、当時は銀行の自己責任ということが言われだした時期ではありますが、いまだ「護送船団方式」の名残があったことなどが、裁判所の判断にどのように影響するのか、そのあたりも十分配慮しておく必要があろうかと思われます。

会計基準の「法規範性」の問題は、古くから「法と会計の狭間の問題」として、著名な商法学者の方々や会計学者の方々の間で広く議論されてきたところでありますが、本件のように「異なる会計基準」の適用に関する問題だけではなく、最近は会計コンバージェンスの趨勢のなかで「同一の会計基準」の解釈に関する問題も指摘されるところではないでしょうか。BS重視(連結グループにおける企業群全体の価値算定重視)の時代の会計基準となりますと、金融商品、リース会計、減損処理、繰延税金ほか、適用されるべき会計基準には争いはないけれども、その解釈には大きな幅がある、といった場合にも、そこに違法配当事件や有価証券報告書の虚偽記載事件などに問われるリスクが横たわっているケースが多いと思われます。最近でも、三洋電機社の過年度決算修正につきまして、社外独立委員会は、金融商品会計基準(子会社株式の評価)において、いわゆる「三洋減損ルール」が会計基準の適用として誤りがなかったかどうかを精査しておられますし、今後も、経営者の将来収益に関する見積もりを伴うような会計基準の適用にあたっては、同様の場面も十分想定されるところであります。少し場面は異なりますが、今回の不正会計事件に対する最高裁判決の判断内容が、最近の事例にもアレンジできるようなものであれば、非常に有意義なものになるかもしれません。

最後にろじゃあさんのエントリーからの引用ですが

司法に携わる方々は裁判官であろうと検察官であろうと、弁護士の方々も、本来、普通の移ろいやすい世間の時間軸とは別の時間軸を併せ持って、いろいろな社会の動きによる問題をある意味で「矯正」する作用があるように思います。
これを正当に評価する眼を本来であれば国民は持つべきだと思います。

そのように言ってもらえるとうれしいです。といいますか、そこでしか我々は社会に有用な仕事ができないと思います。「別の時間軸」を持つことで、ときどき石を投げられることもありますし、時間軸を素直に修正することもありますが、「いつかわかってくれるときがくるだろう」と期待しつつ、きょうも仕事をしております。。。

2月 20, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その5)

ちょうど1年前から、このブログでも「公正ナル会計慣行と長銀事件」というカテゴリーで「私のつぶやき」を綴ってまいりましたが、(これまでのエントリーは こちらのカテゴリーでご覧になれます。)この11月29日に、東京高等裁判所におきまして、旧日本長期信用銀行(現新生銀行)旧経営陣に対するRCC(長銀の損害賠償請求権を承継)の損害賠償請求を棄却する高裁判決が出された、とのことであります。(朝日ニュース)この高裁判断により、この長銀事件につきましては、高裁段階におきましても、刑事と民事で違法配当に該当するかどうか、判断が分かれたことになり、非常に珍しい裁判結果となっております。

原審(民事)裁判の判決書は110ページ(判例時報の頁数)に及ぶ長文でありまして、読むだけでもたいへんではありますが、要は違法配当とされる配当手続の時点において、いったい何が公正なる会計慣行だったのか、その認定された会計慣行が「唯一の」会計慣行だったのか、という点に対する裁判所の見解の相違に帰着するところであります。商法監査の会計監査人に公認会計士監査が採用されたことにより、会計基準が実質的には「法律」として扱われるような体裁になっているわけでありますが、それでは会計基準が変更された場合には、いつからその会計基準が一般に公正妥当と認められる会計慣行となるのか、また会計慣行と認められた場合には、それが唯一の会計慣行となり、従前のものに従った会計処理は違法となってしまうのか、これは非常に大きな問題を含む論点であります。ASBJ(企業会計基準委員会)が策定した会計基準そのものが「法」とは言えないわけですから、斟酌されるべき「会計慣行」になるためには、なんらかの「法化現象」が必要になってくるわけであります。私も基礎法学については詳しくないものですから、ここは少し自信のないところでありますが、いわゆる「事実たる慣習」は法源になる、ということから、会計基準が策定され、それが会計に携わる人達一般に周知徹底され、それに従う会計書類が作成されるような社会が認められたときに、はじめて「会計慣行」になる、というのが一般の理解ではないでしょうか。このあたりは、解釈のうえでも、だいぶ「擬制」が働いておりまして、たとえ周知徹底されている事実が認められなくても、周知徹底されることはほぼ確実な状態において公表されたとき、と解する学説もあるようです。この長銀事件の民事裁判におきましても、こういった「会計基準」の法化現象自体は認めるものの、問題はそれが「唯一」の会計慣行であるとは言えないとされているようです。つまりは、それまでの会計基準にしたがって会社の計算を行ったとしても、それ自体は違法とは言えないとされております。

