2008年8月 5日 (火)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その8・有罪判決の時代背景)

今日は特別に「公正なる会計慣行」の内容について検討するものではありませんが、このたびの長銀粉飾決算事件の最高裁判決に関連して、有罪判決を出した原審当時の時代背景について少しだけ記述しておきます。裁判は、その判決当時の時代背景(ひょっとすると世論の流れ)に影響されることもあるかもしれません。なぜなら、裁判には紛争解決機能もあれば、政策形成機能もあるわけでして、後者を重視する刑事裁判官であれば、当時の「国民の声」に敏感に反応することも考えられるからであります。

1 長銀の検査忌避・検査妨害事件の影響について

今回の長銀最高裁無罪事件が出たことで、マスコミの論調は「法的には無罪が証明されたわけだが、当時の金融機関としての道義的責任まで晴れたわけではない」というものが多いようです。しかし、本当に今から10年前の長銀経営陣には、道義的責任は別として、法的責任はまったく残っていないと言い切っていいものでしょうか?

ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、長銀は平成10年7月から同年9月までの金融監督庁(現金融庁)による立入検査において、系列ノンバンクへの融資に関する資料を改ざんして金融監督庁に提出し、また「融資の資料は存在しない」などと虚偽の報告をして検査忌避・妨害を行ったとして、(長銀および旧経営陣は)平成11年9月に金融監督庁から長期信用銀行法違反として刑事告訴されております。そして東京地検は、旧経営陣が粉飾決算を隠ぺいするために、組織的な検査忌避・妨害を行ったものと認定したわけですが、平成12年3月、法人および担当者について起訴猶予処分としております。当時の新聞報道によりますと、起訴猶予処分とした理由は、すでに長銀自身が平成10年に破たんしてしまったために、すでに罰則を科する意味がなくなってしまったことと、旧経営陣らも、粉飾決算による証券取引法違反事件で起訴されたことから、とされております。

粉飾決算による証券取引法違反事件が無罪と確定した現時点において、もはや上記検査忌避・妨害事件の処分が復活する、ということはもちろんありませんが、東京地裁判決が下された平成14年当時において、この平成12年の起訴猶予処分の事実がなんらかの影響を及ぼしていたのではないか、という点は少しばかり検討しておくべきものではないでしょうか。「公正なる会計慣行とは何か?」といった論点に影響を及ぼしていたとまでは言えませんが、すくなくとも証券取引法違反の故意を立証するための有力な資料として用いられた可能性は高いものと推測されます。

2 長銀副頭取の死

平成11年5月6日、(東京地検特捜部による事情聴取の直後)平成10年3月期決算の作成を直接担当した長銀の副頭取の方が、妻に宛てた遺書を残して亡くなっておられます。長銀事件さえなければ、次期頭取と目されていた長銀のエース級の方のようでした。当時とくに醜聞も聞かなかったこの副頭取の方の死は、実質的には「経営陣による粉飾決算共謀の事実」が闇に葬られる可能性を高めたものといえるのでありまして、こういった事実は原審の判断にどような影響を及ぼしたのでしょうか。平成11年当時の「国民の声」そして内部調査委員会における厳格な責任追及の意見が飛び交うなかでの出来事であり、当時の裁判所としての判断において、この副頭取の死が、すくなからず旧経営陣の有罪の心証形成に与えた影響は否定できないのではないかと推測いたします。

もちろん、いずれの上記推測も、単なる私見にすぎず、明確な根拠はございません。ただ、この最高裁判決までに10年を要した長銀事件の判決を「冷静に分析」する場合にあたり、時の流れとともに、原審判断時における当時の時代背景についても、きちんとわきまえたうえで検討することが、この事件に関係するすべての利害関係者(当事者)への私なりの礼儀ではないかと思った次第であります。

8月 5, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月19日 (土)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その7・無罪逆転判決)

皆様ご承知のとおり、7月18日長銀事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)の上告審判決が最高裁で出ましたね。過日、最高裁で口頭弁論が開かれましたので、予想どおり被告3名について無罪判決、つまり原審破棄自判の結果となっています。(なお、RCCが上告人である民事事件の上告についても棄却されたそうですので、約60名の長銀株主らによる損害賠償請求控訴事件以外は、ほぼ終結したようですね。なお株主集団訴訟のほうは、当時の監査人であった新日本有限責任監査法人も被告になっていますね)

