2006年3月22日 (水)

会社法の「内部統制」と悪魔の監査(2)

いよいよ「悪魔の監査」シリーズの内容に入っていくわけでありますが、今日は問題点だけを提起しておきたいと思います。先ごろ(2006年3月9日)日本監査役協会より、「内部統制システムに対する監査役の当面の実務対応(会社法施行後、最初の取締役会での決議に関する監査役の対応)」といった監査役実務指針が出されております。いつもながら、この監査法規委員会の出される指針は私のような社外監査役にとりましても、非常に参考になり、バイブル的存在なのでありますが、どうも今回、その内容においてよくわからない部分がございます。

この18ページに及ぶ指針の4ページ以下の部分が非常に重要なところでありますが、大会社の取締役会が会社法施行規則100条および会社法362条4項6号に規定された体制整備に関する決定事項を5月の取締役会(まで)に決議したとき、監査役はその相当性を判断しなければならないとされております。そして監査役が決議事項を相当であるかどうかを判断するための三つの視点が示されておりますが、たとえば二つ目には決議された内容が、その企業の業務の適正化をはかるために適切と言えるかどうかといった視点から判断せよ、とのことであります。

おそらくいろいろなセミナーや、講習会などにおいて、法曹が内部統制関連部分を解説するケースにおきまいしても、やはり同様の解説になろうか、とは思います。しかしながら、これって、監査役の能力をはるかに超えたことを要求しているのではないでしょうか。理屈で考えてみますと、これは監査役がまず「どういった体制整備をすることが、業務の適正化をはかるために妥当か」といった視点なのですから、取締役の誰よりも「この会社において、もっとも価値の高い業務の適正化策を監査役が知っていること」が前提となるはずであります。これを監査役が知らなければ、果たして取締役会の決議した事項が妥当なのかどうかは判断することは不可能であるはずです。また、運用の適否についても判断せよとのことですが、これも「最も業務の適正化をはかるために効率的な運用方針」というものを監査役が熟知していて、その監査役の知識からみて「相当かどうか」を判断できることが前提となるはずです。だいいち、「業務の適正」というのは、一体何を指すのか、これは考えてみますと、企業によって、というよりも個人によって見解はいろいろと分かれるところでしょうし、業務の適正をはかること、といった目的はダイレクトに体制整備の具体的な措置の当否とは結びつきにくいのではないでしょうか。

こういった疑問を監査役をされていらっしゃる方々が、お持ちなのかどうかは、私にはわからないのですが、少なくとも「財務諸表にあがっている数字の正確性を確保することのために、どういった体制が整備されるべきか」といった企業会計審議会主導の内部統制システム構築論とは、かなり様子が異なるものであるようでして、さらに日常の監査役の業務であります「妥当性監査、違法性監査」に属する性質の監査とも異なるものがあるようです。そこで「監査役からみた取締役会決議事項(体制整備に関する)へのアプローチ」というものにつきましては、もし株主総会で質問があったならば、私だったらこのように回答したい、と考えているシナリオがございます。こういったシナリオについて、また次回に考えてみたいと思っております。

3月 22, 2006 会社法の「内部統制」と悪魔の監査 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年3月20日 (月)

会社法の「内部統制」と悪魔の監査(1)

