2012年4月 4日 (水)

「公正なる会計慣行」と古田最高裁判事の補足意見

本日は、頭出し程度のエントリーにすぎませんが、先日大阪弁護士会と日本公認会計士協会近畿会共催によるシンポ「公正なる会計慣行を考える」を開催したことをお伝えしました。弥永教授や松本教授も交えて、非常に活発な意見交換がなされたもので、終了後には数名の方からご意見を頂戴し、私自身も勉強させていただきました。

このシンポの準備会は合計7回に及んだのでありますが、実は長銀事件、日債銀事件の最高裁判決を関係者で検討する際、とても興味深い出来事がありました。それは、

「最高裁判事のなかで、本当に会計のことがわかっているのは補足意見を書いておられる古田さんくらいではないか?」

とのご意見が、数名の会計士、会計学者の方から出たことであります。

私はとても意外でした。私の理解では、もっと単純に

「古田裁判官は検察出身だから、自分の出身母体に恥をかかせないように(検察のプライドを守るために)リップサービスで補足意見を出したのではないか」

というものでした(古田裁判官には、たいへん失礼な物言いでありますが、正直、そのような印象だったのです)。

しかし、感覚的とはいえ、会計の専門家の方が、真剣に最高裁判決を読んだ結論として、上記のような意見が出た、というのは、少し検討する必要があると思い、いろいろと思い悩んでおります。また、さきのエントリーに藤野先生(公認会計士)がおっしゃっているご意見なども拝見しておりますと、「公正なる会計慣行」の中身をどのように考えるのか、そこには法律家と会計専門家との間で大きなミゾがあるのではないか、と考えるようになりました。投資家に対してその判断に必要な範囲で有益な意見を出す(保証行為を行う)会計専門家の考え方と、社会秩序を維持するために、具体的な紛争の解決を図ることを目的とする法律家の考え方の違いが大きくでるのが「公正なる会計慣行」の中身の理解である、ということが、ほんの少しばかり見えてきたように思います。

そこで、古田最高裁判事の長銀事件判決および日債銀事件判決における補足意見を検討しながら、続きのエントリーでこの差を検証していきたいと思います。続き、と申しましても、いまは公認会計士の方々の繁忙期ですので、本ブログを読んでいただけそうな、もう少し先になりますが。。。

基本的には、ザックリと会計監査人設置会社(もしくは有価証券報告書提出会社)とそうでない会社について、理路整然と「公正なる会計慣行」の意味を捉えることを重視するか、そのような分け方を意識せずに、個々の企業の規模、業界、業績、事業モデル等を斟酌して、会計基準の選択と、その適用方法まで含めて「公正なる会計慣行」として捉えるのか、というアプローチの違いから出発しているように思われます。そのあたりを整理してみたいところです。

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2009年12月 8日 (火)

日債銀事件判決にみる「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方

昨年7月18日の旧長銀最高裁判決に続き、本日(12月7日)日債銀事件(虚偽記載有価証券報告書提出罪被告事件)でも原判決を破棄する最高裁判決が出ました。平成10年3月期に係る有価証券報告書の提出につき、これまで「公正なる会計慣行」として行われてきた税法基準の考え方によったことが違法とは言えないとして、同銀行の頭取らに対する虚偽記載有価証券報告書提出罪の成否につき、破棄差し戻しを命じる判決であります。すでに最高裁判所のWEBページにて判決全文が公開されておりますので、とりあえず一読いたしました。(なお、一般に「公正なる会計慣行」なる概念は、旧商法および会社法上の概念であり、なぜ金商法上の「虚偽記載有価証券報告書提出罪」の構成要件該当性を判断する際にも適用されるのか?といった問題がありますが、ここではあまり深入りはしません)

ニュースですでに報じられているとおり、昨年の長銀事件判決は高裁判断を覆したうえで最高裁自身が無罪判決を出しておりましたが、この日債銀事件判決は高裁判決を破棄したうえで東京高裁に差し戻す(さらに審理を尽くさせる)・・・という判決であります。つまり税法基準の考え方によって貸付金評価を行うことが公正なる会計慣行に従ったものであったとしても、その方法等が税法基準の趣旨に沿った適切なものであったのかどうかは、もう少し審理をしてみないとわからない・・・ということで差戻しの判断に至ったものであります。(長銀の場合には、問題となった貸付先が関連ノンバンクであり、原則として当時の母体行主義によって「事業好転の見通しがない」とはいえないのに対し、日債銀の貸出先については一部ノンバンク以外の問題法人があり、そのような貸付先については本当に「事業好転の見通しがない」とすることが妥当なのかどうか、更に審理してみないとわからない、ということであります。検察側は訴因変更を余儀なくされるのでしょうか?)