とりあえず、さきほど最高裁のHPにて、判決全文を読んでみました。書きたいことは山ほどありますが、とてもブログという媒体では書ききれないので、読んだ感想(第一印象)だけに簡単に触れておきたいと思います。もしご関心をお持ちの方は、当最高裁判決と刑事原審判決(東京高裁平成17年6月21日 判例時報1912号135頁以下)および、当最高裁判決と民事第一審判決(東京地裁平成17年5月19日 判例時報1900号3頁以下)を対比しながら検討されることをお勧めいたします。

まず第一印象としましては、原審の東京高裁判決と比較して、この最高裁判決は、あくまでもこの長銀の粉飾事件という限られた事案の処理にかぎっての判断を示している ということであります。各被告の弁護人らの上告理由を「いずれも上告の理由にあたらない」と排斥したうえで、刑事訴訟法411条を用いて職権調査のうえで「このまま確定させてしまっては著しく正義に反する」として有罪→無罪の判断に至っております。新しい会計指針(資産査定通達+会計士協会の実務指針)が当時の世において「公正なる会計慣行」であったかどうか、といった一般的な議論をするのではなく、当時の長銀という特定の会社において、いったい公正なる会計慣行は何だったのか?という議論をしています。(ここが大きく原審と異なるポイントですね)

そもそも平成9年から10年当時、新しい会計指針が一般的抽象的に(どこの銀行にも通用するような)「公正なる会計慣行」になっていたかどうか?というところから議論を始めますと、原審のように「公正なる会計慣行が併存することなどありえない」とか、「唯一の会計慣行といえるための要件」とか「会計慣行と罪刑法定主義の関係」について議論することになりますが、最高裁はそういった議論はほとんど回避しています。

「そのようなことをいちいち議論しなくてもいいではないか。この長銀という銀行の会計処理方針をじっくりと眺めてみて、その当時に長銀という企業に妥当していた「公正な会計慣行」を探ればいいではないか。もし個別の会計処理が、長銀に妥当していた公正な会計慣行に反していればルール違反を問えばいいではないか」

といった姿勢ではないでしょうか。だからこそ、最高裁判決が職権調査によって掲示している事実を読みますと、新しい会計指針の制定経過を丹念に分析し、定量的な判断基準に乏しい当該会計指針を長銀という個別の銀行がどう受け止めていったか、という流れが克明に記されていることがわかります。

最高裁は徹底して「公正なる会計慣行は『法律』ではない」という視点ですね。原審のように個別の企業の事情とは区別して平成10年当時の新しい会計指針の「会計慣行」性について論じるのであれば、それは「法と同視する」姿勢であり、また通達によって会計慣行が変わることと罪刑法定主義との関係を論じるのも、まさに「法と同視する」姿勢のあらわれですよね。そういった姿勢を一切示していないところに最高裁の「こだわり」を感じました。まさに個々の会社にとっての「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」の内容を最終的に決定するのは裁判所の役割であり(江頭「株式会社法」第二版566ページ)、とくに会計慣行はその企業にとって「唯一」ではなくても、ほかに会計慣行があっても問題ない、といった考え方に立脚しているようです。こういった発想は、企業会計基準委員会の開発する会計基準については、ほとんどの上場企業が財務会計基準機構に加入しているわけですから、これを法的強制力があると一般的に考えることともなんら矛盾することはないのでしょうね。(会社法との関係ではそこまでは言えませんので、とりあえず会計慣行と推定される、ということになるのでしょうね)

こういった考え方からしますと、長銀事件では無罪判決が出たからといって、日債銀事件のほうでも同様の判決が出るかどうかはわかりませんよね。要は当時の税法基準と、新しい資産査定通達基準とを、日債銀はどう受け止めていたのか、という事案の内容によって、当時の日債銀に通用していた「公正なる会計慣行」がなんだったのかが、検討されることになるのでしょうね。(まぁ、実際には結論が変わる、ということはないと思われますが)とりあえず、第一印象はこのへんで。また(その8)で続きを書きたいと思っています。(ひさしぶりに読者の方々を無視してマニアックなエントリーに走ってしまいました。。。)

話がちょっと横道にそれますが、この最高裁判決で補足意見を述べておられる元検事の方ですが(補足意見を述べた真意がどこにあったのかは置いといて)、好きな作家が塩野七生さんと柳田邦男さんということで、私とまったく一緒なんです。世評がどうかは別として、私はこの方の裁判はとても気になっております。それと、長銀事件の被告人のおひとりについては刑事事件も民事事件も、現在最高裁判事になっておられる元弁護士の方が(弁護人および代理人として)ついておられたんですね(もちろん最高裁判事に任官されるまで)。やっぱり最高裁判事になられても、事件の帰趨は気にはなるでしょうね。こういった場合、もし憲法違反が議論されて大法廷が組まれる場合、元弁護人である裁判官は審理を忌避して14名の裁判官で構成されるのでしょうかね?

