「弁護士」淘汰時代(ZAITEN)
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業界事情ネタにつきましては、「法律事務所のハコ」シリーズ以来ではないかと思います。ろじゃあさんも、おそらく脊髄反射的に(?)この題名に興味をそそられてお買いになったんじゃないかと想像いたしますが、私もZAITEN(財界展望)6月号の特集記事「弁護士淘汰時代~巨大法律事務所勝ち組弁護士の現実~セレブ弁護士の知られざる『仕事とカネ』・・・・」が気になりまして、思わず読んでしまいました。
巨大法律事務所への業界の評判とか、パートナー就任へのアソシエイトの方々のすさましい競争とか、そういった記事はふだんよく見聞きするところでありますし、あまり関心もないのでありますが、やはり「弁護士淘汰時代到来」を予感させる大きな問題・・・そうです、弁護士人口急増問題につきましては、インタビュー記事の久保利先生のご指摘は正しいと思いますし、ホント厳しい現実はもうそこまで来ていることを実感しております。
ところでこのZAITENの特集記事でも、年間合格者3000人(2010年ころより)を基礎として、将来の弁護士急増による「淘汰の荒波」を予想されているわけでありますが、これはちょっと違うんじゃないでしょうか。こういった記事を読むたびに、「なんで3000人を基礎として将来予想するんだろうか?」と、違和感を覚えます。そもそも司法試験合格者3000人というのは、なんの根拠もない妥協の結果に過ぎないのではないでしょうか。ロースクール関係者の方(私も少しだけ関係者になるかもしれませんが)には怒られそうでありますが、この3000人という数字は近い将来にでも、見直される可能性があるんじゃないでしょうかね。(一時、規制改革委員会から9000名程度の合格者にしろ、といった要求がありましたが、現在はあまりそういった意見は聞かれませんけど。)私としましては合理的な根拠がない以上、3000人という数字が将来にわたって続くものとは到底思えないわけであります。たとえば、現在いろんなところで「弁護士の職域拡大のための専門化」ということが話題になるわけでありますが、何年も業務改革委員会等に携わり、また自身もどちらかというと専門性が高い(と一般には言われている)職域で食べさせていただいている者としましては、(誤解されることををおそれずに申し上げますと)企業社会が求める専門性を弁護士になってから習得することはほぼ不可能に近いと思います。これは大企業さんが求めるものであっても、中小企業さんが求めるものでも同じであります。(私自身も、一生懸命勉強しているわりには、専門領域に到達することに困難を感じております)なぜかと申しますと、「弁護士のスキル」として必須であるところの事実認定能力、日本社会の伝統のうえでの紛争解決能力、(監督官庁がないために自身で身に付けなければならない)弁護士倫理、そして(専門性の前提たる)語学力といったところを学んでいては、到底法律以外の専門性を身に付ける時間など存在しないはずであります。もちろんごく一部の例外的な方もいらっしゃるかもしれませんが、社会的なインフラという意味で考えますと、ごくごく一般的な合格者を念頭に置いて考える必要があると思われます。(前も申し上げましたように、司法試験に合格した程度の法律資格では、なんら実務では役に立ちません)おそらく3000人の合格者が輩出されることになりましても、この現実は「発想を変えないかぎり」変わらないと思います。
ただ発想を切り替えれば、企業社会が要求する専門性を具備した弁護士は誕生することになります。そうです、最初から専門性を具備した方々が、比較的簡単に弁護士資格を持てる社会にすれば良いわけです。つまり、一年間に12000人から15000人程度の弁護士資格を持てるような司法試験制度に変えてしまえばいいわけです。そうすれば、訴訟代理権というたいへん貴重な資格を有する専門家が日本にたくさん輩出されることとなり、グローバルな時代の国際金融を担う弁護士、知的財産権制度を担う弁護士がたくさん登場することになります。まさに日本に法化社会が到来することになります。もちろん弁護士の競争も熾烈をきわめますから、企業は弁護士の使い放題であることはまちがいないと思います。
しかしながら大きなリスクも発生します。おそらくそれだけの弁護士数になりますと、弁護士自治を単位弁護士会が守ることは不可能ですから、監督官庁のない弁護士は「野放し状態」です。弁護士には人様が正当な権限によって所有している財産を、これまた正当に収奪しうる権能(訴訟代理権)を持つわけですから、牙は至るところに向けられることになります。個人事務所であれば、着手金と報酬で合計100万円程度をもらえるのであれば、大企業を相手に2年間ほど訴訟をとことんまで継続することは可能であります。決議取消とか、無効確認訴訟のように、訴訟にほとんどお金がかからず、そのかわり企業にとっては信用にかかわる問題であるために、訴訟のたびに適時開示をしなければならないような事件を選択することも可能でしょう。そういった事件で、それこそ巨大法律事務所に訴訟代理を依頼して2年間ほど徹底的に裁判をすれば、そして、そういった訴訟が頻発することになれば、おそらく数億円規模のリーガルリスクになると思われます。(どの弁護士が能力が高いか・・・・といった情報を収集することは今後も困難でしょうから、とりあえず大企業としては、これまでどおり、著名な法律事務所に高額報酬で依頼せざるをえないと思われます)
弁護士という職業は、お金の流れるところに介入しなければ食べていけないものですから、弁護士人口が急増しましても、一般の方の生活圏での訴訟多発は発生しないものと思います。単位弁護士会による弁護士倫理の統制能力はおそらく崩壊すると思いますので、公益活動も弁護士として「社会的弱者の味方」として活躍される意思のある方に集約されてしまい、更なる問題に発展することが予想されます。(いまでも、相当深刻な問題でありますが)また、当然のことながら、反社会的勢力と弁護士とのつながりも発生することは避けられないはずです。ただ、あらっぽい考え方ではありますが、こういったことで国民が被害に遭わないかぎり、日本に本当の法化社会は到来しないように思います。弁護士という職業人が、企業社会、国民一般にとって、本当に何を求められるのか、また能力のある弁護士はどうやったら見極められるのか、そういったことを真剣に国民が考えることができるのは、痛い目に遭ってから・・・というのが現実ではないでしょうか。リスク管理委員会の委員などをやっておりますと、どうもそういった発想になってしまって恐縮なのですが、司法試験年間合格者1万人時代→法律補助資格制度を創設すると同時に年間司法試験合格者500人時代・・・といったより戻しこそ、この国の法曹制度のあり方にとっては避けられない現実なのだろうか・・・と、このZAITENを読みながら、瞑想にふけっておりました。(ちなみに私は合格者増員には賛成とか、反対とか、そういった見解を述べたものではございません。ただ単に、この記事に関する印象を述べたものであります。)
(注)もちろん、弁護士数増加の要請は「弁護士の大都市一極集中、偏在化を防止すること」にも政策的な意味があり、専門化のみで論じられるわけではございません。合格者数を年間1万人超ということにすれば、地方都市の公務員の方々等も弁護士資格を保有される方が増えて、偏在化防止にも有益かもしれません。ただし、また新たなリスクが発生する可能性についても検討しておく必要はあろうかと思われます。
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