原審が改正後の決算経理基準のみを公正なる会計慣行であった、と判断したことに対して、それ以前の税法基準に従った処理を行うことも「違法ではない」と最高裁は判断したわけでして、基本的な考え方については長銀事件と今回の判決とでは同一であります。しかしながら、日債銀事件で「破棄差し戻し」(更なる審理を尽くすべき)とした判決理由から、「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方がさらに深く理解できるように思われます。ひとつは会計慣行の「法規範性」に関する論点、そしてもうひとつは会計慣行の「唯一性」に関する論点に関する理解であります。

昨年の長銀事件判決では、最高裁は決算経理基準に従わないことが「違法とはいえない」ということで無罪の結論を導きだしており、旧来の税法基準が当時どのような位置づけだったのかは不明でありました。(自ら無罪の判定を下すわけですから、構成要件該当性なし、もしくは違法性なし、とだけ理由付けをすれば足りるわけであります)しかし、このたびの日債銀事件最高裁判決では、この当時明確に税法基準が公正なる会計慣行であった(もしくは税法基準に従った会計処理が公正なる会計慣行であった)ことが判断の前提とされております。(この前提が認められませんと、差戻しで審理されるべき問題-税法基準に基づいて、その基準の趣旨に沿った会計処理がなされているか-が出てこないことになります。差戻し審においては、税法基準に従って、貸付先の資産査定が適切に行われたことが「公正なる会計慣行」に従ったものかどうかが争われることになります。)つまり、当時新しい決算経理基準に沿った資産査定を行った場合、それ自体も公正なる会計慣行に従ったものと評価されるものと思われますので、同一の時期に公正なる会計慣行は唯一のものではなくて、併存しうるものである(もしくは複数の会計処理方針の選択が許容されるほどの相当な幅をもつ概念である)・・・ということが今回の最高裁判断で明らかにされたものと思われます。

そしてもうひとつ重要な点は、会計慣行の法規範性に関する問題であります。会計慣行が併存しうるとした場合、同一の会計事象に対して複数の会計処理方針の選択が「許容される」ことになるわけでありますが(その意味において、公正なる会計慣行に従う・・・ということはかなり幅のある概念ともいえそうでありますが)、複数の会計処理方針が許容されない、つまり「公正なる会計慣行」について、会計処理方針の選択の幅がないといった場合には、そこに法規範に準じるような要件を必要とする、ということであります。そこでは、これまでのオーソドックスな裁判所の考え方が支配しており、①周知性(その会計処理方針が広く関係者に知れ渡っているか)、②通用性(現実の社会ですでにルールとして適用されているか)、③明確性(守らないと罰則を受けるようなルールの内容が一般人でもわかる程度に内容がはっきりしているか)が具備されてこそ、ある会計処理基準にのみ従うことが「公正なる会計慣行」である(もしくは会計慣行の唯一性を認めることである)と言えるのではないでしょうか。そして、以上のような考え方からしますと、単純に「公正なる会計慣行」は法規範に準じるものである、と捉えることは妥当ではなく、企業会計原則における相対的真実主義を法が認めたものといえそうであります。つまり会社の真実を映し出す鏡はいくつかあり、どれもいちおうは真実であって、虚偽ではない、しかしながら政策的な理由で「この鏡を使いなさい」と言われ、それが周知徹底され強制通用力をもったと認定される場合には、慣習法に準じるような力を持つルールになる・・・そんなイメージで考えるのが妥当であるように思います。

さて、以上はルールベースの会計基準が事実上強制通用力を持つ時代の話でありますが、プリンシプルベース(原則主義)のIFRS(国際財務報告基準)の時代にも同じことが言えるのでしょうか。粉飾決算につき法人や役員に対する金商法上の刑事罰や行政上の課徴金処分が待ち受ける以上、公正なる会計慣行とIFRS問題は、法と会計の狭間に横たわる今後の大きな課題であります。

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2009年11月10日 (火)

日債銀事件最高裁判断と「公正ナル会計慣行」

当ブログでは長銀事件(違法配当、虚偽記載有価証券報告書提出罪)に関連するエントリーは数え切れないほどアップしてきました(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件、なるカテゴリを選択していただければ、過去のエントリーがほとんど閲覧できます)が、いよいよ日債銀粉飾決算事件につきましても、本日(9日)最高裁で口頭弁論が開かれ、判決が言い渡される見込みとなったようであります。(ただし判決期日は未定)いろいろなニュースでも報道されているとおり、最高裁で弁論が開かれる・・・というのは、原審である高裁の判断が覆される可能性が高いことを示しております。いくら裁判長が元検事でいらっしゃる方であっても、また、その方が長銀事件最高裁判決において補足意見を述べておられる方だとしても、事件の筋および長銀最高裁判決の内容からみて、大方の予想どおり、日債銀の元経営陣の方々の逆転無罪はほぼ間違いないところではないでしょうか。

日債銀元経営陣の弁護人の弁論内容からみても、争点はほぼ長銀事件と同様であります。日債銀の元経営陣にとって、資産査定通達及び改正後の決算経理基準に従った会計処理を行うことが、平成10年3月期決算時において唯一の「公正なる会計慣行」だったのか否か、という点でありまして、改正前の決算経理基準である税法基準による会計処理が、公正なる会計慣行に従ったものとはいえない・・・というのが高裁判断であります。ところで長銀事件も、この日債銀事件も、おもに商法関係の学者の先生方や企業実務家の方々による論評をみかけますが、見方を変えまして「刑法学的な視点」から眺めてみますと、けっこうオモシロイのではないでしょうか?たとえば長銀事件の最高裁判決が被告人らを無罪としたのは、①商法および証券取引法上の構成要件該当性がないとしたのか、②(構成要件には該当するが)違法性阻却事由があるから、としたのか、③主観的な違法要素に欠ける(故意が認められない)、としたのか、そのあたりはきちんと整理されているのかどうか、興味のわくところであります。こういった刑法学的な視点から、再度長銀事件の最高裁判決を眺めてみますと、護送船団方式による事前規制型の金融行政から事後規制手法による金融行政へと転換する時期における金融機関の迷いのようなものや、そのような時期において(ノンバンク救済のための)母体行主義が当然とされるなかでの経営陣の経営判断原則を刑事事件でどのように理解するか、そして金融機関自体に大きな責任があることは当然のこととして、その責任を刑事事件のなかで、ひたすら後始末役を仰せつかった経営陣の個人責任だけに集約しても良いのかどうか、といったあたりの問題点が浮かび上がってくることに気付きます。

