関テレの内部統制(構造欠陥と責任論)
昨日は「関西テレビの内部統制体制」にたくさんのアクセス、そしてコメントを頂戴いたしまして、ありがとうございました。「王子・北越」関連エントリー以来の一日5000アクセス超となりましたが、おそらく「あるある」」で検索された方や、雑誌系ブログで紹介していただいた関係ではないか、と思っております。私なりに皆様方のコメントを拝読させていただき、非常に勉強になりましたし、また多くのことを考えさせられました。皆様方のご意見をもとに、もうすこし関テレ(関西テレビのことです。なお、エントリーのなかでは、関西テレビのことを放送局といい、関テレから委託されて実際に番組を制作する企業のことを「番組制作会社」といいます)の内部統制について検討してみたいと思います。
straycatsさんのご質問(そもそも捏造行為は法的にどういう意味、罪があるのでしょうか?)ですが、たいへん鋭いご質問だと思います。ここでまず誤解のないよう整理しておきたい点がございます。この特別調査委員会報告では、(昨日のエントリーでも少しだけ触れましたが)捏造番組を放送してしまった関西テレビという放送局の構造的欠陥を究明し、その再犯防止策を提言するところに主眼が置かれているようです。(したがいまして、個人的な責任につきましては、個人名も特定せずに、150ページのうち、わずか1ページだけコメントされているのみです)しかも、「関西テレビは番組を捏造したか?」という問いに対して、さまざまな観点から検討して、事実を曲げて放送したことを「捏造」というのであれば、関西テレビは捏造したわけではない、と結論付けております。おそらく、このあたりはstraycatsさんが疑問とされているとおり、放送局が事実を捏造した、ということであれば放送法上の行政処分や、民事的な賠償問題にも大きな影響を与えることとなるので、「特別調査委員会による判断の限界」として、法的責任と直接関連する判断を差し控えたのではないか、と推測いたします。
監査役サポーターさん曰く、「最近、特別調査委員会が流行しているようで・・・」
内部統制、開示統制のあり方が、会社役員の責任に影響を与える風潮が強くなりますと、今後も企業の危機管理のひとつとして「外部独立第三者」による委員会調査の結果を待つ、といった企業の対応は激増すると予想しております。たとえば企業不祥事が内部告発によって公の知るところとなった場合、いつまでも社内調査を公表せずにおりますと、証拠隠滅の疑惑とか、危機管理能力の欠乏とか、その対応自体がマスコミの格好の攻撃対象となり、さらなる企業の信用毀損につながります。とりあえず、特別第三者委員会に調査報告を委ねるという形にしておきますと、公正性も担保されますし、また正式な報告書が出されるまで、マスコミには「現在、委員会で調査しておりますので・・・」と堂々と発言回避の機会を得ることが可能となります。また、監査役サポーターさんが、「どうして弁護士が委員長などになっていることが多いのだろうか」と疑問を呈しておられますが、これも民間人のなかで、証拠の採否から事実認定までのトレーニングを積んでいるのは、なんといっても法曹ではないか、と思いますし、こういった調査はどうしても「客観的な証拠に基づく事実認定」がなによりも優先されますので、ある程度はやむをえないのではないでしょうかね。なお、ここでたいへん興味深いのは「事実認定」といいましても、先の日興CGにおける委員会による事実認定とは少し方向性が異なるところであります。この関テレの特別委員会の手法はいわゆる裁判官的な手法が採用されております。つまり、この調査目的は、主に「捏造があったかなかったか」を判断することにありまして、責任追及を主たる目的とはしておりません。したがいまして、「事実かどうか」を客観的な証拠によって認定していこうとする「最終的判断のための事実認定」であります。いっぽう、先の日興CGにおける特別委員会の目的は「誰に責任があったのか」といったところに主眼が置かれておりますので、まず責任を問える事実とはどういった事実なのか、というところで委員会としての「仮説」を立てて、その仮説を裏付ける証拠を並べていき、最終的に責任判断を行うという、いわゆる「検察官的事実認定」の手法であります。したがいまして、日興CGの報告書をお読みいただくとおわかりかと思いますが、法的責任確定のためには、委員会の証拠評価や事実認定については、責任があるとされた当事者による十分な反論の機会が与えられるようになっております。このあたりは、やはり責任を追及するための事実認定なのか、企業の構造的欠陥を究明するための事実認定なのか、そのあたりの主たる目的の違いによるものだと(私は)認識しておりますし、このあたりの使い分けは、やはり法曹実務家が委員を務めていることに起因するのではないか、と考えております。