7月 19, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (12) | トラックバック (1)

2008年2月20日 (水)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その6)

すでにろじゃあさんのところでも話題になっておりますが、長銀粉飾事件の刑事事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)につきまして、来る4月21日に口頭弁論が開かれるそうであります。(読売ニュースはこちら)ご承知の方も多いとは思いますが、最高裁で上告(受理)事件に口頭弁論が開かれるということは、高裁での判断が覆る可能性が濃厚ということでありまして、そうなりますと元長銀トップの方々の有罪判決が無罪となる可能性が高まったと考えてよさそうであります。この長銀事件は、刑事と民事で結論が食い違っておりまして、しかも立証の程度(無罪推定原則)の関係からみまして、民事違法→刑事無罪ならまだわかりますが、民事適法→刑事有罪という、「まれにみる食い違い」が生じておりまして、最高裁の判断が注目されていたところでありました。なお、エントリー(その1)から(その5)までは、公正妥当な企業会計慣行と長銀事件のカテゴリーでまとめてお読みになれます。民事事件についてもRCC側から上告がなされており、また日債銀事件の結論にも影響を及ぼす可能性のある最高裁判断ですので、刑事上告事件とはいえ、争点についてはかなり明確な判断が出るのではないかと期待をしております。

証券取引法193条【現 金融商品取引法193条】による包括委任(つまり内閣府令)のない会計基準については、どのような場合に「公正なる会計慣行」といえるのか、またすでに会計慣行といえる会計基準が存在する場合において、どのような要件が具備されれば、新しい会計基準が「唯一の会計慣行」にあたる(つまり法規範性を有する)のか、といったところが最大の争点だと思われます。ただし、なんといいましても、すでに10年以上前の不良債権処理が開始される頃の時代背景がございますので、金融商品会計基準が施行されていない時代の事件であること、投資家や会社債権者に対して「高度の注意義務が課されている」金融機関の事件であること、また当事者が新旧の会計基準が存在しうることを認識しつつも、最終的には会計士(監査法人)の意見を参考にして旧基準(いわゆる税法基準によって補充された改正前決算経理基準)にしたがって貸付金の消却・引当を行ったこと、当時は銀行の自己責任ということが言われだした時期ではありますが、いまだ「護送船団方式」の名残があったことなどが、裁判所の判断にどのように影響するのか、そのあたりも十分配慮しておく必要があろうかと思われます。

会計基準の「法規範性」の問題は、古くから「法と会計の狭間の問題」として、著名な商法学者の方々や会計学者の方々の間で広く議論されてきたところでありますが、本件のように「異なる会計基準」の適用に関する問題だけではなく、最近は会計コンバージェンスの趨勢のなかで「同一の会計基準」の解釈に関する問題も指摘されるところではないでしょうか。BS重視(連結グループにおける企業群全体の価値算定重視)の時代の会計基準となりますと、金融商品、リース会計、減損処理、繰延税金ほか、適用されるべき会計基準には争いはないけれども、その解釈には大きな幅がある、といった場合にも、そこに違法配当事件や有価証券報告書の虚偽記載事件などに問われるリスクが横たわっているケースが多いと思われます。最近でも、三洋電機社の過年度決算修正につきまして、社外独立委員会は、金融商品会計基準(子会社株式の評価)において、いわゆる「三洋減損ルール」が会計基準の適用として誤りがなかったかどうかを精査しておられますし、今後も、経営者の将来収益に関する見積もりを伴うような会計基準の適用にあたっては、同様の場面も十分想定されるところであります。少し場面は異なりますが、今回の不正会計事件に対する最高裁判決の判断内容が、最近の事例にもアレンジできるようなものであれば、非常に有意義なものになるかもしれません。