さて、迷える会計士さんがご紹介されているとおり、私事になりますが、11月18日に日本証券アナリスト協会主催の講演会でお話をさせていただくことになっておりまして、タイトルも「ますます重要性を増す『公正なる会計慣行』の理解~法と会計の共通認識の形成に向けて~」。話の内容は上記のような法マターの問題ではございません。今後のIFRS導入を前提として、会計基準の原則主義化、価値判断化が必至の状況でありますが、このような状況におきまして、何が「公正なる会計慣行」なのか、会社法431条の「公正妥当な企業会計の慣行」と連結財務諸表規則上の「公正妥当な企業会計の基準」とはどのような関係にあるのか、等の問題点を十分に理解しておきませんと、後出しじゃんけん的な第三者の判断によって経営者、監査人らが法的責任を問われる可能性が高まってくるのではないか・・・という問題意識のもと、その解決のための具体的な提言をお話する、というものであります。質疑応答含め、わずか1時間半という短い時間ではございますが、あまりこれまでセミナーなどで語られてこなかった話題ですし、本当に法と会計の狭間の領域に、長年横たわっている渋めの問題なので、おそらく新鮮な論点だと思います。アナリスト協会の会員でない方も、参加可能とのことですし、まだ11日まで聴講を受け付けていらっしゃるそうですので、ご興味のある方はぜひ東証の会議室までお越しくださいませ。

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2009年7月10日 (金)

日債銀粉飾事件・最高裁判断への展望と「公正なる会計慣行」

平成9年3月当時における銀行貸出金について、貸倒引当金の計上基準は大蔵省銀行局通達および法人税基本通達によるべきであるとされ、これに従って貸倒引当金を計上すべきであるにもかかわらず、計上しなかった日債銀について、これまで原審(高裁判決)、第一審では、経営陣に有価証券虚偽記載罪が適用され有罪とされておりました。その事件の最高裁弁論が開かれるそうであります。(朝日ニュースはこちら)つまり昨年7月の長銀事件同様、日債銀事件も最高裁で逆転無罪判決が出される可能性が高まった、ということになります。なお、長銀事件のケースでは、判断が分かれておりました刑事事件、民事事件につきまして、いずれも上告され統一的な判断が下されたことになりましたが、日債銀事件でも刑事と民事では判断が分かれていたものの、こちらは民事事件が高裁判断で確定しております。したがいまして刑事事件だけが純粋に判断される・・・ということになります。

ところで7月8日の日経新聞朝刊に記事が掲載されておりましたが、私もメンバーとして参加させていただいておりました会計制度監視機構が「公正なる会計慣行とは何か?」という報告書をリリースしておりまして、よろしければ提言要旨だけでもお読みいただけましたら幸いです。実はこの報告書の7ページの注22において、日債銀損害賠償請求控訴事件(大阪高裁の判決)の判決内容に触れておりまして、この監視機構の提言内容に最も近い判断をした裁判例として紹介をしております。平たく言えば、公正なる会計慣行と会計基準との関係につきまして、ある企業において、公正なる会計慣行というものは、それに妥当する会計基準が二つ以上併存する場合もありうるのであって、会計処理方針の適用方法まで含めて「公正なる会計慣行」として包摂する概念であることを判決は示しております。つまり「公正なる会計慣行」なる概念はある程度幅のある概念でありまして、ゆえに「唯一の会計慣行」とか「公正なる会計慣行と罪刑法定主義」とか「公正なる会計慣行が二つ以上併存する」といったところが誤解にすぎないのではないか、といった議論へと発展するわけであります。(このあたりは企業会計法に詳しい法律家の先生方のご意見、ご異論が多数出されることを大いに期待したいところであります。)来年にも出されるであろう日債銀事件の最高裁判断は刑事事件に関するものではありますが、昨年の長銀事件以上に踏み込んだ判断をしていただき、この「公正なる会計慣行」の概念を法律の世界がどう受けとめるのか、明確に示されることに大いに期待をしております。

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2009年1月29日 (木)

長銀粉飾事件は最高裁判決で終結したのか?(巨大銀行の消滅)

Kyodaiginkou001 当ブログでずっと関心を抱いてきました長銀粉飾決算事件でありますが、昨年7月の最高裁判決(被告人無罪判決)をもって、事件そのものは終了したような気になっておりました。しかしながら、この本を拝読いたしまして、まだまだ長銀事件は終わっていないことを確信いたしました。

巨大銀行の消滅~長銀「最後の頭取」10年目の証言~(東洋経済新報社 鈴木恒男著 1900円)