私はこの民事事件に関する裁判所がお出しになられた判決のほうが筋が通っているように思います。もし企業会計基準委員会が出した「会計基準」が唯一の公正なる会計慣行になる、ということですと、ある基準の施行日(もしくは事実たる慣習として認められた日)を境にして、一瞬のうちに適用されるべき会計基準が変わるわけですから、これはまったく「法律」と同じ社会規範になってしまいます。しかしながら、「法」が社会規範として効力を有するためには、とりわけ強制力を伴うような法であるならば、法律を制定する正当性(国会による審議、もしくは法律による委任など)その中身が明確で特定性を有するものであり、しかもその施行日までに国民に広く周知徹底される必要があります。そういった厳格な手続が、果たして会計監査における会計基準の施行の場面においてとられているかといいますと、おそらく自信をもってイエス、とは答えられないのではないでしょうか。そのあたりが、この長銀事件の民事裁判所の一番思い悩むところではないか、と思った次第です。

もちろん法が会計慣行を斟酌する、とある以上は、会計原則の適用には柔軟な対応が必要であることを認めているからこそでありまして、なにも会計基準を策定する機関が、法の制定と同様の手続を経ることまで要求しているわけではありません。しかしながら、法と会計基準をまったく同レベルに置くことはできない、といった根本的な法思想に起因して、上記のような判断理由に至ったのではないでしょうか。法と会計の狭間にある非常に深い問題・・・、この問題への司法機関としての意見表明のムズカシサが、この刑事と民事の各裁判所における判断分立を物語っているように思います。

11月 30, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月24日 (金)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その4)

1月10日のエントリー(公正妥当な企業会計慣行と長銀事件その3)におきまして、こういった「公正ナル会計慣行」の解釈指針といったものを詳細に検討した書物とかありませんかね・・・と漏らしておりましたが、ちょうど1月21日発売の「判例時報1911号」25ページ以下で、弥永真生教授が「会計基準の設定と公正ナル会計慣行」といった論文を発表されました。また、1月25日発売の「商事法務1755号」37ページ以下では田路弁護士、圓道弁護士共著によります「リース会計基準変更に関する法的検討」といった論稿も著されまして、近時の長銀事件、日債銀事件の刑事・民事判例などとの比較においてタイムリーな法的整理が試みられております。個人的にはものすごく興味のあるテーマなんで、たいへん興味深く、どちらも拝読させていただきました。(いつもブログを拝見しておりますぴてさんのエントリーで知りました)

私などが論評できるようなものではないことを重々承知のうえで、単なる感想として申し上げるならば、まず田路弁護士らの論文につきましては、ASBJ(財務会計基準機構・企業会計基準委員会)による(基準の)見直し方針が固まった「リース会計基準」の変更に焦点を当てて、その法的な妥当性と拘束力を検討するといった内容のものでありまして、「公正なる会計慣行」の法的問題点を非常にわかりやすい具体例を中心に論じていらっしゃいますので、内容がまことにわかりやすいものになっております。一方の判例時報における弥永教授の論文は、その判例分析の手法といい、法的論点の検証といい非常に精緻でして、「公正なる会計慣行」の法学的、会計学的意味を鳥瞰するにはたいへん貴重な論文といえるかと思います。(注の数がたいへん多く、参考書籍なども網羅されているような感じがします)