会社法の勉強法としまして、これまでセレブな学習法、ロハスな学習法などを(自分勝手に)紹介させていただきましたが、会社法の法律学としての解釈のむずかしさ(多様性)を認識するためには「オトナの学習法」も必要なのではないか・・・などと最近思ったりしております。すでに会社法の5月1日施行に向けて、街の書店にはたくさんの「新会社法」基本書が並んでおりますが、どれを手にとってみましても、それなりに特色があってすばらしい出来栄えだとは思うのですが、会社法の「人間臭さ」が行間ににじみ出てくるものは少ないのではないでしょうか。人間はそれぞれプライドを持っているでしょうし、また出版社の思惑もあるわけでしょうから、なんとなく会社法の理解に関する自信のなさ がにじみ出てくるような基本書というものは、おそらく書けないわけでしょうね。私が数年前に、プロとして真剣に企業法務に携わらねばならないようになって、会社法に関する基本書を探していたとき、「神田会社法」のはしがきの冒頭に著されておられた「これは、私が現時点までに会社法に関して理解しているところをまとめたものである」というフレーズに魅かれ、内容もほとんど検討しないままにこの神田教授の会社法基本書を衝動買いしたことがありました。もちろん、日本を代表する商法学者の先生だからこそ、「私がいまのところ理解している範囲で書き綴りました」などと堂々と宣言できるものなんでしょうが、そういった「会社法を理解するうえでの悩み、ナマの経済社会を律する法律を扱うことの難しさ」のようなものが人間の弱さとして表現されているような会社法基本書がありますと、私的には膨大な条文数を誇る法律の理解のためにたいそう資するものになろうか、と考えております。プロボクサーの世界チャンピョンでさえ、試合の前には恐怖心のために「この武道館から逃げ出してしまおうか」と真剣に考えるといいます。会社法の基本書を著するにあたっても、おそらく著者ご自身は「私は完璧な理解者である」とは思ってはいらっしゃらないと推測いたしますし、「おっかなびっくり」で書かないといけない部分もあったりなんかするんじゃないか、とも考えたりします。先週のエントリーではありませんが、そんなときにも、やはりプロである以上は「カラダを張って」俺の意見は正しいんだ、と自信をもって書いていらっしゃるほうが読者にはありがたいのですが、「でもすこし怖い」といった叫びも聞こえてきますと、なにやらホッとするところもあったりいたします。昨今、出版されている新会社法の基本書を読んでおりますと、1条から979条まで、さも経済法としての思想信条に一貫性があり、その解釈には争いの余地がないほどに理路整然と条文解説がなされておりまして、制度趣旨についても矛盾というものが存在しないのではないか、と信じてしまいそうな雰囲気が漂っております。高尚な書籍であるがゆえ、それはそれで当然のこととは存じます。また顧問先企業に新会社法セミナーをやらなければいけない、といった著名な法曹実務家の方々や、これから司法試験に合格するぞ!っといった明確なインセンティブが備わっていらっしゃる受験生の方であれば、まぁ最後まで内容を十二分に理解しようという意気込みが継続するんじゃないか、とも思うのですが、ただ私のような場末の弁護士からいたしますと、どうも途中からしんどくなってくる。新鮮味がなくなるといいますか、トキメキ感が薄れるといいますか、そのあたりが偽らざる心境なのであります。

そんなことから、オトナの会社法学習法というものがあったら、どなたか教えていただきたいのですが、今のところ江頭憲治郎先生の論稿(昨年6月ころ)で別冊商事法務でもまとめて掲載されている「会社法現代化要綱案の解説」は、そんなオトナのココロをくすぐる宝石が適度に散りばめられており、やはりおもしろいですね。会社法、施行規則が出揃ったところでこそ、再度これを熟読する意味があるような気がいたします。なにがオトナのココロをくすぐるかと申しますと、(もちろん既に熟読されていらっしゃる先生方はご承知のとおりですが)会社法の「産みの苦しみ」を比較的正直に表現されていらっしゃるからです。このあたりは法制審議会からの議事録や国会審議録などを丁寧にフォローすることでも理解できるのでしょうが、私のような「一般の仕事持ちの弁護士」には、そのあたりまでフォローするだけの時間的余裕はございません。で、この解説論文、とりわけ要綱試案で出てきて要綱案では消えていった条文だとか、要検討事項がそのまま検討中で終わってしまったとか、試案には出てこなかったけれども、突然要綱案で出ちゃった・・・などなど、法律化へ向けての人間模様が背景から読みとることができます。なかには「とりあえずこれで法律化してみて、様子をみましょう。また都合が悪かったら5年後あたりを目途に改正するなどして・・・」のような条文もあったりして、ここは強気で攻めて、ここは譲歩するといったような各界の意見集約の産物ではないか、と思われる部分もあったりしまして、「会社法は幕の内弁当ではなく、日替わり弁当ではないか」といった議論から、「法とは何か」という高邁な議論などとも関連付けてしまいたいほど、おもしろい世界へ導いてくれたりしますし、なによりも会社法の条文の解釈というものは、そんなに理路整然とひとつの答えは用意されていない、といった実態を認識させてくれるところに大きな意味があるんじゃないでしょうか。

なんだか、タイトルである「会社法の内部統制と悪魔の監査」という本題に入るまえに、ずいぶんと長い前フリになってしまいました。(笑)この本題部分はまた明日にでも入ることにいたしまして、きょうはちょっと早く寝ないといけませんので、失礼いたします。(月曜日は、昼からずっと東京の「表参道」というところにある某大学にいてます。)

3月 20, 2006 会社法の「内部統制」と悪魔の監査 | | コメント (3) | トラックバック (0)