著者である鈴木恒男氏は副題のとおり、長銀最後の頭取であり、民事賠償請求訴訟の被告のおひとりでもあった方です。(刑事事件の被告人からは免れた方であります)上記刑事最高裁判決の日、同じ最高裁小法廷において、民事事件についても上告棄却の決定が下りておりましたので、まさに著者にとっても前同日「無罪確定」となったわけであります。本書は、「10年目の証言」とありますが、長銀の元経営陣ら3名が逮捕されて以来の捜査や裁判の経過を記述したところは最後の一章だけでありまして、「なぜ元経営陣らの責任追及で長銀事件を終わらせようとしたのか」という点にもっとも大きな焦点があてられております。以前共同通信社から発売された「崩壊連鎖(長銀・日債銀粉飾決算事件)」も、大蔵省や日銀、政治家らの行動に焦点をあてて、たいへん興味深く読ませていただきましたが、本書はなんといっても、長銀とともに歩んでこられた著者が、バブル以前からバブル崩壊、ノンバンク処理、そして長銀崩壊に至るまでの内情 事実経過を余すところなく克明に記述されており、「これからの長銀事件」を語るには必須の一冊であります。また、コンプライアンスという観点から、どうしても知りたかった長銀幹部とノンバンク幹部(長銀頭取候補者が泣く泣くノンバンクの経営トップへ異動した事情も含めて)の人間関係について、「頭取」という地位にいらっしゃったからこそ、冷静に記述されているところが非常に興味深いところであります。(著者は、このような異動に関する人間関係が、長銀特有の「企業風土」を形成した、とまで明言されておられます)また「ノンバンク」と一口に言いましても、IPOをさかんに勧める証券会社の思惑も含め、本書を読むとそれぞれに特有の事情があったことも理解できます。

昨日のエントリーでは柳田邦男氏の高裁判決見直し要望書をとりあげ、「特定個人への責任追及によって事件を終結させ、失敗の本質を見失っては、本当の企業不祥事再発防止策は見出し得ない」という柳田氏の見解に賛同いたしましたが、本書で鈴木元頭取が指摘されている点もまさに柳田氏と同じであります。最高裁判決を経て、3人の被告人の無罪は確定したわけでありますが、100人を超える長銀関係者が連日警察、検察庁の取り調べを受け、主導権をめぐって警察と検察との対立抗争が発生し、破たん責任の真相解明に期待をしていた内部調査委員会の委員の方からは旧経営陣が民事賠償請求を受けるような事態のなかで、いったい長銀破たんに責任があるとすれば、どこにあったのか、いまだ判明していないのではなかろうか、最高裁判決は、とりあえず個人である旧経営陣には、その責任を問えないことを明らかにしたにすぎず、本当の問題分析はこれからではないのか?といった疑問が湧いてきます。もちろん鈴木氏自身の見解も述べてはいらっしゃいますが、その本当の原因究明の資料を残すべく、本書において「裸の長銀」を昭和50年代にさかのぼって記述し、読者による問題解明への議論に期待をしておられるのではないでしょうか。(また著者の抱いておられる「司法への不信」という点につきましては、あの細野祐二氏の「公認会計士VS特捜検察」を想起させるところであります)

なお、法律家として興味深いのは、著者が長銀粉飾民事事件における控訴審判決(東京高裁平成18年11月29日)の一部を引用している箇所であります。もし、私の勘違いでなければ、民事控訴審判決はこれまで判例を紹介した雑誌等もなく、おそらく内容をご存じの方も少ないのではないかと推測いたします。(第一審判決は判例時報1900号に掲載されているので、もう何度も長文を読み返しておりますが・・・)引用された箇所のみご紹介いたしますと、

「一審原告(旧長銀)の経営破たんの原因を分析してみれば、経営責任者であった被控訴人ら(旧長銀の経営陣)のいわゆる護送船団と言われた国家的な保護の下での安閑とした経営姿勢、あるいは定見のないままバブル崩壊を推進した無責任な経営姿勢等を指摘することはできようが、それはひとり被控訴人らだけに向けられるべきものではないし、従前の金融政策、金融行政の在り方にも深く関係する性質の問題でもあるのであり、個人責任を問う本件の損害賠償請求の成立要件としての違法評価とは性質、領域を異にするものであるというべきである。このような点も見てみれば、歴史的にも特記に値する金融危機の打開策として、問題を抱えながら発出された新基準に適合しない会計処理があったことをもって直ちにこれを商法違反であるとしたうえで、被控訴人らを損害賠償という形で個人的に断罪するのは、法の解釈・適用の在り方の基本部分に疑問が残り、肯認できないものである」

この高裁判決は、いわば長銀の破たん問題について、従来の金融政策、金融行政の在り方に深く関係する問題であって、適法・違法なる評価をもって判断することには疑問が残る・・・といった、とても「大人の判断」を示したものではないでしょうか。一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行とは何か?といった問題について、司法の謙抑性を示したものであり、私個人としては、少しうれしくなったような次第であります。(ひょっとすると、もう「第二の長銀粉飾事件」への道を、日本は歩み始めているのかもしれません。)

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2008年8月 5日 (火)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その8・有罪判決の時代背景)

今日は特別に「公正なる会計慣行」の内容について検討するものではありませんが、このたびの長銀粉飾決算事件の最高裁判決に関連して、有罪判決を出した原審当時の時代背景について少しだけ記述しておきます。裁判は、その判決当時の時代背景(ひょっとすると世論の流れ)に影響されることもあるかもしれません。なぜなら、裁判には紛争解決機能もあれば、政策形成機能もあるわけでして、後者を重視する刑事裁判官であれば、当時の「国民の声」に敏感に反応することも考えられるからであります。

1 長銀の検査忌避・検査妨害事件の影響について

今回の長銀最高裁無罪事件が出たことで、マスコミの論調は「法的には無罪が証明されたわけだが、当時の金融機関としての道義的責任まで晴れたわけではない」というものが多いようです。しかし、本当に今から10年前の長銀経営陣には、道義的責任は別として、法的責任はまったく残っていないと言い切っていいものでしょうか?

ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、長銀は平成10年7月から同年9月までの金融監督庁(現金融庁)による立入検査において、系列ノンバンクへの融資に関する資料を改ざんして金融監督庁に提出し、また「融資の資料は存在しない」などと虚偽の報告をして検査忌避・妨害を行ったとして、(長銀および旧経営陣は)平成11年9月に金融監督庁から長期信用銀行法違反として刑事告訴されております。そして東京地検は、旧経営陣が粉飾決算を隠ぺいするために、組織的な検査忌避・妨害を行ったものと認定したわけですが、平成12年3月、法人および担当者について起訴猶予処分としております。当時の新聞報道によりますと、起訴猶予処分とした理由は、すでに長銀自身が平成10年に破たんしてしまったために、すでに罰則を科する意味がなくなってしまったことと、旧経営陣らも、粉飾決算による証券取引法違反事件で起訴されたことから、とされております。

粉飾決算による証券取引法違反事件が無罪と確定した現時点において、もはや上記検査忌避・妨害事件の処分が復活する、ということはもちろんありませんが、東京地裁判決が下された平成14年当時において、この平成12年の起訴猶予処分の事実がなんらかの影響を及ぼしていたのではないか、という点は少しばかり検討しておくべきものではないでしょうか。「公正なる会計慣行とは何か?」といった論点に影響を及ぼしていたとまでは言えませんが、すくなくとも証券取引法違反の故意を立証するための有力な資料として用いられた可能性は高いものと推測されます。

2 長銀副頭取の死

平成11年5月6日、(東京地検特捜部による事情聴取の直後)平成10年3月期決算の作成を直接担当した長銀の副頭取の方が、妻に宛てた遺書を残して亡くなっておられます。長銀事件さえなければ、次期頭取と目されていた長銀のエース級の方のようでした。当時とくに醜聞も聞かなかったこの副頭取の方の死は、実質的には「経営陣による粉飾決算共謀の事実」が闇に葬られる可能性を高めたものといえるのでありまして、こういった事実は原審の判断にどような影響を及ぼしたのでしょうか。平成11年当時の「国民の声」そして内部調査委員会における厳格な責任追及の意見が飛び交うなかでの出来事であり、当時の裁判所としての判断において、この副頭取の死が、すくなからず旧経営陣の有罪の心証形成に与えた影響は否定できないのではないかと推測いたします。

もちろん、いずれの上記推測も、単なる私見にすぎず、明確な根拠はございません。ただ、この最高裁判決までに10年を要した長銀事件の判決を「冷静に分析」する場合にあたり、時の流れとともに、原審判断時における当時の時代背景についても、きちんとわきまえたうえで検討することが、この事件に関係するすべての利害関係者(当事者)への私なりの礼儀ではないかと思った次第であります。

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2008年7月19日 (土)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その7・無罪逆転判決)

皆様ご承知のとおり、7月18日長銀事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)の上告審判決が最高裁で出ましたね。過日、最高裁で口頭弁論が開かれましたので、予想どおり被告3名について無罪判決、つまり原審破棄自判の結果となっています。(なお、RCCが上告人である民事事件の上告についても棄却されたそうですので、約60名の長銀株主らによる損害賠償請求控訴事件以外は、ほぼ終結したようですね。なお株主集団訴訟のほうは、当時の監査人であった新日本有限責任監査法人も被告になっていますね)

とりあえず、さきほど最高裁のHPにて、判決全文を読んでみました。書きたいことは山ほどありますが、とてもブログという媒体では書ききれないので、読んだ感想(第一印象)だけに簡単に触れておきたいと思います。もしご関心をお持ちの方は、当最高裁判決と刑事原審判決(東京高裁平成17年6月21日 判例時報1912号135頁以下)および、当最高裁判決と民事第一審判決(東京地裁平成17年5月19日 判例時報1900号3頁以下)を対比しながら検討されることをお勧めいたします。

まず第一印象としましては、原審の東京高裁判決と比較して、この最高裁判決は、あくまでもこの長銀の粉飾事件という限られた事案の処理にかぎっての判断を示している ということであります。各被告の弁護人らの上告理由を「いずれも上告の理由にあたらない」と排斥したうえで、刑事訴訟法411条を用いて職権調査のうえで「このまま確定させてしまっては著しく正義に反する」として有罪→無罪の判断に至っております。新しい会計指針(資産査定通達+会計士協会の実務指針)が当時の世において「公正なる会計慣行」であったかどうか、といった一般的な議論をするのではなく、当時の長銀という特定の会社において、いったい公正なる会計慣行は何だったのか?という議論をしています。(ここが大きく原審と異なるポイントですね)

そもそも平成9年から10年当時、新しい会計指針が一般的抽象的に(どこの銀行にも通用するような)「公正なる会計慣行」になっていたかどうか?というところから議論を始めますと、原審のように「公正なる会計慣行が併存することなどありえない」とか、「唯一の会計慣行といえるための要件」とか「会計慣行と罪刑法定主義の関係」について議論することになりますが、最高裁はそういった議論はほとんど回避しています。

「そのようなことをいちいち議論しなくてもいいではないか。この長銀という銀行の会計処理方針をじっくりと眺めてみて、その当時に長銀という企業に妥当していた「公正な会計慣行」を探ればいいではないか。もし個別の会計処理が、長銀に妥当していた公正な会計慣行に反していればルール違反を問えばいいではないか」