商法監査の対象として、これまで公正なる会計慣行があったと思料される「リース会計基準」を、ASBJが見直す場合に、新しく作られた「リース会計基準」はいつから公正なる会計慣行になるのか、そしていつから「唯一の」会計慣行となるのか・・・といった問題の捉え方は議論をする材料としましては非常にわかりやすい事例だと思います。ただし「公正ナル」といった意味をどう捉えるか(会社法のなかの計算規定の目的、つまり会社の財産および損益の状況を明らかにする目的といったものを広く解釈するのか、狭く解釈するのか)、その法的拘束力といった意味をどう捉えるか(唯一の会計慣行となったときに初めて法的拘束力があるとみるのか、二つ以上の会計慣行が存在する場合にも、それ以外は合理的な理由がないかぎり違法とみれば、それも法的拘束力があるとみるのか)など、論文を比較しましても、まだまだ一義的には論じられていないところが散見されます。浅学者が偉そうに言うのもおかしいのですが、まだまだ問題点を整理するにあたっては、用語の共通化が必要な分野ではないか、と感じました。

それと、弥永教授の論文のなかで、ある会計基準が適用されて、その新基準が公正なる会計慣行になるためには、どこかの企業が適用し始めて、将来的に他の企業も適用するであろうことが確実と思われる状況であれば「会計慣行」となりうる(おそらく現在の多数説)としながら、会計慣行性が喪失される要件としては、あくまでも「事実認識である(たとえば、同業種、同規模の企業において、旧会計基準を適用しているところが少なくなったなど)」とされていることにちょっと疑問を抱きました。「会計慣行たりうるか」といった要件について、「慣行になるとき」には大きく法的な「評価」に依存するにもかかわらず、「慣行でなくなるとき」には、評価ではなく「事実」に重きを置く、というのはなぜなんでしょうか。(このあたりは、やはり会計基準委員会による基準作成作業が(証券取引法などで委任されていないかぎりは)法的な規範性は持ち得ない、しかしながらなんとか法的な規範性に近いもの、と解釈したいといった趣旨からなのでしょうか)「評価なら評価」「事実認定なら事実認定」といったように統一的に要件をまとめておかなければ矛盾が生じてしまうように思えるのですが、いかがなものでしょうか。

ところで、ASBJなどが策定する会計基準といったものも、その運用指針を含めて読んでみますと、常に社会事象を詳細に検討した上で決定したものでもなさそうですね。社会事象というのは、おもに企業アンケートなどの結果に依存する傾向が強いのではないでしょうか。ストックオプション等に関する会計基準などを見ても、専門外の私からすると、本当にストックオプションの費用というものは存在するんだろうか、存在するにしても、費用認識など明確に把握することなんてできるんだろうか、会計学という学問への主義思想によって、識者の方でも意見が異なるんではなかろうか、などなど普通に素人的疑問が湧いてきますし、ましてや会計基準が変更される場合などでは、なぜ旧基準が一義的に不合理だと判断できるのか、意見もバラバラなときもあるんじゃなかろうか、などと考えたりしております。本当にまじめに考え出すと、会計士さんの指導はあくまでも「公正なる会計慣行」のひとつであって、別の「公正なる会計慣行」もあるよ、といった場面はけっこうあったりするんじゃなかろうか、と思ったりもします。このあたりは、また続きでツラツラと考えてみたいですね。

2月 24, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月10日 (火)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(その3)

前回のエントリー(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件・2)の論点1(会計基準の法的拘束力)について、もうすこし考えてみたいと思います。足利銀行と中央青山監査法人との間における違法配当損害賠償事件のケースでは、(報道記事からの情報だけですが)「当時の金融検査マニュアル」を基準として配当可能利益を算出しなければならないにもかかわらず、これを無視して配当したことで11億円の損害が(足利銀行)に発生した、ということでした。つまり原告である足利銀行側は、金融検査マニュアルの存在を斟酌して、これに従うことが唯一の公正な会計慣行であったということで、監査担当者の違法配当加担の事実を主張するわけです。(しかしこの事件は、ちょっとうろ覚えで申し訳ありませんが、たしか監査法人が監査方針を急に変更したことが、足利銀行破綻処理の引金になったのではなかったかと思います。所轄庁も含めた、当時の監査方針の変更までの経過が今後の問題点になりそうな気もします)

