国会の証人喚問と裁判員制度
(ビジネス法務関連のエントリーではございません)
姉歯元建築士が国会(国交省委員会)で証人喚問を受けるのを、テレビ中継で観ておりましたが、かなり驚きました。あの質問されたセンセイ方の質問内容を聞いて、おそらく姉歯氏初め、耐震強度偽装に関係した方々は、いまごろ拍手喝采していることは間違いないと思います。できあがった議事録を読めば明らかだと思いますが、客観的な事実を明確に述べた内容はほとんどなく、姉歯氏の反省の答弁と、推測による意見、特定されなかった事実の陳述のみです。質問をされる方は、ご自分がテレビに「どう映るか」ばかりに気を配り、「真実を明らかにする」気持ちがまったくなかったようです。質問者としての、準備不足ばかりが目立ちました。
「あなたの悪事は、誰から指示されたのか?」
悪事とは、誰がすでに「悪事」と評価したのか、悪事とはいったいどのような事実を捉えているのか、どの悪事を姉歯氏は悪事と認め、また認めていないのか、これでは質問になっていません。
「あなたは、○○氏が、その違法性を認識していたと思っていたか?」
「違法性」などという評価は、だれがするのか、認識していたかどうかは、どうやって知るのか、「思っていた」とは単なる推測を話せばいいのか、・・・もはや答弁不能。
「あなたの今の発言はたいへん重大なことだが、・・・・」(って、ぜんぜん重大でもないのに、どうして?江戸時代のお白州じゃないのに・・・トホホ)
こういった やりとり を20分ほど我慢して聞いておりましたが、あまりに情けなくなってしまい、消してしまいました。私も、コンプライアンス委員や、不正検査調査担当として、業務上横領やセクハラの疑いのある社員の方へいろいろと(密室ですが)事情聴取をしてきましたが、こんな聞き方で、議事録を残したとしたら、私が即刻クビになると思います。
いわゆる誤導、求意見、自らの意見を交えた質問などは、裁判における証人尋問での「ご法度」ですし、単にルール違反ではなく、ほかの関連している人たちへの有効な記録を作る機会さえ奪ってしまうわけで、(姉歯氏しかみておりませんので、姉歯氏への喚問に限定しますが)最悪の証人喚問だったと思います。まあ裁判とは違うわけですから、国会での証人喚問というのは、こういったセレモニーとして、意味があるのでしょうか?世間の注目は、姉歯氏に反省の弁を述べてもらうことよりも、責任問題がどこまで拡大して、誰が民事上の責任を負担するに値するか、という点でしょうから、むしろ質問者は姉歯氏を糾弾することよりも、おだやかに、冷静に、姉歯氏が知っている客観的な事実だけを述べさせるようにもっと工夫しなければならなかったように思います。ほかの答弁者に逃げられないような言質をとっておこう、という気概をお持ちの方はいらっしゃらなかったのでしょうか。
あのようなパフォーマンスがまかり通るのであれば、裁判員制度においても、使ってみたいと思う弁護人はいるはずです。誤導、意見を求める、意見を戦わす、誘導する、といった尋問ルールに違反する質問手法は、我々法律家にとっては駆け出しのころから「禁句」として覚えますし、私はそういった手法を用いる相手方代理人に対しましては、すぐに「異議」を出します。しかし裁判員制度のもとで、事実認定を行うのは素人裁判員ですし、検察官や職業裁判官が「ちょっと、弁護人、質問を変えてください」との指示を受けたとしましても、それまでのやりとりについては、裁判員の頭に染み付いてしまうわけです。事実認定の訓練をしてきた職業裁判官なら、弁護人と証人との「意見の食い違い」でおわってしまうものでも、そういった訓練をしていない裁判員にとってみれば「弁護人との議論に負けた証人」といった先入観が心証として残ってしまわないでしょうか。
きょうの証人喚問をみておりまして、どうもこれからの裁判員制度の弱点のようなものが垣間見えてきたようで、逆に、こういったルール違反の尋問手法といったものも、熱心な刑事弁護を目指す弁護士の方にとりましては、(やり方はグレーでありましても)裁判員を味方につける方法として一考に値するのではなかろうか、という感想を持ちました。
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