といった姿勢ではないでしょうか。だからこそ、最高裁判決が職権調査によって掲示している事実を読みますと、新しい会計指針の制定経過を丹念に分析し、定量的な判断基準に乏しい当該会計指針を長銀という個別の銀行がどう受け止めていったか、という流れが克明に記されていることがわかります。

最高裁は徹底して「公正なる会計慣行は『法律』ではない」という視点ですね。原審のように個別の企業の事情とは区別して平成10年当時の新しい会計指針の「会計慣行」性について論じるのであれば、それは「法と同視する」姿勢であり、また通達によって会計慣行が変わることと罪刑法定主義との関係を論じるのも、まさに「法と同視する」姿勢のあらわれですよね。そういった姿勢を一切示していないところに最高裁の「こだわり」を感じました。まさに個々の会社にとっての「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」の内容を最終的に決定するのは裁判所の役割であり(江頭「株式会社法」第二版566ページ)、とくに会計慣行はその企業にとって「唯一」ではなくても、ほかに会計慣行があっても問題ない、といった考え方に立脚しているようです。こういった発想は、企業会計基準委員会の開発する会計基準については、ほとんどの上場企業が財務会計基準機構に加入しているわけですから、これを法的強制力があると一般的に考えることともなんら矛盾することはないのでしょうね。(会社法との関係ではそこまでは言えませんので、とりあえず会計慣行と推定される、ということになるのでしょうね)

こういった考え方からしますと、長銀事件では無罪判決が出たからといって、日債銀事件のほうでも同様の判決が出るかどうかはわかりませんよね。要は当時の税法基準と、新しい資産査定通達基準とを、日債銀はどう受け止めていたのか、という事案の内容によって、当時の日債銀に通用していた「公正なる会計慣行」がなんだったのかが、検討されることになるのでしょうね。(まぁ、実際には結論が変わる、ということはないと思われますが)とりあえず、第一印象はこのへんで。また(その8)で続きを書きたいと思っています。(ひさしぶりに読者の方々を無視してマニアックなエントリーに走ってしまいました。。。)

話がちょっと横道にそれますが、この最高裁判決で補足意見を述べておられる元検事の方ですが(補足意見を述べた真意がどこにあったのかは置いといて)、好きな作家が塩野七生さんと柳田邦男さんということで、私とまったく一緒なんです。世評がどうかは別として、私はこの方の裁判はとても気になっております。それと、長銀事件の被告人のおひとりについては刑事事件も民事事件も、現在最高裁判事になっておられる元弁護士の方が(弁護人および代理人として)ついておられたんですね(もちろん最高裁判事に任官されるまで)。やっぱり最高裁判事になられても、事件の帰趨は気にはなるでしょうね。こういった場合、もし憲法違反が議論されて大法廷が組まれる場合、元弁護人である裁判官は審理を忌避して14名の裁判官で構成されるのでしょうかね?

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2008年2月20日 (水)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その6)

すでにろじゃあさんのところでも話題になっておりますが、長銀粉飾事件の刑事事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)につきまして、来る4月21日に口頭弁論が開かれるそうであります。(読売ニュースはこちら)ご承知の方も多いとは思いますが、最高裁で上告(受理)事件に口頭弁論が開かれるということは、高裁での判断が覆る可能性が濃厚ということでありまして、そうなりますと元長銀トップの方々の有罪判決が無罪となる可能性が高まったと考えてよさそうであります。この長銀事件は、刑事と民事で結論が食い違っておりまして、しかも立証の程度(無罪推定原則)の関係からみまして、民事違法→刑事無罪ならまだわかりますが、民事適法→刑事有罪という、「まれにみる食い違い」が生じておりまして、最高裁の判断が注目されていたところでありました。なお、エントリー(その1)から(その5)までは、公正妥当な企業会計慣行と長銀事件のカテゴリーでまとめてお読みになれます。民事事件についてもRCC側から上告がなされており、また日債銀事件の結論にも影響を及ぼす可能性のある最高裁判断ですので、刑事上告事件とはいえ、争点についてはかなり明確な判断が出るのではないかと期待をしております。

証券取引法193条【現 金融商品取引法193条】による包括委任(つまり内閣府令)のない会計基準については、どのような場合に「公正なる会計慣行」といえるのか、またすでに会計慣行といえる会計基準が存在する場合において、どのような要件が具備されれば、新しい会計基準が「唯一の会計慣行」にあたる(つまり法規範性を有する)のか、といったところが最大の争点だと思われます。ただし、なんといいましても、すでに10年以上前の不良債権処理が開始される頃の時代背景がございますので、金融商品会計基準が施行されていない時代の事件であること、投資家や会社債権者に対して「高度の注意義務が課されている」金融機関の事件であること、また当事者が新旧の会計基準が存在しうることを認識しつつも、最終的には会計士(監査法人)の意見を参考にして旧基準(いわゆる税法基準によって補充された改正前決算経理基準)にしたがって貸付金の消却・引当を行ったこと、当時は銀行の自己責任ということが言われだした時期ではありますが、いまだ「護送船団方式」の名残があったことなどが、裁判所の判断にどのように影響するのか、そのあたりも十分配慮しておく必要があろうかと思われます。