最後にろじゃあさんのエントリーからの引用ですが

司法に携わる方々は裁判官であろうと検察官であろうと、弁護士の方々も、本来、普通の移ろいやすい世間の時間軸とは別の時間軸を併せ持って、いろいろな社会の動きによる問題をある意味で「矯正」する作用があるように思います。
これを正当に評価する眼を本来であれば国民は持つべきだと思います。

そのように言ってもらえるとうれしいです。といいますか、そこでしか我々は社会に有用な仕事ができないと思います。「別の時間軸」を持つことで、ときどき石を投げられることもありますし、時間軸を素直に修正することもありますが、「いつかわかってくれるときがくるだろう」と期待しつつ、きょうも仕事をしております。。。

2月 20, 2008 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その5)

ちょうど1年前から、このブログでも「公正ナル会計慣行と長銀事件」というカテゴリーで「私のつぶやき」を綴ってまいりましたが、(これまでのエントリーは こちらのカテゴリーでご覧になれます。)この11月29日に、東京高等裁判所におきまして、旧日本長期信用銀行(現新生銀行)旧経営陣に対するRCC(長銀の損害賠償請求権を承継)の損害賠償請求を棄却する高裁判決が出された、とのことであります。(朝日ニュース)この高裁判断により、この長銀事件につきましては、高裁段階におきましても、刑事と民事で違法配当に該当するかどうか、判断が分かれたことになり、非常に珍しい裁判結果となっております。

原審(民事)裁判の判決書は110ページ(判例時報の頁数)に及ぶ長文でありまして、読むだけでもたいへんではありますが、要は違法配当とされる配当手続の時点において、いったい何が公正なる会計慣行だったのか、その認定された会計慣行が「唯一の」会計慣行だったのか、という点に対する裁判所の見解の相違に帰着するところであります。商法監査の会計監査人に公認会計士監査が採用されたことにより、会計基準が実質的には「法律」として扱われるような体裁になっているわけでありますが、それでは会計基準が変更された場合には、いつからその会計基準が一般に公正妥当と認められる会計慣行となるのか、また会計慣行と認められた場合には、それが唯一の会計慣行となり、従前のものに従った会計処理は違法となってしまうのか、これは非常に大きな問題を含む論点であります。ASBJ(企業会計基準委員会)が策定した会計基準そのものが「法」とは言えないわけですから、斟酌されるべき「会計慣行」になるためには、なんらかの「法化現象」が必要になってくるわけであります。私も基礎法学については詳しくないものですから、ここは少し自信のないところでありますが、いわゆる「事実たる慣習」は法源になる、ということから、会計基準が策定され、それが会計に携わる人達一般に周知徹底され、それに従う会計書類が作成されるような社会が認められたときに、はじめて「会計慣行」になる、というのが一般の理解ではないでしょうか。このあたりは、解釈のうえでも、だいぶ「擬制」が働いておりまして、たとえ周知徹底されている事実が認められなくても、周知徹底されることはほぼ確実な状態において公表されたとき、と解する学説もあるようです。この長銀事件の民事裁判におきましても、こういった「会計基準」の法化現象自体は認めるものの、問題はそれが「唯一」の会計慣行であるとは言えないとされているようです。つまりは、それまでの会計基準にしたがって会社の計算を行ったとしても、それ自体は違法とは言えないとされております。

私はこの民事事件に関する裁判所がお出しになられた判決のほうが筋が通っているように思います。もし企業会計基準委員会が出した「会計基準」が唯一の公正なる会計慣行になる、ということですと、ある基準の施行日(もしくは事実たる慣習として認められた日)を境にして、一瞬のうちに適用されるべき会計基準が変わるわけですから、これはまったく「法律」と同じ社会規範になってしまいます。しかしながら、「法」が社会規範として効力を有するためには、とりわけ強制力を伴うような法であるならば、法律を制定する正当性(国会による審議、もしくは法律による委任など)その中身が明確で特定性を有するものであり、しかもその施行日までに国民に広く周知徹底される必要があります。そういった厳格な手続が、果たして会計監査における会計基準の施行の場面においてとられているかといいますと、おそらく自信をもってイエス、とは答えられないのではないでしょうか。そのあたりが、この長銀事件の民事裁判所の一番思い悩むところではないか、と思った次第です。