そこで、一般論として問題を引き直してみたいのですが、たとえば財団法人財務会計基準機構内の企業会計基準委員会が、ピースミール方式で迅速に会計基準や運用指針を提言(改廃)しているなかで、個々の会計基準自体は、個々の企業の会計帳簿作成や、会計監査人の監査業務に対する法的拘束力を有するのでしょうか。国際会計基準へのコンバージェンスや、新会社法の施行に合わせて、昨今では様々な企業会計基準や運用指針の新設、見直しが行われているようです。たとえば国際会計基準に合わせることを目的として棚卸資産の「原価法原則、低価法容認」といった基準が、「低価法原則」へと変わることになる、との記事を読みましたが、損益計算の原則からするならば、およそ低価法は合理的でないと言われていましたが、この基準を変更するために、いろいろな理由付けが公表されています。しかしながら、書物や雑誌で紹介されている、どのような(基準変更を正当化する)理由も理論的な説明にはなっていないように思えます。(といいますか、もともと個別の会計基準と企業会計原則との整合性は存在しない、ということで、理論的な説明は無理ということでしょうか?)要するに社会の趨勢によって会計基準は変わりうる、といったものであれば、それは(慣習法的な基準に合致しないかぎり)法的拘束力を持ちえないはずであって、基準策定者への法の個別委任が存在しなければ、デュープロセスとはいえないのではないでしょうか。

企業会計法に関する適切な参考書が周囲にないもので、これはまったくの個人的な意見なのですが、まず証券取引法関連と商法関連に分けて検討する必要があるように思います。そもそも株式が一般投資家によって売買されるような公開企業については、投資家保護の観点から財務諸表規則などが内閣府令として規定されており、そこでは省令の解釈にあたっては公正な会計基準に従うものとする、といった規定が置かれているので、証券取引法によって概ね委任があるものとみてよいのではないでしょうか。つまり企業会計基準委員会が適時報告している会計基準等については、証券取引法上、その拘束力が認められるといったことになるのでは、と。ただ、そうであったとしても次の問題として、会計基準というものが「ミニマム」を定めたものか、「マキシマム」を定めたものか、といった重要な論点が出てきます。おそらく今後の証券取引法(および投資サービス法 仮称)と会計基準との問題は、こっちのほうが議論の対象となっていくのではないか、と予想しています。企業や監査人は、会計基準やその運用指針に出されている項目さえ開示していれば適法であると言えるのか、それとも各企業の実情に応じて、会計基準を超えて、その企業の継続性に影響を与えるような重要事実を適時開示しなければ、一般投資家に対して適法な開示を行ったとはいえないとみなされるのか、そのあたりはどのように考えたらよいのでしょうかね。

つぎに商法と企業会計基準委員会の報告する会計基準の関係でありますが、平成16年7月15日に企業会計基準委員会が「企業会計基準委員会の中期的な運営方針について」と題する報告書のなかでも説明されているとおり、(公開企業だけではなく、閉鎖企業においても商法の計算規定は適用されるわけですから)あくまでも(商法は基本的に強行法規性を有しているので)商法の枠内での指針にとどまるものでありまして、会計基準そのものが法的拘束力があるとはいえないものと思われます。ただ、長銀事件でも触れておりますが、商法32条2項との関係から、会計基準が公正なる会計慣行と認められる場合においては、たとえ商法や規則による委任がない場合であっても、一種の慣習法として商法上の計算規定を解釈するための「法的拘束力」を認めることも可能となるのではないでしょうか。ただ、たとえ法的拘束力を認めることができるとしましても、株式会社全般の計算関係を規制する商法の立場からみれば、一般投資家の投資情報といった趣旨よりも、会社債権者や現株主への情報提供といった趣旨のほうが重視されるものでしょうから、会計基準が画一的であることの要請は若干後退するはずでして、同じ会計帳簿の作成にあたって、複数の公正なる会計慣行が認められる余地も出てくるはずです。そういったケースにおきましては、会計帳簿を作成する企業や監査する会計監査人にとって、判断に裁量の余地が出てくることも十分考えられるように思います。

