2008年5月16日 (金)

「経営判断原則」に関するわかりやすいお話

毎週木曜日はお昼から2コマ(合計3時間)、同志社のロースクールにて森田章教授と一緒に3年生の会社法ゼミを担当させていただいております。ゼミの時間はけっこうツッコミを入れさせてもらっておりますが、本日は森田先生がご専門の「株主代表訴訟と経営判断原則」をテーマとした事例研究ということで、私はほとんど聴講生状態でした。(^^;いやいや、アメリカの裁判事情や、取締役とCEO、株主との関係など、日本の株主代表訴訟と比較して非常におもしろいお話が聞けました。(以下、記述をわかりやすくするために、若干デフォルメしております。法律に詳しい方、あまり鋭いツッコミをいれないでくださいね)

紀伊国屋文左衛門の話

江戸でみかんが不足していて、嵐のなかを無事に船で江戸までみかんを運べたら大もうけや。そやけど、みんなは「こんな嵐やったら船がひっくりかえるがな。やめとけ。やめとけ」っていうんや。そやけどやで、無事運べたら、誰も文句はいわへん。船がひっくりかえってしもたら、「ほらみろ、あれだけやめとけいうたのに、無理して出かけたお前が悪いんや。」っていわれるやろ。これが「合理的判断」や。10人中8人くらいが船ででかけるのは無謀と思ったなら、これは合理的判断やから責任ありや。そやけどやで、そんなんでやめとったら商売ならへんがな。10人中8人が「行け!」っていうからいっとったら、そんなもん、もう商売は終わりやで。儲かるわけないんや。10人中ひとりかふたりが「行ける」と思って成功するから商売なんや。これがビジネスジャッジメントルールっちゅうもんやで。わかるか?アメリカでは「合理的判断」とはいわんのや。合目的的判断や。(rational)アメリカではこの合目的的判断が保護されるんやけど、日本の裁判では「合理的判断」でないと取締役は救われへん。そんなアホなことあるかいな。リスクっちゅうもん、わかっとらんのちゃうか?

このへん、日本の会社法も、うまくできかけとったんや。お前ら知っとるか?会社法の条文で削られた条文あったやろ?代表訴訟で、会社の正当な利益が害される場合には代表訴訟は許されへん、ってな条文が最初あったんやけど、あれ、つぶれてもうたんや。アメリカの訴訟委員会みたいなもん、日本にはないから、取締役にとっては災難やで。こんなん弁護士もうけさせるばっかりやで。ホンマのビジネスマンが日本には育たんで。ワシもな、最初は日本には「独立社外取締役」なんて、いらんと思っとったんや。そんなもん、会社経営にはなんの役にも立たんとな。そやけどな、社外取締役が訴訟委員会みたいなもん作って、そこで株主の代表みたいな顔して、「こんな訴訟やったって、取締役からお金をチョロっと取り返したとしても、会社の信用は落ちるは、弁護士報酬が高くつくわで、会社にとってええことない。訴訟はやめなはれ」って言えたら、こりゃええもんですわ。会社と株主との利益調節のためにも、社外取締役は安くつくし、もっと活用したほうがええんとちゃうやろうかな。

最近、6月総会を控えまして、機関投資家による「日本企業における株主利益向上のための議決権行使基準」に関する話題が盛り上がっているようでありますが、米国の機関投資家によるガバナンス改善要求の真意などを知るうえで、やはりアメリカで長年研究されていた学者の先生方の意見を拝聴するのはたいへん有意義だと感じました。なんといいましても、代表訴訟や独立社外取締役制度、執行役と取締役の関係、そして株主によるクラスアクションなどが、それぞれ制度として関連性を有しているわけでして、これらが日本の企業文化のなかでどのように効果的に機能するのか、そのあたりはやはり海外の制度を理解している方のお話を聞いてみるのが一番だなぁと感じております。(できるだけ森田教授の口調に近い雰囲気でご紹介いたしましたが、私はもちろん、尊敬している方であります。失礼がありましたら、この場で謝っておきます。また内容に関する誤りがございましたら、それは私自身の責任です。)

PS そういえば、今日の事例研究(株主代表訴訟における担保供与事件)で、発表担当のスクール生のひとりが「へびのめミシン」「へびのめ不動産」と言い出したのには唖然としました(^^;;「お前そんなんも知らんのか!? 昔は嫁入り道具のひとつやったんやぞ。お前のおかあちゃんも、これ実家から持ってきとるはずやで!今は知らんけど・・・」なる説明をされていた森田教授にも笑わせていただきましたが・・・・・ 

5月 16, 2008 法科大学院のおはなし | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月11日 (木)

この年齢(トシ)で法律を学ぶ「幸せ」

いろいろとエントリーしたいことはあるのですが、ここのところブログを認める(したためる)時間がなく、まともなお返事も書けずに申し訳ございません。m(_ _)m  先週から同志社大学の法科大学院で会社法のゼミを担当させていただいておりまして、まだ慣れないせいでしょうか、その準備がけっこう時間を要します。毎週1回京都の美しいキャンパスに向かうことはそんなにしんどいものではないのですが、本業の合間にけっこうたくさんの資料に目を通しておかないといけないですし、「今後いかに効率よく、手抜きをせずに準備するか」を検討しませんと、ブログのほうも更新が滞りがちになってしまうかもしれません。(なお、同志社のロースクール生の皆さんには、ほとんどこのブログは認知されていなかったようです・・・(^^;)