もちろん法が会計慣行を斟酌する、とある以上は、会計原則の適用には柔軟な対応が必要であることを認めているからこそでありまして、なにも会計基準を策定する機関が、法の制定と同様の手続を経ることまで要求しているわけではありません。しかしながら、法と会計基準をまったく同レベルに置くことはできない、といった根本的な法思想に起因して、上記のような判断理由に至ったのではないでしょうか。法と会計の狭間にある非常に深い問題・・・、この問題への司法機関としての意見表明のムズカシサが、この刑事と民事の各裁判所における判断分立を物語っているように思います。

11月 30, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月24日 (金)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その4)

1月10日のエントリー(公正妥当な企業会計慣行と長銀事件その3)におきまして、こういった「公正ナル会計慣行」の解釈指針といったものを詳細に検討した書物とかありませんかね・・・と漏らしておりましたが、ちょうど1月21日発売の「判例時報1911号」25ページ以下で、弥永真生教授が「会計基準の設定と公正ナル会計慣行」といった論文を発表されました。また、1月25日発売の「商事法務1755号」37ページ以下では田路弁護士、圓道弁護士共著によります「リース会計基準変更に関する法的検討」といった論稿も著されまして、近時の長銀事件、日債銀事件の刑事・民事判例などとの比較においてタイムリーな法的整理が試みられております。個人的にはものすごく興味のあるテーマなんで、たいへん興味深く、どちらも拝読させていただきました。(いつもブログを拝見しておりますぴてさんのエントリーで知りました)

私などが論評できるようなものではないことを重々承知のうえで、単なる感想として申し上げるならば、まず田路弁護士らの論文につきましては、ASBJ(財務会計基準機構・企業会計基準委員会)による(基準の)見直し方針が固まった「リース会計基準」の変更に焦点を当てて、その法的な妥当性と拘束力を検討するといった内容のものでありまして、「公正なる会計慣行」の法的問題点を非常にわかりやすい具体例を中心に論じていらっしゃいますので、内容がまことにわかりやすいものになっております。一方の判例時報における弥永教授の論文は、その判例分析の手法といい、法的論点の検証といい非常に精緻でして、「公正なる会計慣行」の法学的、会計学的意味を鳥瞰するにはたいへん貴重な論文といえるかと思います。(注の数がたいへん多く、参考書籍なども網羅されているような感じがします)

商法監査の対象として、これまで公正なる会計慣行があったと思料される「リース会計基準」を、ASBJが見直す場合に、新しく作られた「リース会計基準」はいつから公正なる会計慣行になるのか、そしていつから「唯一の」会計慣行となるのか・・・といった問題の捉え方は議論をする材料としましては非常にわかりやすい事例だと思います。ただし「公正ナル」といった意味をどう捉えるか(会社法のなかの計算規定の目的、つまり会社の財産および損益の状況を明らかにする目的といったものを広く解釈するのか、狭く解釈するのか)、その法的拘束力といった意味をどう捉えるか(唯一の会計慣行となったときに初めて法的拘束力があるとみるのか、二つ以上の会計慣行が存在する場合にも、それ以外は合理的な理由がないかぎり違法とみれば、それも法的拘束力があるとみるのか)など、論文を比較しましても、まだまだ一義的には論じられていないところが散見されます。浅学者が偉そうに言うのもおかしいのですが、まだまだ問題点を整理するにあたっては、用語の共通化が必要な分野ではないか、と感じました。

それと、弥永教授の論文のなかで、ある会計基準が適用されて、その新基準が公正なる会計慣行になるためには、どこかの企業が適用し始めて、将来的に他の企業も適用するであろうことが確実と思われる状況であれば「会計慣行」となりうる(おそらく現在の多数説)としながら、会計慣行性が喪失される要件としては、あくまでも「事実認識である(たとえば、同業種、同規模の企業において、旧会計基準を適用しているところが少なくなったなど)」とされていることにちょっと疑問を抱きました。「会計慣行たりうるか」といった要件について、「慣行になるとき」には大きく法的な「評価」に依存するにもかかわらず、「慣行でなくなるとき」には、評価ではなく「事実」に重きを置く、というのはなぜなんでしょうか。(このあたりは、やはり会計基準委員会による基準作成作業が(証券取引法などで委任されていないかぎりは)法的な規範性は持ち得ない、しかしながらなんとか法的な規範性に近いもの、と解釈したいといった趣旨からなのでしょうか)「評価なら評価」「事実認定なら事実認定」といったように統一的に要件をまとめておかなければ矛盾が生じてしまうように思えるのですが、いかがなものでしょうか。