さて、これまで「商法」と書いてきましたが、それでは新会社法のもとでは、どうなるのでしょうか。現商法下とは異なる扱いになるのでしょうか。一般に株式会社の帳簿作成義務(商法32条1項)は会社法432項1項に、そして「公正ナル会計慣行」の斟酌規定は、会社法431条に対応するものと言われております。そして「株式会社の計算に関する法務省令案」の第3条(斟酌)規定では、会社法431条では消えていたはずの「斟酌する」という言葉がまた復活しております。現商法の「企業会計基準」に対する考え方が、そのまま会社法においても維持されているとみるべきかどうか、そのあたりはまた次回にでも、(論点2の検討とともに)考えてみたいと思います。なお、私には基本的に会計学に関する知識が貧困なために、(また恥ずかしくなるような)大きな誤解があるかもしれませんので、またご教示いただけますとありがたいです。

ところで世間では、このあたりのことを今までにわかりやすく、議論してきたことはあったのでしょうかね。あまり普通のテキストには掲載されていないので、非常に不思議な気がします。ひょっとすると、会計学者と商法学者との「綱引き」のような歴史があるのかもしれません。しかしながら、新会社法のもとでは、監査役と会計監査人との連携ということが大きなテーマになっておりまして、企業の作成すべき会計帳簿の適正性、そしてそれを監査する会計監査人の監査の適正性とは何か、監査役の立場から十分理解しておく必要があります。会計監査人が会社の機関となるわけですから、これまでとは違い、その会計監査業務への監督責任も格段に明確になってきたわけでして、「専門家である会計士さんの指示にしたがっておけばだいじょうぶ。会計監査には口出ししません」(信認の抗弁)はおそらく監査役には成り立たなくなる、と思われます。せめて株主への説明責任を尽くすことができる程度には、会計監査人との業務の連携に関する法律関係を整理する意義は大きいものと考えています。(また、つづく)

1月 10, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年1月 8日 (日)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(2)

いつもチェックさせていただいている粉飾列島(会計はアートか)のkeizoku2005さんのブログで知ったのですが、足利銀行を原告、中央青山監査法人を被告とする違法配当損害賠償請求事件の第2回公判が昨年12月27日に開かれたようです。元記事はおそらくこの朝日新聞栃木ニュースではないか、と思います。
(ちなみに、記事を引用させていただきますと・・・)

足利銀行の01年3月期決算の粉飾に深く関与したとして、一時国有化中の足銀が、中央青山監査法人に11億円の損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が27日、宇都宮地裁(柴田秀裁判長)であり、中央青山側は粉飾への具体的な関与について「否認ないしは争う」と述べた。中央青山側はまた、足銀監査を担当していた公認会計士が足銀の融資先の旅館の顧問税理士に就任していた事実を初めて認めた。国有足銀は、破綻(はたん)前の01年3月期決算について、繰り延べ税金資産の過大計上や貸し倒れ引当金の過少計上によって粉飾され、11億円が株主に違法に配当されたと主張している。これに対し、中央青山側はこの日、原告足銀が「過大」「過少」の根拠とする「金融検査マニュアル」について、「公正なる会計慣行として法的拘束力を有していたとする根拠は不明」として足銀側に釈明を求めた。また、違法配当があった場合、足銀は、株主に対し不当利得返還請求権を有すると中央青山側は指摘。11億円のうち5億円は整理回収機構に配当されており、中央青山側は「回収は極めて容易」と損害の発生そのものを否定した。また、中央青山の代表社員を務める会計士が、足銀融資先の温泉旅館2社の顧問税理士に00年2月と8月に相次いで就任していた事実を中央青山側が認めた。顧問税理士として2社の実態を熟知し、足銀による2社の債務者区分が虚偽だと認識していたという足銀側の主張に対しては、中央青山側は「否認ないし争う」と答えた。

この記事は、当時足利銀行の会計監査を担当していた中央青山監査法人の(別の代表社員の方が)足利銀行融資先の企業の顧問税理士を務めていたことを認めた点を問題視しているようですが、私はむしろ別の論点に興味を持ちました。