しかしながら、ひさしぶりに初心に帰って会社法を基礎から学びなしてみますと、法務ブログを2年半ほど続けてきたせいか、どの論点にぶつかっても、なかなか興味をそそられまして、たいへんおもしろく勉強させていただいております。たとえば会社法の授業では、おそらくどちらの大学でも「定款に記載された事業目的と株式会社の権利能力」といった論点を(最初の授業あたりで)学ぶ機会があると思います。私が司法試験の浪人中は、こういった論点がなんとも退屈でして(といいますか、鈴木竹雄先生の「会社法」の基本書がどうも頭に入らなかったのであります。いま想い出しても結局何を基本書として会社法を学んだのか、あまり記憶が定かではありません)、著名な昭和45年大法廷判決の政治献金事件の判例あたりを「サラ」っと読み流していただけでありました。しかし、ここ数年の某ゼネコンの政治献金事件判決(地裁、高裁)あたりを読みますと、地裁と高裁で結論が逆になっていたりして、けっこう面白い論点に変貌しているんですね。いや、ひょっとすると、「会社の定款」は以前からおもしろい論点だったのかもしれませんけど、私自身が「おもしろい」と感じるだけの実力も関心も知識もなかったのかもしれません。「会社法」だけを純粋な学問のように学ぼうとすると無味乾燥なもののようにも思えますが、商法科目らしく、現実の世界にどう機能しているか・・・といったあたりが理解できますと、条文の構造も理解できますし、自ら疑問も湧いてくるようになるのではないでしょうか。ただ、会社といいましても、大会社から家族経営会社まで、その形態は様々ですし、現実の世界と法律とをどう関連付けて考えるか・・・といったあたりは口で言うほど易しいものではないようです。

そういえば今年の株主総会では、「談合決別宣言」といったコンプライアンス条項を定款に記述する、といった上場企業もありました。いわゆる「企業行動規範」の定款への取り込みであります。かなり特殊な例かもしれませんが、この企業行動規範の定款への反映といったものが、そもそも定款の性質と合致するものかどうか・・・といったことについてはあまり議論されていないようであります。そもそも企業倫理規範とか、行動規範といったものは経営の理念であって、経営者が示すものであります。その理念に株主が賛同することもあれば、反対することもあるでしょう。いっぽう、定款は株主の意思の総和(特別決議)によって形成される規範であります。たとえ取締役会が定款の一部変更議案を上程するとしても、変更を決議するのは株主でありますから、果たして企業の倫理規範を株主が決議したり、後で消除したりしていいんだろうか・・・といった疑問が出てきてもおかしくないような気がいたします。(実はこれは元々司法書士のぐっぱるさんとのメールのやりとりのなかで、ぐっぱるさん自身が疑問を抱いておられた点です)ちなみに、そのコンプライアンス条項はといいますと、

(法令遵守および良識ある行動の実践)第3条 当会社においては、役職員一人一人が、法令を遵守するとともに、企業活動において高い倫理観をもって良識ある行動を実践する。特に建設工事の受注においては、刑法及び独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)に違反する行為など、入札の公正、公平を阻害する一切の行為を行わない。

といった条項になっております。株主オンブズマンの方々が、長年要望していたことが、一部の企業において実現したわけでありますし、企業コンプライアンスの実現のためには有意義なものであることは間違いないわけですから、私自身、こういった試みに反対するものではありません。ただ、定款の法的な性質や、企業倫理規範が企業経営者による永続的な「看板」であることを考えますと、こういった試みが広範に検討されるなかで、少し考えておいたほうがいいこともあるように思ったような次第であります。

なお、先の某ゼネコンさんの政治献金訴訟は、この株主オンブズマンの方々が原告となっておられる株主代表訴訟でありますが、実は地裁や高裁の判決のなかでは、定款の記載が取締役の善管注意義務の根拠条文に影響を与えたり、経営判断原則の考え方に影響を与える可能性を示唆しているんですね。ということは、定款に役職員の行動規範を記述する、といったことは、道義的もしくは倫理的な意味合いを越えて、法的な意味合いをも含んだものに進化する・・・ということも言えるかもしれません。また、こういった考え方の延長線上には、蛇の目ミシン判決の最高裁と高裁との判断の違いが見えてきたり、ダスキン高裁判決の考え方が見えてきたりするわけでして、いろんな論点がつながってくるわけであります。「談合との決別」を宣誓した役員の皆様方にとって、この「定款への決別宣言組み入れ」が、どれだけ重い意味を持っているか・・・ということを、こういった会社法の基本原則のような論点を改めて学ぶなかで認識することができました。(なお、これはあくまでも私見であり、これが関係当事者の真意なのかどうかは定かではございません。ねんのため)

10月 11, 2007 法科大学院のおはなし | | コメント (9) | トラックバック (0)