ところで、ASBJなどが策定する会計基準といったものも、その運用指針を含めて読んでみますと、常に社会事象を詳細に検討した上で決定したものでもなさそうですね。社会事象というのは、おもに企業アンケートなどの結果に依存する傾向が強いのではないでしょうか。ストックオプション等に関する会計基準などを見ても、専門外の私からすると、本当にストックオプションの費用というものは存在するんだろうか、存在するにしても、費用認識など明確に把握することなんてできるんだろうか、会計学という学問への主義思想によって、識者の方でも意見が異なるんではなかろうか、などなど普通に素人的疑問が湧いてきますし、ましてや会計基準が変更される場合などでは、なぜ旧基準が一義的に不合理だと判断できるのか、意見もバラバラなときもあるんじゃなかろうか、などと考えたりしております。本当にまじめに考え出すと、会計士さんの指導はあくまでも「公正なる会計慣行」のひとつであって、別の「公正なる会計慣行」もあるよ、といった場面はけっこうあったりするんじゃなかろうか、と思ったりもします。このあたりは、また続きでツラツラと考えてみたいですね。

2月 24, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月10日 (火)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(その3)

前回のエントリー(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件・2)の論点1(会計基準の法的拘束力)について、もうすこし考えてみたいと思います。足利銀行と中央青山監査法人との間における違法配当損害賠償事件のケースでは、(報道記事からの情報だけですが)「当時の金融検査マニュアル」を基準として配当可能利益を算出しなければならないにもかかわらず、これを無視して配当したことで11億円の損害が(足利銀行)に発生した、ということでした。つまり原告である足利銀行側は、金融検査マニュアルの存在を斟酌して、これに従うことが唯一の公正な会計慣行であったということで、監査担当者の違法配当加担の事実を主張するわけです。(しかしこの事件は、ちょっとうろ覚えで申し訳ありませんが、たしか監査法人が監査方針を急に変更したことが、足利銀行破綻処理の引金になったのではなかったかと思います。所轄庁も含めた、当時の監査方針の変更までの経過が今後の問題点になりそうな気もします)

そこで、一般論として問題を引き直してみたいのですが、たとえば財団法人財務会計基準機構内の企業会計基準委員会が、ピースミール方式で迅速に会計基準や運用指針を提言(改廃)しているなかで、個々の会計基準自体は、個々の企業の会計帳簿作成や、会計監査人の監査業務に対する法的拘束力を有するのでしょうか。国際会計基準へのコンバージェンスや、新会社法の施行に合わせて、昨今では様々な企業会計基準や運用指針の新設、見直しが行われているようです。たとえば国際会計基準に合わせることを目的として棚卸資産の「原価法原則、低価法容認」といった基準が、「低価法原則」へと変わることになる、との記事を読みましたが、損益計算の原則からするならば、およそ低価法は合理的でないと言われていましたが、この基準を変更するために、いろいろな理由付けが公表されています。しかしながら、書物や雑誌で紹介されている、どのような(基準変更を正当化する)理由も理論的な説明にはなっていないように思えます。(といいますか、もともと個別の会計基準と企業会計原則との整合性は存在しない、ということで、理論的な説明は無理ということでしょうか?)要するに社会の趨勢によって会計基準は変わりうる、といったものであれば、それは(慣習法的な基準に合致しないかぎり)法的拘束力を持ちえないはずであって、基準策定者への法の個別委任が存在しなければ、デュープロセスとはいえないのではないでしょうか。

企業会計法に関する適切な参考書が周囲にないもので、これはまったくの個人的な意見なのですが、まず証券取引法関連と商法関連に分けて検討する必要があるように思います。そもそも株式が一般投資家によって売買されるような公開企業については、投資家保護の観点から財務諸表規則などが内閣府令として規定されており、そこでは省令の解釈にあたっては公正な会計基準に従うものとする、といった規定が置かれているので、証券取引法によって概ね委任があるものとみてよいのではないでしょうか。つまり企業会計基準委員会が適時報告している会計基準等については、証券取引法上、その拘束力が認められるといったことになるのでは、と。ただ、そうであったとしても次の問題として、会計基準というものが「ミニマム」を定めたものか、「マキシマム」を定めたものか、といった重要な論点が出てきます。おそらく今後の証券取引法(および投資サービス法 仮称)と会計基準との問題は、こっちのほうが議論の対象となっていくのではないか、と予想しています。企業や監査人は、会計基準やその運用指針に出されている項目さえ開示していれば適法であると言えるのか、それとも各企業の実情に応じて、会計基準を超えて、その企業の継続性に影響を与えるような重要事実を適時開示しなければ、一般投資家に対して適法な開示を行ったとはいえないとみなされるのか、そのあたりはどのように考えたらよいのでしょうかね。