ひとつは、中央青山が足利銀行側に釈明を求めている「2001年3月期決算時に存在していた金融検査マニュアルは、違法配当を認定するうえで法的拘束力をもった基準たりえたのかどうか」といった論点です。つまり、当時の計算書類(または、その基礎となる商業帳簿)作成のための基準となるべき金融検査マニュアルが、現商法32条2項にいうところの「公正なる会計慣行」に該当して法的拘束力を有していたのかどうか、また該当していたとしても、金融検査マニュアルが当時唯一の公正なる会計慣行だったのかどうか、といった問題が今後大きな争点になりそうです。(なお、会社法431条では「株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる会計慣行に従うものとする」と規定されました)この点につきましては、昨年11月15日のエントリー(公正妥当な会計慣行と長銀事件)でも取り上げたところでありまして、企業会計法上、非常に重要だけれども、よくわからない(本当に理解されている方が、一体どれほどいるのだろうか、と疑問を抱く)ところであります。当時の金融検査マニュアルが企業監査業務(もしくは企業会計実務)において、いかに利用(評価)されていたのか、またそれまで別にも、公正妥当と思料される会計慣行が存在していたのかどうか、という事実関係は私の知るところではありませんが、おそらく平成17年5月19日東京地裁判決(いわゆる長銀違法配当民事事件)の判断基準の妥当性を中心に今後双方の主張が尽くされるのではないか、と予想いたします。(ただ、11月のエントリーのときにも申し上げましたが、この判決はまだ高裁で逆転する可能性もありますので、東京地裁の判断が絶対のものとは言い切れません

そしてもうひとつの論点が、足利銀行の損害発生の有無であります。足利銀行は違法配当によって11億円の損害を被ったと主張されているようですが、(粉飾への加担という)不法行為責任を追及されている中央青山側は、「違法配当の場合は会社は配当金を受領した株主の悪意、善意にかかわらず返還を求めることができ(これは現商法に明文規定があります)、とりわけ回収余力のある整理回収機構に5億円も配当をしているのであるから、まずはそっちから返還してもらうべきであり、したがって11億円もの損害は発生していない(もうすこし、推測してもいいのでしたら、株主から11億円分を取り返すことができるのであるから、その取り戻しの努力をしないまま、中央青山に損害賠償を請求することはできない、といった主張になろうか、と思います)」との反論がなされています。なるほど、たしかに会社は違法配当時、株主に対して違法配当金の返還を要求できるわけですから、こういった中央青山の反論も「ごもっとも」かと思われます。「公正妥当な会計慣行」を議論するところは、規定が若干変更されている会社法下においてもそのまま妥当するかどうかはわかりませんが、いずれにせよ、かなり会社法(商法)や、会計基準の概念的フレームワークについて検討するには非常にいい題材だと思いますので、ちょっとこの点を続けて検討していくことにいたします。(と、いいつつ今日はこのへんで失礼いたします)

1月 8, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2005年11月15日 (火)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件

この時期、公認会計士の皆様は中間決算監査にたいへんお忙しいものを拝察いたします。私が社外監査役を務める企業も今週が中間決算の報告となります。会計士さんにお話をお聞きしても、いろんな会計基準が新設されたり変更されたりと、弁護士に比べて憶えなければならないルールが非常に多いように感じます。加えて新会社法の法務省令が発表されますと、今度は政令(規則)による計算書類作成上の準則にも留意しなければならないとなると、本当に頭の下がる思いです。

ついこの間のエントリーでも書かせていただきましたが、弁護士と会計士による関西の合同研究会でLLP、LLCに関する講演が開催されましたが、今度、ぜひとも税理士さんも含めて合同で研修をしてみたいな、と(勝手に)思っているのが「公正なる会計慣行の斟酌」ですね。現商法では32条2項ですが、会社法では431条で規定されています。(すこしばかり、現商法と会社法とで文言に変化がありますが、あまり意味はない、というのが通説のようです。「公正なる会計慣行」→「公正妥当と認められる会計慣行」とか「斟酌すべし(従わなければならない)」→「従うものとする」などなど。ただ、内部統制監査との関係では、すこしばかり意味があるのでは、と私は考えておりますが。理由は下に述べます)
 