会計基準の「法規範性」の問題は、古くから「法と会計の狭間の問題」として、著名な商法学者の方々や会計学者の方々の間で広く議論されてきたところでありますが、本件のように「異なる会計基準」の適用に関する問題だけではなく、最近は会計コンバージェンスの趨勢のなかで「同一の会計基準」の解釈に関する問題も指摘されるところではないでしょうか。BS重視(連結グループにおける企業群全体の価値算定重視)の時代の会計基準となりますと、金融商品、リース会計、減損処理、繰延税金ほか、適用されるべき会計基準には争いはないけれども、その解釈には大きな幅がある、といった場合にも、そこに違法配当事件や有価証券報告書の虚偽記載事件などに問われるリスクが横たわっているケースが多いと思われます。最近でも、三洋電機社の過年度決算修正につきまして、社外独立委員会は、金融商品会計基準(子会社株式の評価)において、いわゆる「三洋減損ルール」が会計基準の適用として誤りがなかったかどうかを精査しておられますし、今後も、経営者の将来収益に関する見積もりを伴うような会計基準の適用にあたっては、同様の場面も十分想定されるところであります。少し場面は異なりますが、今回の不正会計事件に対する最高裁判決の判断内容が、最近の事例にもアレンジできるようなものであれば、非常に有意義なものになるかもしれません。

最後にろじゃあさんのエントリーからの引用ですが

司法に携わる方々は裁判官であろうと検察官であろうと、弁護士の方々も、本来、普通の移ろいやすい世間の時間軸とは別の時間軸を併せ持って、いろいろな社会の動きによる問題をある意味で「矯正」する作用があるように思います。
これを正当に評価する眼を本来であれば国民は持つべきだと思います。

そのように言ってもらえるとうれしいです。といいますか、そこでしか我々は社会に有用な仕事ができないと思います。「別の時間軸」を持つことで、ときどき石を投げられることもありますし、時間軸を素直に修正することもありますが、「いつかわかってくれるときがくるだろう」と期待しつつ、きょうも仕事をしております。。。

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2006年11月30日 (木)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その5)

ちょうど1年前から、このブログでも「公正ナル会計慣行と長銀事件」というカテゴリーで「私のつぶやき」を綴ってまいりましたが、(これまでのエントリーは こちらのカテゴリーでご覧になれます。)この11月29日に、東京高等裁判所におきまして、旧日本長期信用銀行(現新生銀行)旧経営陣に対するRCC(長銀の損害賠償請求権を承継)の損害賠償請求を棄却する高裁判決が出された、とのことであります。(朝日ニュース)この高裁判断により、この長銀事件につきましては、高裁段階におきましても、刑事と民事で違法配当に該当するかどうか、判断が分かれたことになり、非常に珍しい裁判結果となっております。

原審(民事)裁判の判決書は110ページ(判例時報の頁数)に及ぶ長文でありまして、読むだけでもたいへんではありますが、要は違法配当とされる配当手続の時点において、いったい何が公正なる会計慣行だったのか、その認定された会計慣行が「唯一の」会計慣行だったのか、という点に対する裁判所の見解の相違に帰着するところであります。商法監査の会計監査人に公認会計士監査が採用されたことにより、会計基準が実質的には「法律」として扱われるような体裁になっているわけでありますが、それでは会計基準が変更された場合には、いつからその会計基準が一般に公正妥当と認められる会計慣行となるのか、また会計慣行と認められた場合には、それが唯一の会計慣行となり、従前のものに従った会計処理は違法となってしまうのか、これは非常に大きな問題を含む論点であります。ASBJ(企業会計基準委員会)が策定した会計基準そのものが「法」とは言えないわけですから、斟酌されるべき「会計慣行」になるためには、なんらかの「法化現象」が必要になってくるわけであります。私も基礎法学については詳しくないものですから、ここは少し自信のないところでありますが、いわゆる「事実たる慣習」は法源になる、ということから、会計基準が策定され、それが会計に携わる人達一般に周知徹底され、それに従う会計書類が作成されるような社会が認められたときに、はじめて「会計慣行」になる、というのが一般の理解ではないでしょうか。このあたりは、解釈のうえでも、だいぶ「擬制」が働いておりまして、たとえ周知徹底されている事実が認められなくても、周知徹底されることはほぼ確実な状態において公表されたとき、と解する学説もあるようです。この長銀事件の民事裁判におきましても、こういった「会計基準」の法化現象自体は認めるものの、問題はそれが「唯一」の会計慣行であるとは言えないとされているようです。つまりは、それまでの会計基準にしたがって会社の計算を行ったとしても、それ自体は違法とは言えないとされております。

私はこの民事事件に関する裁判所がお出しになられた判決のほうが筋が通っているように思います。もし企業会計基準委員会が出した「会計基準」が唯一の公正なる会計慣行になる、ということですと、ある基準の施行日(もしくは事実たる慣習として認められた日)を境にして、一瞬のうちに適用されるべき会計基準が変わるわけですから、これはまったく「法律」と同じ社会規範になってしまいます。しかしながら、「法」が社会規範として効力を有するためには、とりわけ強制力を伴うような法であるならば、法律を制定する正当性(国会による審議、もしくは法律による委任など)その中身が明確で特定性を有するものであり、しかもその施行日までに国民に広く周知徹底される必要があります。そういった厳格な手続が、果たして会計監査における会計基準の施行の場面においてとられているかといいますと、おそらく自信をもってイエス、とは答えられないのではないでしょうか。そのあたりが、この長銀事件の民事裁判所の一番思い悩むところではないか、と思った次第です。