つぎに商法と企業会計基準委員会の報告する会計基準の関係でありますが、平成16年7月15日に企業会計基準委員会が「企業会計基準委員会の中期的な運営方針について」と題する報告書のなかでも説明されているとおり、(公開企業だけではなく、閉鎖企業においても商法の計算規定は適用されるわけですから)あくまでも(商法は基本的に強行法規性を有しているので)商法の枠内での指針にとどまるものでありまして、会計基準そのものが法的拘束力があるとはいえないものと思われます。ただ、長銀事件でも触れておりますが、商法32条2項との関係から、会計基準が公正なる会計慣行と認められる場合においては、たとえ商法や規則による委任がない場合であっても、一種の慣習法として商法上の計算規定を解釈するための「法的拘束力」を認めることも可能となるのではないでしょうか。ただ、たとえ法的拘束力を認めることができるとしましても、株式会社全般の計算関係を規制する商法の立場からみれば、一般投資家の投資情報といった趣旨よりも、会社債権者や現株主への情報提供といった趣旨のほうが重視されるものでしょうから、会計基準が画一的であることの要請は若干後退するはずでして、同じ会計帳簿の作成にあたって、複数の公正なる会計慣行が認められる余地も出てくるはずです。そういったケースにおきましては、会計帳簿を作成する企業や監査する会計監査人にとって、判断に裁量の余地が出てくることも十分考えられるように思います。

さて、これまで「商法」と書いてきましたが、それでは新会社法のもとでは、どうなるのでしょうか。現商法下とは異なる扱いになるのでしょうか。一般に株式会社の帳簿作成義務(商法32条1項)は会社法432項1項に、そして「公正ナル会計慣行」の斟酌規定は、会社法431条に対応するものと言われております。そして「株式会社の計算に関する法務省令案」の第3条(斟酌)規定では、会社法431条では消えていたはずの「斟酌する」という言葉がまた復活しております。現商法の「企業会計基準」に対する考え方が、そのまま会社法においても維持されているとみるべきかどうか、そのあたりはまた次回にでも、(論点2の検討とともに)考えてみたいと思います。なお、私には基本的に会計学に関する知識が貧困なために、(また恥ずかしくなるような)大きな誤解があるかもしれませんので、またご教示いただけますとありがたいです。

ところで世間では、このあたりのことを今までにわかりやすく、議論してきたことはあったのでしょうかね。あまり普通のテキストには掲載されていないので、非常に不思議な気がします。ひょっとすると、会計学者と商法学者との「綱引き」のような歴史があるのかもしれません。しかしながら、新会社法のもとでは、監査役と会計監査人との連携ということが大きなテーマになっておりまして、企業の作成すべき会計帳簿の適正性、そしてそれを監査する会計監査人の監査の適正性とは何か、監査役の立場から十分理解しておく必要があります。会計監査人が会社の機関となるわけですから、これまでとは違い、その会計監査業務への監督責任も格段に明確になってきたわけでして、「専門家である会計士さんの指示にしたがっておけばだいじょうぶ。会計監査には口出ししません」(信認の抗弁)はおそらく監査役には成り立たなくなる、と思われます。せめて株主への説明責任を尽くすことができる程度には、会計監査人との業務の連携に関する法律関係を整理する意義は大きいものと考えています。(また、つづく)

1月 10, 2006 「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年1月 8日 (日)

「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件(2)

いつもチェックさせていただいている粉飾列島(会計はアートか)のkeizoku2005さんのブログで知ったのですが、足利銀行を原告、中央青山監査法人を被告とする違法配当損害賠償請求事件の第2回公判が昨年12月27日に開かれたようです。元記事はおそらくこの朝日新聞栃木ニュースではないか、と思います。
(ちなみに、記事を引用させていただきますと・・・)

足利銀行の01年3月期決算の粉飾に深く関与したとして、一時国有化中の足銀が、中央青山監査法人に11億円の損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が27日、宇都宮地裁(柴田秀裁判長)であ