粉飾決算と罪刑法定主義??
明日は集中審理期日(裁判の促進を図るために、採用された証人の尋問を朝から夕方まで一気にやってしまう裁判期日)のために早く寝ます。。。ということで、軽めのエントリーで失礼いたします。(後日に続くということで・・・)
ここのところ、ライブドアショックとの関係で、証券取引法158条の解釈問題をとりあげてきましたが、この158条と同様、これから市場の経済事犯として問題になってきそうなのが有価証券報告書不実(虚偽)記載罪といった犯罪行為です。粉飾決算によって違法配当がなされたケースであれば商法違反、特別背任ということになってきますが、違法配当とは関係ないケースでも、「企業の見栄え」をよく見せる目的(信用維持目的)で不実の記載をすれば、やはり証券取引法違反という事態になりうるわけです。
私の視点としましては、これまで「罪刑法定主義」といった刑法の基本原則を持ち出して、これを経済取引の場に適用するアプローチを用いてきましたが、すこし視点を変えますと、これまた深く検討するに値するような論点が垣間見えてきます。実は、私も「罪刑法定主義など、大声で叫んでもむなしいかも・・・」と薄々気になりだしていたのですが、女性会計士のバランス☆ライフのmihoさんのエントリーを読ませていただき、やはり懸念されていた視点といったものを共感いたしました。法定速度50キロの道路を70キロで走行することは明らかな法律違反であるけれども誰もつかまらない、しかしながら車両の流れに乗らずに、ひとり90キロで走行する車両は摘発される、といった社会構造です。こういったケースでは、いくら声高に「法定速度を40キロにしろ」と叫んで、同じ道路が40キロ制限に規則が変わったとしましても、やはり60キロ、70キロでは検挙されないでしょう。
はたして、粉飾決算の刑事問題が起こりうる株式上場市場において、本当のところ、どういった社会構造なんでしょうかね?明文規定のルールを守って、企業情報を正確に開示している、と大多数の企業が胸を張って言い切れる構造になっているのでしょうか。
すでに以前、このブログでカミングアウトしておりますが、私は5,6年ほど前までは、いわゆる「風俗関連弁護士」をしておりました。”風俗の好きな弁護士”ではありません、風俗産業(および風俗関連産業)の顧問先を有する弁護士といった意味合いであります。これまた普通の弁護士では経験のできないような事件に遭遇するわけでして、いわゆる警察行政との闘いというものであります。最終的には国家公安委員会の告知聴聞手続へ輔佐人、代理人として出頭して、大阪府警側とやりあうわけでありますが、どうにもこうにも、この警察行政部門における弁護士の役割といったものが大きく前進しないわけであります。それはなぜかと申しますと、風俗産業の営業行為自体、かならずどっかに「違法」行為を抱えながら継続している場合が多いところでして、非常階段の踊り場の面積が足りなかったり(消防法上)、従業員名簿を警察所定の表記方法で具備していなかったり、サロンのブースの高さが20センチ高すぎたりするだけで営業停止処分(大打撃です)になってしまうことになります。しかしながら、どこも同じように「どっかで」違反しているわけですから、結局のところ、どんな店舗を摘発するかといいますと「新規開店で、フライデーで紹介された新手のサービス店舗」とか、「住宅街に近いところにオープンした店舗」とか、「なにげに若いコが多くて、周辺店舗と比較して大繁盛している」といったようないわゆる「目立つ存在」がターゲットになるわけです。そういったところは、もともと探せばどっかに違反がみつかるわけですから、その違反をもとに締め付けることになります。もちろん摘発された後、「どこもやってるやんけ」は通用しません。そこには罪刑法定主義(このケースでは行政処分なんで、正確にはデュープロセスということになりますが)は、もともと機能していない社会構造なので、どんなに弁護士が頑張っても、入り口の部分で争うことは困難であります。
さて、ひるがえって、このたびのライブドアの刑事問題でスポットがあたった市場における刑事事件ですが、「虚偽の風説」や「偽計取引」そして「報告書不実記載」といった問題につきましても、市場の原理原則として、こういったことが一切許されないといった社会構造が出来上がっているのでしょうか。それとも先ほどのスピード違反の事例のように、どこもある程度の「不実記載」はやっているけれども、目立たなければ大丈夫、といった構造なのか、そのあたりは企業コンプライアンスのあり方に大きく影響をしてくるものと思われます。もし、後者のような構造であるならば、どこの企業を摘発するか、といった問題は、国家権力の恣意に依存する可能性が高まります。いわば、目立っているからとか、見せしめのため、とか、そういった規制法規の制度趣旨とは無関係なところで標的企業の選択が行われ、罪刑法定主義も機能しないままであります。こういったケースでは、やはり企業の心構えとして、法律違反といった形式主義だけではなく、なにが公正で、なにが規範的な行動であるか、を自ら考えないといけないことになりそうです。(ライブドア関連の捜査と公判結果次第では、今後の経済犯罪において、「ユルユル」の捜査規範が日常化してしまうと、こういった社会構造にあると錯覚してしまう原因にもなりますので、やはり一連の行為の特定作業は不可欠ではないでしょうか。)これまでの私のエントリーは、どちらかといいますと、市場参加企業はそもそも合理的な理性人の組織であるという視点から進めてきましたが、誰だって(どこの企業だって)自分の顔が美しくなるんだったら・・・という気持をもって企業情報をすこしばかり細工して公表するのが実態であるとしたら、それはそれでまた異なった社会構造を前提とした議論も必要になってきそうな気がします。(以下、不定期に続く・・・)
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