第431条  株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行により従うものとする

会計帳簿の作成にあたって、公正妥当な企業会計の慣行が「法規範」としての意味を持つわけですから、新しい会社法のもとで株主代表訴訟や第三者による責任追及の被告となりうる会計監査人や会計参与という会社機関にも重要な意味が出てくるわけでして、もちろん違法配当の有無に関する判断基準にもなるわけで、経営者にも大きな影響を与えるわけです。私にとりましては、最近まであまり関心もなかったのですが、この10月に長銀配当損害賠償事件第一審判決が雑誌で公開され(判例時報1900号)、日債銀損害賠償請求事件の判決(判例時報1863号115ページ)との比較も可能となり、とりわけ長銀事件では刑事と民事で裁判所の判断がまったく異なっているということもありまして、この会社法上で法規範となるべき「公正妥当な企業会計の慣行」とはいったいどういった要件があれば裁判所が「法規範性」を認容するのか、どういった根拠をもって裁判所を説得すべきなのか、興味の湧いてくるところとなりました。さらに、証券取引法上だけで「財務情報の信頼性確保のための内部統制の構築」が議論されているのであれば無視することもできそうですが、会社法にも(とりわけ公開会社の場合には義務規定として)「内部統制システムの構築」に関して規定され、会計監査の対象となるわけですから、こういった分野におきましても、はたして「公正妥当な企業会計の慣行」という「法規範」概念が入ってくるのかどうか、という問題も出てきそうです。(現商法32条2項は「商業帳簿の作成に関する規定の解釈については」とありますが、会社法431条では「株式会社の会計は」と変更されておりまして、そういった監査基準そのものの法規範性を念頭に置いているのでは、と考えております)おそらく上の長銀配当事件における控訴審判決が出たとしましても、まだまだ議論は尽きないものと思われます。ということでして、この会社法431条の解釈問題につきましては、企業経営者を含めて、法律実務家、会計実務家等による共有資産としての研究が、ぜひとも有益なものではないか、と思う次第であります。(といいますか、私が関西なもんで情報に疎いだけで、もう東京のほうでは、そういった合同研修がなされているのかもしれませんね?)

ビジネスに関連する話題を一回読みきり、をモットーにしているつもりではありますが、このブログでも、長銀配当損害事件の一審判決を中心に、シリーズで考えていきたいと思っておりますので、どうか(不定期ですが)おつきあいいただければ幸いです。また、この問題に興味をお持ちの方でしたら、ぜひ判例時報1900号の判決文(雑誌110ページ以上にわたりますので、非常に大作の判決文ですが、研究するに値するものと思います)の原文をお読みになることをお勧めいたします。(なお、この判決では、原告、被告双方が「公正なる会計慣行」をどのようなものとして主張しているか、別紙として紹介しておりますので、そこもまた非常に勉強になります)

ちょっとだけ具体的な問題について触れてみたいと思いますが、先の長銀配当損害賠償事件一審判決や日債銀損害賠償請求事件では、いずれも金融庁(以前は大蔵省)の通達や会計基準が施行されていたからといって、それが「公正な企業会計の慣行」といえるものであり、その通達、基準に従わないと違法となる、とは考えていないところです。それは、会計慣行といえるための厳しい要件に該当していなかったり、同じ事象に適用可能な会計慣行を二つ以上認めたり、会計慣行のない問題について、別の慣行を類推適用することを認めたりと、いうところが理由なんですが、もっとも裁判所の考えの根底にあるのは「企業会計の継続性」の重視と民法92条(事実たる慣習)の適用(もしくは類推適用)にあると思います。
詳しい理由はまた次回に述べたいと思いますが、結論として、たとえば企業会計審議会で、いろんな考え方が出て、委員の間で意見がまとまらない状況が続き、最後に「オトナの事情」によって会計基準が出た場合など、おそらく後の裁判では「会計基準」の法規範性を主張する側には不利に働くことを予想しておりますし、また先日の中央青山のカネボウ粉飾事件などによって、今後会計士協会や公認会計士・監査審査会などが中心となって、会計士協会内部における統制システムが適正に構築されていくならば、ぎゃくに法規範性を主張する側には有利に働くのでは・・・と予想しております。少なくとも、私が上の長銀、日債銀の民事事件判決を検討したところからは、そういった争点の形成も、ひょっとすると可能ではないかな、と思いました。

勝手に会計士さんや税理士さんの土俵に上がりこんで、わいわいと持論を展開しているようなもんですから、どうか「そんなアホなことがあるかいなぁ」といったご批判なり、ご意見を頂戴できれば、と存じます。(不定期にて、つづく・・・)

11月 15, 2005 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (2) | トラックバック (0)