なお、関テレの内部統制を問題とする場合におきましても、この責任論と構造欠陥論とは区別して考えることができると思います。会社法上の内部統制として議論する場合には、取締役の責任問題と密接な関係があります。いわゆる内部統制の自由保障機能(セーフハーバー機能)であります。取締役が、ここまできちんと内部統制システムを構築(整備および運用)しているのであれば、たとえ不祥事が発生したとしても責任を問われない、といった問題であります。いっぽう金融商品取引法上の内部統制(いわゆるJ-SOX、内部統制報告制度)につきましては、まさに構造欠陥論と密接に結びつく議論であります。たとえ取締役において金商法上の内部統制システムの整備に不備をもたらしたとしましても、そのことをもって直ちに法的責任を問われるものではなく、別のサンクション(無限定適正意見がもらえない、市場での信用が低下する、証券取引所によるペナルティがあるなど、ただし最後の点につきましては、今年1月の企業会計審議会議事録をみるかぎりでは、ペナルティはなさそうでありますが)が待ち受けているだけであります。もちろん、会社法、金商法それぞれの内部統制の議論はかなりの部分で重複しますし、本報告書におきましても、どれだけ内部統制システム構築に向けて尽力していたかを検証するために、昨年5月に決定された関テレの内部統制システムの基本方針を引用しているわけでありますが、本委員会は「責任論」を最終目標として掲げておらず、構造欠陥の究明に目標を置いているために、思い切った委員会としての提言が出せるようになっております。つまり、責任論を目標とするならば、関テレ内部の予算や人事、組織の問題によって、内部統制の限界がみえてきてしまい、そこで議論がストップしてしまいます。しかしながら、責任論から解放されれば、無理な予算組みとか、無理な人員削減とか、東京進出をあせったなど、本当の意味での捏造に至る原因究明までたどり着くことが可能になってくると思われます。内部統制の議論が「人」や「組織」と関わるものである以上、どちらのアプローチも不可欠とは思いますが、その使い分けは十分意識しておく必要があるのではないか、と私は考えております。
また、ご質問のなかで、スポンサーや広告代理店こそ、捏造事件の一端を担っているのではないか・・・とありましたが、これもかなり「責任追及に求められる内部統制」に引きづられている考え方ではないかと思います。もし責任追及を主眼とする委員会報告であれば、また別の事実認定が必要となってきます。このたびの関テレ特別委員会報告をみましても、今回はスポンサーや広告代理店主導での番組制作であったことについては触れられているものの、「スポンサーの言いなりになっていたこと」が問題と指摘されているわけではなく、「東京支社で、ゴールデンタイムの仕事をとりたいがために、無理をしていた関テレの行動自体に問題があった」として、その関テレの東京進出自体のムズカシサにスポットが当てられておりまして、これはまさに「関テレという企業のもつ構造的欠陥」を中心とした事実認定がなされたことに起因するものと思われます。(まだまだ、一般視聴者とテレビ局との法的な関係、許容される演出と許されない誇張表現との差を誰が監視していくべきか等、重要な論点がございますが、かなり長くなりましたので、また別の機会に検討してみたいと思っております。また、他のエントリーにおきまして、かなり有益なご意見を頂戴しておりますが、コメントをお返しできずに申し訳ございません。)
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