「セレッソの悲劇」から一夜明けまして、日曜日の朝からコタツでみかんを食べながら、つらつらと新聞を読んでおりましたが、日経と読売の「耐震強度偽造問題」に関する一面記事から、またふと疑問が湧いてまいりました。
新聞記事よりも簡略化されておりますが、記事の概要は以下のとおりであります。(いずれの記事も、詳細は12月4日の朝刊一面に掲載されております)
耐震審査、石綿検査、いずれも不動産取引時に開示へ(日経ニュース)
国が民間検査機関を格付け 問題機関は全棟検査へ(読売ニュース)
日経のニュースにつきましては、国が行政責任を果たす、ということは、おおよそこのような管理手法を採用することで落ち着くのであろう、と予想される範囲内のものであります。企業不祥事が発生した場合や、今回の耐震強度問題の検査機関の検査ミスが明確になった場合、つぎなる不祥事防止策としましては、①刑罰、罰則による社会的威嚇②対象企業による自浄作用の督促、審査(自主改善策)そして③管理の強化、といったあたりだと思いますが、(語弊をおそれずに申し上げるならば)もっとも容易な防止策となるのは、「管理の強化」ということだからであります。たとえば、民間検査機関による「検査」をさらに「検査」する機関を設置する、といった手法です。より上位の検査機関というものを国が責任をもつ、ということであれば(公共団体もしくは民間としての)別組織を設置することになるでしょうし、国民の自己責任に委ねるといった方向に向かうのであれば、「検査内容の開示による買主の検査」といった手法がとられることになるのは、ほぼ予想がつくところであります。
しかしながら、読売一面のニュースが真実であるならば、これはちょっと「異質」であり、この耐震偽装問題への国土交通省の対応は、かなり本腰を入れたものである、と私は勝手に評価をしております。といいますのも、いままでの私の認識では、検査機関による不祥事を防止するための「問題先送り」もしくは「行政責任追及の回避手段」として、管理強化という制度は用いられるものであって、検査機関の検査が適正であることを審査する別機関を設置するところまでで足りる(世論からの非難を回避することができる)、といった解決方法で一区切りをつけるのではないか、と考えていたからであります。この考えの根底には、監査というものは、そこに携わる人のスキルや職業倫理への尊敬の念が先にあるわけで、これは疑ってはいけないものであり、信頼の擬制のうえに成り立っている「儀式」である、との認識があるからです。ところが、民間検査機関の検査自体にランクを付ける、ということは、これは単なる儀式ではなく、「ケンカを売る」に等しいほどの厳しい仕事を、国土交通省自らしょいこむ覚悟でないとできないように思います。単に、世論の責任を回避する、といったヤワな対応ではなく、本当の意味で「検査の質で勝負する」意思を明確に表明するに等しいものではないでしょうか。私はこの記事を読みまして、ちょっと感動いたしました。
ひるがえって、金融庁(公認会計士・監査審査会)や、公認会計士協会による監査法人への監査対応はいかがなものでしょうか。会計士協会による品質管理基準の強化や、監査審査会によるレビューの強化というものは発表されておりますが、公開するしないにかかわらず、検査の結果、監査法人にランク付けを行う、といったことは発表されたことはないと思われます。(まちがっておりましたら、ご指摘いただければ幸いです)あれだけカネボウ粉飾事件に関連する中央青山監査法人の行政処分の行方といったものが問題となったにもかかわらず、今後の不祥事防止対策というものは、これまで以上の「監査法人への監査」を行うといった一連の対策以外には打ち出されていないのではないでしょうか。つまり、いまだに監査法人に対する(会計士協会もしくは金融庁の)監査行為自体の品質は、疑いの余地ないほどに信頼性の高いものであり、異論をさしはさむ余地のないものという「擬制」が成り立っている神聖不可侵な領域ということになろうかと思います。しかし、先にあげました国土交通省の「心意気」をみた後での感想としましては、どうも本気で企業会計の信頼性を回復するための意識があるのかどうか、心もとないと感じるのは私だけでしょうか。本気で、市場活性化、投資家保護のために会計監査人の不祥事の再発防止を進める気持ちがあるのであれば、ここらでひとつ公認会計士協会、もしくは金融庁による「監査法人の品質ランクを5段階で評価する」といった手法を監査内容として取り入れるべきではないでしょうか。こういった評価を行うだけの力量があることを内外に示すことで、監査法人を監査する者の責任が自覚されますし、たんなる「儀式」でないことも社会的に納得されることになるはずです。また、そもそも監査手法としては、リスクアプローチが採用されるはずですから、問題が大きそうな監査法人に対して重点的に監査を行うことが合理的でしょうから、こういったランク付けは監査の手法としても非常に合理的だと思われます。
ちょっと会計士さんから、叱られそうなエントリーになってしまい、ご立腹の方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、部外者である素人の素朴な疑問として受け取っていただけますとありがたいところであります。ただ、こういった疑問は、2週間ほど前に読みました「企業会計」12月号の「論壇」にて、慶応大学の黒川行治教授が発表されておりました論評の内容に基礎を置くものであります。(「会計・監査社会の変容のインプリケーション」企業会計12月号「論壇」4ページ以下)企業会計審議会の委員でいらっしゃる黒川教授自ら、監査の強化は、監査の儀式化をむしろ強化してしまう、といったことを明確に述べておられ、この論評、会計問題に素人の私には非常に参考になり、何度も読み返しているところであります。黒川教授は「ランク付け」などといった過激な提言をされているわけではございませんが、「監査を監査する」ことの行き着くところ、その信頼性の担保をどこに置くか、といった問題は、おそらく企業会計の専門家の方々にとりましても、これから避けては通れない問題ではないか、といった認識を、この論評を拝読させていただき、強くした次第であります。
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