もちろん法が会計慣行を斟酌する、とある以上は、会計原則の適用には柔軟な対応が必要であることを認めているからこそでありまして、なにも会計基準を策定する機関が、法の制定と同様の手続を経ることまで要求しているわけではありません。しかしながら、法と会計基準をまったく同レベルに置くことはできない、といった根本的な法思想に起因して、上記のような判断理由に至ったのではないでしょうか。法と会計の狭間にある非常に深い問題・・・、この問題への司法機関としての意見表明のムズカシサが、この刑事と民事の各裁判所における判断分立を物語っているように思います。

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2006年2月24日 (金)

「公正ナル会計慣行」と長銀事件(その4)

1月10日のエントリー(公正妥当な企業会計慣行と長銀事件その3)におきまして、こういった「公正ナル会計慣行」の解釈指針といったものを詳細に検討した書物とかありませんかね・・・と漏らしておりましたが、ちょうど1月21日発売の「判例時報1911号」25ページ以下で、弥永真生教授が「会計基準の設定と公正ナル会計慣行」といった論文を発表されました。また、1月25日発売の「商事法務1755号」37ページ以下では田路弁護士、圓道弁護士共著によります「リース会計基準変更に関する法的検討」といった論稿も著されまして、近時の長銀事件、日債銀事件の刑事・民事判例などとの比較においてタイムリーな法的整理が試みられております。個人的にはものすごく興味のあるテーマなんで、たいへん興味深く、どちらも拝読させていただきました。(いつもブログを拝見しておりますぴてさんのエントリーで知りました)

私などが論評できるようなものではないことを重々承知のうえで、単なる感想として申し上げるならば、まず田路弁護士らの論文につきましては、ASBJ(財務会計基準機構・企業会計基準委員会)による(基準の)見直し方針が固まった「リース会計基準」の変更に焦点を当てて、その法的な妥当性と拘束力を検討するといった内容のものでありまして、「公正なる会計慣行」の法的問題点を非常にわかりやすい具体例を中心に論じていらっしゃいますので、内容がまことにわかりやすいものになっております。一方の判例時報における弥永教授の論文は、その判例分析の手法といい、法的論点の検証といい非常に精緻でして、「公正なる会計慣行」の法学的、会計学的意味を鳥瞰するにはたいへん貴重な論文といえるかと思います。(注の数がたいへん多く、参考書籍なども網羅されているような感じがします)

商法監査の対象として、これまで公正なる会計慣行があったと思料される「リース会計基準」を、ASBJが見直す場合に、新しく作られた「リース会計基準」はいつから公正なる会計慣行になるのか、そしていつから「唯一の」会計慣行となるのか・・・といった問題の捉え方は議論をする材料としましては非常にわかりやすい事例だと思います。ただし「公正ナル」といった意味をどう捉えるか(会社法のなかの計算規定の目的、つまり会社の財産および損益の状況を明らかにする目的といったものを広く解釈するのか、狭く解釈するのか)、その法的拘束力といった意味をどう捉えるか(唯一の会計慣行となったときに初めて法的拘束力があるとみるのか、二つ以上の会計慣行が存在する場合にも、それ以外は合理的な理由がないかぎり違法とみれば、それも法的拘束力があるとみるのか)など、論文を比較しましても、まだまだ一義的には論じられていないところが散見されます。浅学者が偉そうに言うのもおかしいのですが、まだまだ問題点を整理するにあたっては、用語の共通化が必要な分野ではないか、と感じました。

それと、弥永教授の論文のなかで、ある会計基準が適用されて、その新基準が公正なる会計慣行になるためには、どこかの企業が適用し始めて、将来的に他の企業も適用するであろうことが確実と思われる状況であれば「会計慣行」となりうる(おそらく現在の多数説)としながら、会計慣行性が喪失される要件としては、あくまでも「事実認識である(たとえば、同業種、同規模の企業において、旧会計基準を適用しているところが少なくなったなど)」とされていることにちょっと疑問を抱きました。「会計慣行たりうるか」といった要件について、「慣行になるとき」には大きく法的な「評価」に依存するにもかかわらず、「慣行でなくなるとき」には、評価ではなく「事実」に重きを置く、というのはなぜなんでしょうか。(このあたりは、やはり会計基準委員会による基準作成作業が(証券取引法などで委任されていないかぎりは)法的な規範性は持ち得ない、しかしながらなんとか法的な規範性に近いもの、と解釈したいといった趣旨からなのでしょうか)「評価なら評価」「事実認定なら事実認定」といったように統一的に要件をまとめておかなければ矛盾が生じてしまうように思えるのですが、いかがなものでしょうか。

ところで、ASBJなどが策定する会計基準といったものも、その運用指針を含めて読んでみますと、常に社会事象を詳細に検討した上で決定したものでもなさそうですね。社会事象というのは、おもに企業アンケートなどの結果に依存する傾向が強いのではないでしょうか。ストックオプション等に関する会計基準などを見ても、専門外の私からすると、本当にストックオプションの費用というものは存在するんだろうか、存在するにしても、費用認識など明確に把握することなんてできるんだろうか、会計学という学問への主義思想によって、識者の方でも意見が異なるんではなかろうか、などなど普通に素人的疑問が湧いてきますし、ましてや会計基準が変更される場合などでは、なぜ旧基準が一義的に不合理だと判断できるのか、意見もバラバラなときもあるんじゃなかろうか、などと考えたりしております。本当にまじめに考え出すと、会計士さんの指導はあくまでも「公正なる会計慣行」のひとつであって、別の「公正なる会計慣行」もあるよ、といった場面はけっこうあったりするんじゃなかろうか、と思ったりもします。このあたりは、また続きでツラツラと考えてみたいですね。

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