無形資産と言われる「組織風土」と「心理的安全性」について考える
企業の持続的な成長を見極めるにあたり、機関投資家の人たちは、なぜ「組織風土」とか「カルチャー」を無形資産として評価対象にしたいのでしょうか。いろいろと考えたのですが、要は経営者の戦略構想とか誠実性が組織全体に伝わるかどうか・・・というところのモノサシになる、ということだと(現時点では)理解しています。しかしどうやって評価するのでしょうかね?
そういえばCOSO「全社的リスクマネジメント:戦略およびパフォーマンスとの統合」(2017年9月公表)の日本監訳版のなかで、監訳者の方が「日本の『組織風土』と本フレームワークの『カルチャー』とは微妙に意味合いが異なるので、別の日本語には訳さずにそのまま『カルチャー』と記した」との解説がありました。
そもそも心理学者の名著「木を見る西洋人 森を見る東洋人」や「ボスだけを見る欧米人 みんなの顔までみる日本人」でも語られていますが、経営者の思いがどのように組織に伝わるか・・・ということに関心を持つのであれば、その伝わり方は(経営者と従業員との関係において)日本と欧米では異なっていても不思議ではないですね。経営者が変われば「カルチャー」も変わるかもしれませんが、日本の「組織風土」は(経営者が変わっても空気が変わらなければ)変わらないのかもしれません。
そのように考えると、なるほど「組織風土」と「カルチャー」は微妙にニュアンスが違うというのも納得します。日本の経営者は従業員に腹落ちするような言葉で自らの戦略構想を伝えるか、もしくは「忖度」や「現場の空気」を用いて伝えるか、自らの思いを組織に浸透させるためには工夫が必要ではないかと。
同じ文脈で考えると、最近話題の「心理的安全性」なる言葉にも注意が必要だと思います。「心理的安全性」を語るときによく引用されるエイミー・エドモンドソン「恐れのない組織-心理的安全性が学習・イノベーション・成長をもたらす」の中で、心理的安全性とは「安心して喧嘩ができる環境」とあります。でも日本人は「心理的安全性」と聞くと、上司と安心して論争ができる環境と捉えることができるでしょうか。
日本ではどちらかというと「イノベーションのための組織作り」よりも「ハラスメントのない職場環境」という意味で使われていないでしょうかね。どうも日本の組織風土に合わせて都合の良いように言葉が独り歩きするような気がします。