ドラマ「鉄の骨」(第1回)-談合はなくならない?
ふだんあまりテレビで連続ドラマをみることはないのですが、7月3日からスタートしたNHKドラマ「鉄の骨」は楽しめました。以前視ていた「ドラマ・監査法人」によく雰囲気が似ていると思っていたら、同じNHK名古屋局制作だったのですね。
5代目のぼんぼん社長が経営トップに就いている中堅ゼネコンを舞台にしたドラマであります。同社建築課に勤務していた若い社員(主人公)が、経営環境の悪化によって、営業(土木課)に配置転換となるわけですが、そこで公共工事入札における談合を目の当たりにします。「このビルはお父さんが建てたんだよ」と子供に誇れるような仕事(いわゆる建築課の仕事)は、実は土木課(営業)におけるドロドロとした暗闇の仕事のうえで成り立っていたことを知り、悩みながらも同社の一社員として、仕事を獲得すべく尽力する姿が描かれております(全5回だそうです)。「国土建設省」OBの天下り社員(顧問など)をベテランの役者さん方が演じておられるので、政・官・民の癒着・・・というあたりも中心テーマとなっているようです。リアルに「内部告発」がマスコミに届けられて入札が延期されたりもします。おそらく第2話以降は、なんとか安値で入札に成功したところ、今度は下請けに安値で業務を委託せざるをえない状況となって、手抜き工事が行われ、この対応に苦慮する姿なども映し出されるのではないかと予想しております。ドラマは2005年ころの話ですから、独禁法改正によるリーニエンシー(自主申告に伴う課徴金減免制度)にまつわる話などは登場しないものと思われます。
6月30日に公正取引委員会のHPで公表されております「独禁法コンプライアンスへの企業の取組み」などを読んでおりましても、たとえば談合を未然に防止する対策、談合を早期に発見する対策、談合が発覚した場面における企業の対応策、といったあたりは、とても有益な検討がなされており、独禁法関連以外のコンプライアンスにも参考になります。しかし、これらは「談合は当然に犯罪である」ということを前提としての「コンプライアンス上の」取組みでありまして、なぜ談合が悪いのか?自由競争によって安値で落札したゼネコンの先には(当然のこととして)下請けいじめと手抜き工事があり、これによって談合を禁じる以上の国民の犠牲が生じるのではないか?といったあたりの根本的な疑問は十分に議論されているのでしょうか。このあたりが十分に議論されなければ、経営者から社員に対する「談合決別宣言」や「コンプライアンス研修」の本気度は伝わらないような気がいたします。(その結果として、社員→経営者という情報の自由度が確保されず、いつまでたっても談合情報の滞留はなくならない)
2006年の「月刊監査役」に私が書評を書かせていただいた「談合はなくなる-生まれ変わる建設産業」(DANGOをなくす会 編)という本がありますが、この本は談合が及ぼす社会的影響、経済的影響を分析して、とりわけ官製談合の悪質性について論証されており、また「手抜き工事」を助長するおそれのある自由競争入札の弊害を、いかにして防止するか、といったあたりの具体的な提案が豊富に紹介されており「談合は決して『必要悪』ではない」とする立場から、地に足のついた議論をするための参考となります。このNHKのドラマなども、単に談合参加者を「ワルモノ」と決めつけるのではなく、企業が犯罪に手を染めざるをえない状況を克明に表現するものでしょうし、企業だけで解決できない課題などにも触れられるものと思います。ただ、いくつかの内部通報を処理したり、中堅ゼネコンの破産管財人を経験した立場からしますと、「談合」そのものの悪質性よりも、「談合体質」から派生する弊害こそ企業にとってオソロシイ結果を招くことにドラマのなかで触れていただければ・・・と思う次第であります。
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